97 超法規的措置
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わたしは、その一部始終を見ていました。
ドアが開いたまま発進した車。
速度が上がって絶望したその時、鎧戸君の乗った自転車が車を追い越していく。
そして、車の前に立って両腕を広げて立ち塞がる。
鎧戸君が轢かれると心配になり、鎧戸君から目が離せなくなって、そうしたら鎧戸君の口が「伏せて」と動いたのが分かって――わたしは体を丸めて頭をかばうように抱えた。
――衝撃。
わたしを拘束していた男たちが例外なく前方のシートに叩きつけられ、折り重なりながら座席の間に飲み込まれるようにずり落ちていった。
そして、車が悲鳴を上げ、男たちが泣き喚き始め、わたしは――
真剣に怒っている鎧戸君を初めて見た。
「彼女に傷ひとつ付けたら……お前ら全員、一人残らず八つ裂きにしてやる」
そんなことを言われて、思わず頬が熱くなった……
運転手がキーを投げ捨てたことで、車が地面に降ろされ、それと同時に男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
車内に取り残されたわたしは一人で、呆けていた。
「高名瀬さん、大丈夫?」
開いたドアから車内を覗き込んだ鎧戸君の優しい声を聞いて、ようやく、わたしはこの現実離れした出来事が実際に起こったことなんだと認識しました。
淡々と流れていた時間に、ようやく色や温もりが蘇ったような気がしました。
「よろいど、くん……」
「遅くなって、ごめんね」
「……っ、鎧戸君!」
涙と声が、急に体の奥から溢れ出しました。
嬉しいという感情と一緒に。
突き動かされるような衝動に抗えず、わたしは鎧戸君の胸に飛び込んで、しがみついて、声を上げて泣きました。
「怖かった……です……っ」
「うん。怖かったね」
「鎧戸くぅん……っ」
「うん。鎧戸君ですよ」
肯定してくれる優しい声に、涙が止まりません。
「……ありがとう」
「騎士がお姫様を助けに来るのは当然でしょ」
そんな言葉に驚いて、思わず鎧戸君の顔を見れば――
「無事でよかった」
目の前に優しい笑顔があって……ズルいです。こんなの、ドキドキするに決まってます。
だから、今だって、この気持ちは、たぶんそういうんじゃなくて、もっと素直な感謝とか、そういうもので、だから……
顔が、熱いです。
「……あ」
「へ?」
短く呟いたと思った瞬間、鎧戸君の体が大きくぐらつきました。
バッテリー!?
そうです。
あんな無茶をしたんだから、バッテリーが切れてもおかしくありません。
そもそも、鎧戸君のバッテリーは燃費が悪いって言ってましたし、相当無茶をしてくれたに違いありません!
「鎧戸君、大丈夫ですか」
鎧戸君の体を自分の方へと引き寄せると、一気に重さが増しました。
全体重が伸し掛かってきたようで、少々重いです。
けど、不思議と不快感はなく――この重さが鎧戸君の重さなんですね、と、そんなことを感じて口元が緩みました。
「とりあえず、車内へ……っ」
なんとか苦心して鎧戸君を後部座席へと引き上げ、寝かせました。
もう、腕がぷるぷるします。
口元が緩もうと、重いものは重いんですね。
「たしか……車にはバッテリーが積んであり、スマホの充電も出来ると聞いたことが……」
盛大に破壊された運転席を調べてみますが、何がなにやらさっぱり分かりません。
ウチにも車はありますが、わたしはただ乗るだけでしたので、お父さんが運転中にどんな操作をしていたのかすら分かりません。
それに、これだけ壊れていては、そのバッテリーも使えるのかどうか……
「もう……しょうがありませんね」
実は、もうすでに決意していました。
それでも、やっぱり少し恥ずかしいので悪あがきをしてしまったんです。
夕暮れも過ぎ、辺りは暗くなり始めています。
この裏路地はよほど人気がないのか、人の姿は一切見られません。
フロント部分は開け放たれていますが、後部座席のドアを閉めれば、それなりに目隠しにはなりますか……
微かに震える指でシャツのボタンを外します。
もう一度、鎧戸君の意識が戻っていないか、見られていないかを確認して、胸元を大きく開けます。
「し、しつれい、します」
緊張から、声が震え、カタコトになってしまいました。
大丈夫……大丈夫です。
お姉さん(保護者)からも、ご本人からも許可はいただいています。
これは、人命救助です。
緊急事態です。
決していかがわしいことではありません。
先ほどよりもよほど震える指で、鎧戸君の、べ、ベルトを……外し、ず、ずず、ズボンを………………えぇい! と、ズラしました。
すぐさま鎧戸君の体を反転させます!
コロンっとひっくり返します。
……はぁ、はぁ…………
違います。この呼吸の乱れは疲労から来るもので、興奮しているのではありません。
腰回りにゆとりが出来たズボンに、そっと手を差し込んで……人命救助、人助け、恩返し……お尻のコードを、引っ張り出しました。
……ちょっと、ぬくいです。
心臓が破裂する時は、きっとこれくらいに暴れ狂っているに違いないと確信するほど鼓動が早くなり、呼吸が荒くなって、恥ずかしさで逃げ出したくなるけれど…………
それ以上に、鎧戸君への感謝と…………こう、なんといいますか、守りたいというか、助けたいというか、好…………庇護欲! そうです、庇護欲です! 好意ではなく、庇護欲!
それが刺激されて――
「超法規的措置、ですからね……」
わたしは、自分の胸元のコンセントに、鎧戸君のプラグを挿入しました。
早く目を覚ましてくださいね、鎧戸君。