(6)
8
帰りのHRが終わり、クラスメイト達は散り散りに教室から散って行く。琢真は同じく外に出ながら、今日は何しようかと考えていた時に、教室の前でバッタリ修司と遭遇する。
またかよ、というような表情がチラリと修司の顔に浮かび上がる。ただ、帰宅部の身には他に選択肢も多くないということで、これまた昨日に引き続き修司の家でゲームに勤しむことになった。
ゲームの話題を話しながら肩を並べて歩いていたが、東門に差し掛かろうという時に琢真は突然の緊急事態に襲われた。
体中に溜まった水分が、外に出たいと痛切な声を上げているのである。簡単に言うと、尿意に襲われたとも言う。
このまま我慢しようかとも迷ったが、自分の膀胱と相談した結果、修司に一言詫びて急ぎ校内に戻る。気持ち内股なのは言うまでも無い。
琢真は靴のまま一階のトイレに駆け込み用を足した。そうして、えもいわれぬ開放感に浸りながらも、東門に向けて急ぎ戻ろうと駆け出す。
だが玄関を出たところで、視界の端に何か人影が見えたような気がして、琢真は何気なく校舎の端を見た。見間違いではなく、そこには何やら怪しげな女性生徒二人組がいた。校舎の端の壁に隠れるようにしながら、その奥を伺っている。
(あれは……)
その二人は琢真も比較的仲の良いクラスメイトだった。
何をしているのか興味が湧いたので、琢真は背後から近づき声を掛けた。
「おい、何してるんだ?」
急に背後から声をかけられて驚いたのか、二人は声にならない悲鳴をあげた。
慌ててこちらを振り返り、声の主が琢真だということが判ると、物凄い形相で首根っこを掴んで校舎の壁に押し付けた。
あまりの早業に、琢真は苦情の声を上げる暇も無かった。
そのまま二人は冷酷な視線を琢真に向け、押し殺した声で一言「黙ってろ」と告げる。その後、再び校舎の影から僅かに身を乗り出し何かを覗き始めた。
(何なんだよ)
仕方ないので、二人の背後から同じように校舎の裏を覗く。
そして、そこに広がっていた光景を視界に収めると、琢真は「どういうことだ!?」と声を上げ、慌てた二人に強引に口を塞がれその場に押さえ込まれた。
琢真はモガモガと抵抗するが、思った以上に二人の力は強く抜け出せない。抵抗の無駄を悟り、そのままの体勢で再び前方に視線を送った。
琢真の視線の先には、莉理の姿があった。
少し顔を赤らめたまま、若干恥ずかしそうに俯いている。ただそれだけなら可愛いなと思うだけで、特に何も言うべき事は無い。
しかし、その儚げな少女の前には、一人のもっさりとした男子生徒が立っていた。もちろん、もっさりというのは琢真の私情が込められている。
男の方も幾分緊張した面持ちで、頬が上気しているのが分かった。視線は莉理から逸らさず、じっと彼女を見つめている。
(ああ、なるほど……)
「そうか、二人は睨めっこをしているんだな」
一人納得してそう告げる琢真に、二人は何か物悲しい表情を浮かべて首を横に振る。どうやら違うようだった。
「ああ、じゃあどっちが長く息を止められるか、の勝負とか?」
再び二人は首を振る。
「判った。あの男が何か面白いギャグを言ったから、彼女が必死に笑うのを堪えている……」
残りは最後まで言わせようとせずに、ポンと琢真の肩を叩き二人して首を横に振りながら――――
「いい加減、現実逃避はよしな……悲しすぎるよ」
高橋が哀れむように告げる。後ろでは、田中が目元をハンカチで拭っていた。
(ま……まさか、まさかまさかまさかまさか!!?)
「逢引してっっっ!? ……はが……ほぐっ」
琢真が現実に絶望して大声を上げようとしたところで、田中が持っていたハンカチを丸めて琢真の口の中に押し込んだ。
「ちょっと、黙ってなって!」
再び二人して琢真を上から押さえ込んだ体勢で、前方に視線を送る。
「安心しろ、アレが逢瀬になるかどうかは、この結果次第だから」
頭の上で、高橋がそう囁く。
(どういうことだ……? まだ逢瀬じゃない?)
「つまり、今まさに告白中ってこと!」
高橋よりも頭一個程度上方くらいから、田中の声が聞こえてくる。声に何やら楽しげな調子が含まれている。
が、琢真にとってはそれどころではない。
「フォ、フォッヒガ、フォッヒヒ!? (ど、どっちが、どっちに!?)」
これが目下、最大級の懸案事項である。
口に入れられたハンカチを吐き出すのも忘れ、二人を見上げながら確認する。
「さあ、どっちが告白してる側だと思う?」
高橋がニンマリ笑いながら答える。田中も同様の表情だ。
困った事に、このクラスメイト達はいつもこんな調子だった。何故こんなに性格が捻じ曲がってて、莉理のような心の綺麗な女の子と親友関係なのかはどうしても謎だ。
なお、二人が愛と親しい事は言うまでもない。
(ちっ、こいつら答える気ねえな!)
ということを悟り、琢真は問いかけを無視して前方の二人を凝視する。
琢真の視線に怪光線的な力があったら、今頃莉理達は穴だらけになっていることだろう。
じっと見つめるが……判らない。
互いの緊張具合上気した頬具合を見ただけでは、どちらがそうでもおかしくないように思える。
では、互いの釣り合いから判断しようとするが……彼女はもちろん不足しているなんてことはありえないので、自然男の方を値踏みする目で見つめる事になる。
娘の連れてきた彼氏を見定める父親のように――といっても、悲しいかなそんな状況に出くわした事が無いので、あくまで想像だが――そんな厳しい視線を琢真は送る。
だがしかし、どこから見ても好青年然としており、外見だけを見ると悔しいが不足しているようには見えなかった。
(い、いや、問題は中身だ! 実はああ見えて、変態に違いない)
と、琢真が穿った視線を送っているのに気づいたのかはわからないが、即座にそれを否定せざるを得ない内容が頭上から聞こえてくる。
「あいつ……確かF組の『尾登』だったよね? 翔子?」
高橋が、田中に対して質問する。ボーイッシュな高橋に比べて、如何にも女子高生然としている田中は、男子事情にも詳しいようだ。
「うん。ハンサムって訳じゃないけど顔立ちも爽やかだし、運動神経も性格も良いらしいからF組の女子の間でも中々評判いいよ」
琢真は知らなかったが、どうやら同学年の男子だったらしい。
その情報は、モテナイ男からすると腹立たしいものだった。ただ確かに告白したにしろされたにしろ、相手からじっと目を逸らさずに真摯に構えている姿からは、その情報がデタラメだと判断できる材料は無いように思えた。
尾登の『言動』のうち、『動』は及第点としてやることにして、『言』で判断してやろうと、琢真は耳を傍立てる。だが視線の先の二人は言葉少なげに、静かに会話をしているので内容は全く聞こえてこなかった。
「う~~ん、何言ってるんだろ? もうちょっと近寄れないかな~~?」
田中が琢真の心の声を代弁する。
「馬鹿、動くなって! 覗いてるのが、ばれちゃうだろ!」
高橋が声を怒らせながら咎めるが、思いは恐らく同じなのだろう。琢真の背中をぐいぐい押していた。
そうしたまま、どれくらい時が過ぎたのは分からない。遂に動きがあった。
男の方が爽やかに笑い莉理に一礼すると、琢真達が潜んでいるこちらとは反対側に悠々と歩き去っていったのだ。
冷静にに考えると莉理が男を振ったように思える。
しかし、琢真には男の告白が受け入れられて、喜びのあまり歩き去ったようにも見えた。それを裏付けるかのように、莉理は男の後姿が校舎の影に消えるまで優しく見つめていた。