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リミット  作者: 過酸化水素水
1章 占い師
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(1)

 

   1


『準備は良いか?』


 監視役と称して、一人離れた場所から交信している修司(しゅうじ)の声が、ハンズフリーになっている携帯から響いた。

 その声を聞いて、琢真(たくま)は素早く仲間達の様子を伺った。

 目標付近に控えている仲間は三人。彼らは皆、親指を雄雄しく天上に突き立てた手を、琢真に向かってぐっと伸ばしていた。GOサインだ。

 それを確認した琢真と琢真の背後で作業をしていた二名は、顔を見合わせ重々しい表情で頷き合った。

 琢真は皆を代表して、携帯に向かって厳かに告げる。

「……ああ。こっちの準備は完了した」

『では早速始めてくれ。そろそろ誰かに気取られるやもしれん……』

 修司が平坦な口調で言う。それきり通話は途切れた。


 琢真は物言わなくなった携帯をズボンの尻のポケットに押し込むと、予定ポイントに素早く移動した。

 背中にはこの日の為に皆で完成させたとある装置(・・・・)が背負われている。一抱えもある大きさで重量もあるのか、琢真が一歩踏みしめるたびに土煙が舞う。

「……ふぅ。それじゃあ、行くぞ」

 一度深呼吸した後、琢真は前を向いたまま自分の背後に立つ仲間達に声かけた。

「ああ……」「……了解」

 気迫が内に押し込められた様な相槌が返って来る。返答を聞きながら、琢真は目標地点を見据えて静かに息を整えた。一滴、額から汗が頬を伝う。

 僅かの後————


「READY……GO!!」

 琢真は叫び、勢いよく駆け出した。同時に背後の二人もスタートを切る。

 荷物を背負っているせいか、立ち上がりは遅い。だが、一歩一歩確かな感触を持って地面を蹴り、足を前へと運ぶ。腕を振り足を振り上げて、更に速度を上げていく。

 意識を背後に向けると、自分の後にピッタリとくっ付いている仲間の気配を琢真は感じた。決して離されないという確かな意志が伝わってくるようだ。


 全力で走る琢真から彼らが引き離されないこと。それが今回の作戦の胆だった。

 何故なら彼らは琢真の背中の装置から伸びている紐を、しっかりと握り締めたまま走っているからだ。その紐は装置のストッパーに結び付けられている。ストッパーはそれを外す事により装置内部の仕掛けを動作させる為のものであった。

 万が一琢真との距離が開いて紐が伸びきり、ストッパーが外れてしまうことは、それは即ち作戦の失敗を意味している。

 その為、この作戦が成功するかどうかのかの鍵を握っているのは、背後の二人だと言えなくもなかった。彼らもそれを自覚しており、それが断固たる意志の発露に繋がっていたのだ。


 そんな頼もしい仲間達に応えるように、琢真も集中力を高めていった。

 そうして自身をトップスピードに押し上げた頃には、琢真は目標地点を間近に捉えていた。

「今だよっ!!」

 予め目標地点付近に控えていた仲間の合図に、琢真の背後の二人が慌ててブレーキを掛ける。彼らはつんのめりながらも、自分の手に掴んでいた紐を、勢いよく引っ張った。

 その抵抗を背中に感じるやいなや、琢真は全力で地面を蹴り上げた。

 それにより装置のストッパーが外れ、そこから噴出される液体の勢いを推力として、大幅な距離を跳躍する。


 ――――筈だった。


「ぐほっ!」

 だが現実は無情である。ストッパーが外れる前に二人の引っ張る力に負け、後ろ向きに地面に叩きつけられている男の姿がそこにはあった。追い討ちをかける様に、勢いよく琢真の顔に水が降り注ぐ。

 後ろに仰け反っている自分を感じた瞬間。琢真は背中に背負っている装置が下敷きとなり、地面と激突する衝撃を緩和してくれることを期待したが、何故か直接背中から落ちていた。

 その所為で息が詰まってしまったが、琢真はそれを何とか乗り越えると、身を起こしながら痛みを払うように首を振った。

 一体何がどうなったのか自分でもよく分からず、仲間達に尋ねようとしたところ、彼らの目が何かに呆然と視線を送っているのに気づき、ゆっくりとその先を追った。

 彼ら視線の先には、今まで琢真が背負っていた筈の装置があった。ただ、視線は下ではなく、上に向けられていた。地面ではなく、空へ。

 ああ……綺麗だな、などと。琢真が思ったのはそんな事だった。


 校舎の上空まで昇ろうとする装置から、噴出する水の様子がとても印象的で――――

 作戦行動を行っていた仲間達や、周囲でこちらを伺っていた野次馬達は、皆呆けたようにその光景を眺めていた。

「……飛んだなぁ」

 仲間の一人である、金子が呟く。その声には作戦は失敗に終わったにもかかわらず、悔恨の調子はない。

 ふと、琢真は自分が千切れた紐を握っている事に気づいた。装置を背負うために取り付けた紐だった。どうやら倒れた際に、引き千切ってしまったらしい。

(ああ、なるほど)

 装置が飛んでいった原因を、琢真はぼんやりと理解した。琢真を含めた仲間たちも皆、無言で装置を目で追っていた。

 作戦は失敗に終わってしまったが、それとは別のところに確かな充実感がある。今自分達は限りある大切な時間を過ごしている――――そんな想いが胸の内に湧き上がっていたからだ。

 もしかしたらこれが”青春”なのかもしれない。何となくそんな事を考えながら。

 屋上より高く昇った装置は、やがて万有引力の法則に基づきゆっくりと下降し始めた。空中に緩やかな放物線を描きながら、徐々に速度を増していく。目測では、装置は体育館と東校舎を繋ぐ渡り廊下付近に不時着すると思われた。


 ――――だがその前に、不運にも廊下を通りかかった、誰隔てなく優しく接してくれることで生徒人気が非常に高い教頭の背中に墜落してしまった。


 教頭は前のめりにぶっ飛ぶ。顔から地面に着地したのが、かなり離れている琢真の位置からでも見てとれた。教頭はそのままピクリとも動かなかった。

 突然の出来事に、世界が凍りついたかのような静寂が訪れる。琢真も仲間達も誰も声を発しない。

 ”青春”と後悔は一セットである。 

 春のような穏やかさだけではそれは為しえない。まだ成熟していない青い果実を齧って顔を思わず顰めてしまうような苦さが必要なのだ。

 したり顔でそんな事を言っていた修司の台詞が、琢真の脳裏を過ぎっていた。


 いつまでも続くかと思われた静寂は、突然の出来事にあっけにとられていた教頭に付き添っていた教師が我を取り戻したことにより破られた。

「きょ、教頭先生!! 教頭先生!! ……うわあっ白目剥いてるっ!」

 教師達の悲痛な叫びが校庭に響く。

 事態は既に青春の一ページといった様相から、一気に傷害事件のような様相に移り変わっていた。


 琢真がその光景を呆然と眺めていると、携帯が慌しく鳴った。視線はそのままで通話ボタンを押し耳に当てる。

『逃げろ』

 通信者の修司はその一言だけ告げると通話を切った。

 ハッと我に返り、琢真は仲間達に呼びかけようとする――――も、既に仲間達は琢真だけを残して校門に向かって走り出していた。

(しまった、出遅れた!!)

 と、焦った琢真が後に続こうとした直後。

「こらああああ! またお前かあああああ!!」

 怒号を上げながら、猛然と走り寄ってくる教師がいた。

 その声は琢真にとって聞き覚えがあるどころではない。顔を見ずとも教師の正体は分かった。体育教師の池山(いけやま)である。


「げっ、見つかった!!」

 琢真は思わず声に出すと、すぐさま駆け出した。

 前方を見ると仲間達は丁度校門を駆け抜けている所だった。呼び止める時間も惜しく、琢真は全力で後を追う。

「待たんかああ!! 芳垣(よしかき)ぃぃ!!」

 池山は鬼のような形相で叫び続けている。が、悲惨な末路がはっきりと見ているのに態々待つ訳が無かった。

「きょ、教頭をやったのは、俺じゃない!!」

 殺人を起こしながらもそれを必死に否定する犯罪者のような応答を返しながらも足は止めない。

「じゃあ何で逃げるっ!? やましい事があるからだろうがっ!!」

「そ、そんな顔で追ってきたら、誰でも逃げますよっ!!」

「なんだとおお! 俺の顔が変だと言いたいのかああ!?」

 更に池山のスピードが上がった。三十代後半のおっさんが走る速度ではない。


(や、やばい。このまま校門に向かっても追いつかれる……っ!)

 琢真は急遽進路を変え、校門から伸びている通路の脇に植えられいてる桜の木々の間を突っ切った。そして、校門裏の右手にあるプールの裏側に逃げ込む。

「む、どこに隠れた!? 出てこい芳垣!!」

 桜の木が視界を防ぐ事に一役買ったのか、琢真を見失ったらしい池山の声が聞こえてくる。ただ、ここに居ても見つかるのは時間の問題なので、急いで緊急避難場所に移動することにした。


 その場所とは、体育館裏のとあるポイントだった。

 学校の敷地を囲んでいる塀は長いネットで囲われており、基本的には塀を乗り越える事は出来ない。だがそのポイントだけは、傍目には分からないがネットが破れており、人一人通れる位のスペースがあったのだ。

 今のような緊急事態を回避する事が主な使用用途の、学校の一部の生徒達の間だけで語り継がれている、教師達には秘密のスポットの一つだった。


 プールは体育館と隣接しているので、ポイントには直ぐに辿り着くことが出来た。一度周囲を伺う。人影は無い。

 どうやら池山に捕まらずに済んだと琢真は安心し、ネットに向き直った。

 しかし、琢真はそこで思わぬ光景を目撃する。

「ネットが直されてる!?」

 明らかに修繕された跡があり、スペースは完全に閉ざされていた。引っ張ってみてもネットは微動だにせず、とても抜けられそうに無いことが分かった。

 予想外の出来事に動揺した琢真は、慌てて修司に連絡を取った。


『池山から逃げ切ったのか?』

 繋がった後の第一声で、修司は琢真の無事を確認してくる。どうやら今の状況は把握しているらしい。それならば話は早いと、琢真は若干落ち着きを取り戻しながら質問に答える。

「いや、校門が無理そうだったから、体育館裏に移動したんだが……」

『……ああ。ポイントが修繕されていて困ってるのか』

「知ってたのか?」

『修繕されたのはごく最近の話だ。ドジを踏んだ奴が居て、教師にスポットがバレてしまったらしい』

「なんてこった……」

 その生徒に琢真は怨嗟の声を上げたくなった。

 だが、次に続いた修司の頼もしい言葉によって、そんな不安は払拭された。

『……なら、俺がここから安全なルートを指示してやろうか?』

「マジで!? ここからってことは、修司はまだ屋上か?」

『ああ』

 修司は作戦行動の際、見張りと称して一人屋上に待機していた。

 上からなら人の動きがよく分かる筈なので、逃げ切る為には願ってもない提案である。

「頼む。今捕まったら間違いなく池山に殺られる!」

『分かった。では、俺の指示に従って移動しろ』

「了解!」

 持つべきは親友だった。


『先ずは、急いで体育館の前に移動するんだ』

「え? そんな現場の目の前に移動して、大丈夫なのか?」 

『教師の目は校門付近に集中している。まさか犯人が現場に現れるとは考えていないだろう。その裏をかくんだ。大丈夫。俺を信じろ』

「そうか、分かった!」

 体育館前は教頭が倒れた場所の目の前なのだが、修司の指令を信じて移動する事に決める。そうして、琢真はプールとは反対側を周り、体育館前に飛び出した。

 しかし、直ぐに琢真の口から不思議そうな呟きが漏れる。

「あれ?」

 人間、あまりに気が動転すると頭の働きが鈍化するらしい。この場で声を出す事は己の破滅を意味していると言うのに。

 ――――そこには、気絶した教頭を運ぼうとしている体育教師達が集まっていた。


 琢真の声に気づいたのか、どこからか集まっていた体育教師達は僅かな驚きの後、険しい表情を浮べながら琢真を取り囲む。

「芳垣。堂々と出てくるとは感心だな」

 いつの間に合流したのか、池山が指をポキリポキリと鳴らしながら、琢真に近づいてくる。

「あれ? しゅ、修司君? こ、これは一体……?」

 まだ事態が飲み込めない琢真は池山の気迫に押され、携帯を耳に押し当てたまま後ろに下がりながら修司に確認するが――――


『犠牲は必要だ』


 修司はそう言い切ると、通話を一方的に切った。

「え……。あっ! き、切り捨てられたっ!?」

 琢真がようやくその事実に気づいた時にはもう、鼻息荒い池山に取り押さえられていた。万力のような力で琢真は身動き一つ取れない。

「く、くそおおおおぉぉ! あのやろおおおおおおおお!!」

 ただ琢真の心からの怨嗟の叫びだけは、空しく校舎に反響するのだった…………。


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