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リミット  作者: 過酸化水素水
3章 ストーカー
27/61

(11)

 

   16


 『月曜日』


 体中がギシギシと音を立てている。少しでも移動のルーチンワークから逸れようものなら、その罰として全身に針を突き立てるかのような痛みが走ってしまう。

 簡潔に言うと、筋肉痛だった。

 琢真は日頃全く運動しないと言うわけではないのだが、流石に昨日の暴走は体への負担が大きすぎたようだ。

 通学路を歩く生徒の波に隠れ、少し前方を歩く莉理を見つめる。

 今日の護衛は、特に大変だ。なにしろ肉体的苦痛を常に強いられるのだ。

 加えて彼女が母親から自分の事を何か言われていないかということを考えるだけで、恥ずかしさでのたうち回りたくなるということも、疲労の要因の一つに数えられるだろう。

 しかし、学校に着けば筋肉痛だけは何とかなる。なにしろ、座っていられるのだ。莉理を視界に入れながらも、琢真はその事にずっと想いを馳せていた。


「おーーす! 何よ辛気臭い顔しちゃって!!」

 『て』を言うのと同時に、ドンという衝撃が琢真の背中に走る。

「いてっ!! はぅ!! あう!! のぅ!!」

 最初の『いてっ』は背中を殴られたことに対しての苦痛の声だった。

 次の『はぅ』は、その衝撃で前につんのめった際に、倒れまいと踏み出した右足の筋肉の悲鳴。

 『あう』は、その緊張の走った右足を慌てて元の位置に戻そうとした時の、背筋の嘆き。

 最後の『のぅ』は、背筋の痛みに耐える際に力の入ってしまった尻筋の挙げる苦悩の声だった。


 それらを何とか宥めすかし、首だけを回して悲痛な顔を横に並んだ愛に向ける。

「何しやがる……殺す気か……」

 押し殺した声だが、もちろん怒りと言うより筋肉への配慮だった。

「何よ、気持ち悪い。それより、昨日連絡してたみたいだったけど何か用事だったの? 莉理のこと?」

 そう言えばそんな事もあったと、琢真は思い出した。

「お前何で昨日出なかったんだよ」

 もう解決したことなので琢真は別段気にしてはいなかった。だが、それでつけ上がられるのも嫌だったので表面上は苛立ちを滲ませた顔を作っていた。

 ただ時折走る筋肉の痛みのせいで、琢真が思っているほど上手く作れてはいなかったが。


「いやさぁ~~。電話かかってきてた時、那奈美と翔子とカラオケに行ってたのよ。だから全然聞こえなくて気付かなくて……。ごめんごめん」

(くっ、それでか。高橋も田中も繋がらなかったのは!)

 ごめんと言いながらも全く謝罪の気持ちは篭っていない愛だった。まあ、それはいつもの事なので気にしないことにする。

 だが、逆に愛が琢真に苦情を言ってくる。

「アンタも、あれからこっちがかけ直してやったのに、全く繋がらなかったわよ!?」

「携帯の電池が切れてたんだよ」

 適当なごまかしのようだが本当の事だった。携帯の充電をし忘れるというのは琢真にとって、さほど珍しい事ではない。それは愛も知っている筈なのだが――――

「はぁ!? アンタそれでも現代人!? 高校生!? 緊急の連絡があったらどうするつもり!?」

 昨日自分は緊急の電話に出なかった事を完全に棚に上げて、愛は琢真に罵声を浴びせてきた。言い返したかったが、そうした場合更に口撃を受ける事は目に見えていたので、琢真はむっつりと罵声を受け続けた。

 一通り琢真を罵ると、愛はどこかスッキリした満足気な顔で「次は気をつけなさいよ?」と偉そうに締めた。悔しかったが、精神衛生上良くないので琢真は話題を変える事にした。


「……それより、お前今日はやけに早いな」

 愛は大抵遅刻ぎりぎりか、ぎりぎり遅刻のどちらかの時間に駆け込んでくるのが日常となっているので、少し意外に思ったゆえの問いだった。

 とはいえ、大部分は話を変える為の話題なので、愛の理由など正直どうでもよかった。だが愛の返答は、そのまま流す事の出来ない意外性を秘めていた。

「アンタのためよ」

「へぁ?」

 凡そ愛が発する言葉とは思えなかったので、琢真の口から間の抜けた声が自然と上がる。

「だからどんな連絡か分からなかったから、こうして朝待っててあげたんじゃない」

(い、いや、お前は俺より来るの遅かったじゃないか?)

 とは思ったが、琢真はそうは言わずに「そりゃあ、どうも」とだけ返した。

「莉理のことだったの? 何か問題があった?」

「ん、あーーまぁ、そうだが。もう解決したから気にしなくていい」

 待っていたという話の真偽はどうであれ、心配していたのは本当だったのだろう。愛は少しホッとした表情をみせた。

「ふーーん、何? 何かあったの?」

 今度は先程とは違い、単に興味が湧いたという様子で聞いてくる。特に隠す事でもなかったので、琢真は昨日の一部始終を話してやった。


 一通り話し終えると、愛は大笑いする。

「逃げないで、そのまま入っちゃちゃえば良かったのに」

「ふざけんな」

「別にふざけてなんかないわよ~~? でも、小母さんも相変わらずね」

 莉理の母親の事を頭に浮かべているのか、愛はにこやかに笑う。

「良い人そうだよな」

「ええ、良い人よ。見たまんま」

 愛が人の性格を褒めるのは珍しい。つまり、本当に良い人なのだろう。莉理が誰にでも優しいその土台には、あの母親の影響がありそうだった。

 そのまま人の母親を思いやり笑い合っていた二人だったが、愛が唐突にニヤケ笑いを顔に貼り付ける。琢真は非常に嫌な予感がした。

「でも、小母さんはアンタの事を、莉理に話しちゃったのかな~~?」

「うっ」

 琢真が忘れていたかった嫌な事を思い出させる。

「もし、話しちゃってたとしたら、一体莉理はその事をどう思っているのかな~~?」

 愛は心の不安をブスブスと、鋭利な言葉の槍で刺激してくる。

「うぅ」


「何なら、アタシが上手く伝えてあげよっか?」

 うめき声を上げるしかない琢真だったが、突然の思いもよらない提案に嬉しさのあまり声を上げる。

「ホントか!? 頼む!!」

 愛はその言葉を聞いてニンマリ微笑むと、ひらりと綺麗な右手を琢真に向かって差し出した。手のひらは上を向いている。

「金とんのかっ!?」

 琢真とてタダではなく何かしら要求されるとは分かっていた。だが、貸し一つとかだとばかり思っていたので、直球で金銭を要求してきた愛に唖然とした表情を向ける。

「昨日、色々使いすぎちゃって」

 てへっ、と舌を出して笑う愛に、何も知らない周囲の男子生徒の数名が身悶えていた。もちろん、琢真は残念ながら同じ心境にはなれなかった。

 寧ろ苛立ちが湧き上がっているのを感じていた。

「あーー。嫌ならいいのよ? アタシは別に……」

 ニヤニヤ笑みから白けた表情に変え、あさっての方向を向きながら愛は呟く。それも計算だと分かっているので非常に癪に障っていたが、琢真に選択肢など始めから存在しない。

 結局涙を流しながら、財布から取り出した札を一枚その手のひらに乗せる事となった。


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