96 とある犯罪者の恐怖
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金のためならどんなことだって引き受ける。
そうやって俺は生きてきた。
ヤバい仕事だっていくらでもやってきた。
正体は知らないが、いつも俺たちに『美味い』仕事を振ってくるボス。
ボスの言う通りにすれば、俺たちが捕まることはない。
何をどうしているのか知らないが、ボスは警察や防犯カメラの裏をかくのがうまい。
前にやった代議士邸襲撃の時も、なぜか俺たちの姿はどの防犯カメラにも映っていなかったらしい。
ボスは、犯罪の神だ。
そのボスから課された今回の仕事は、女子高生の誘拐。
そのうえで、その女子高生を――ふふっ、実に『美味しい』仕事だ。
尾行役が持つ端末の位置をGPSで確認しつつライトバンで並走し、合図があれば『適した場所』に車を移動させる。
『適した場所』はボスから即座に指示が来る。
これで、今回も安全に任務が遂行できる。
――はずだった。
「鎧戸くぅーーーん!」
だが、ターゲットの女が突然大声を張り上げやがった。
慌てて口を塞ぐ。
このバカ女。
ぶち殺してやろうか!?
「見つけた!」
女の声を聞きつけたのか、高校生のガキが自転車で駆けつけやがった。
車の後方150メートルあたり。
後輪からモクモクと煙を立ち上らせて、横滑りしてやがる。
どんなスピード出したんだよ?
「おい、早く乗れ! 出すぞ!」
運転席の男から声がかかり、俺たちは三人掛かりでターゲットを車へ引きずり込む。
ドアを閉める前に車が発進する。
自転車のガキを置き去りに走り出したライトバンは、みるみる速度を上げていく。
はい、任務完了。
あとはじっくりとお楽しみ――
「逃がすわけないだろ」
車の横を、ガキが通り過ぎていった。
「……は?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
150メートルほど後方にいたガキが、自転車で、時速80kmは出ているであろうライトバンを、追い抜いていったのだ。
自転車が通り過ぎていったあと、ゴムの焼けたような嫌なニオイが鼻についた。
「はぁっ!?」
数秒後、思考が復活して、そのあり得ない事態を理解する。
確認しようと、開きっぱなしのドアから身を乗り出して前方を確認すると、ライトバンの前方100メートルほどの場所にガキが両腕を広げて立ち塞がっていた。
「バカが! それで止まってもらえるとでも思ってんのか!? 轢き殺してやるよ!」
運転席の男がアクセルを踏み込む。
ガキを弾き飛ばして、そのままトンズラだ。
どうせボスが用意した車だ。廃車になろうが知ったこっちゃない。
俺もドアを閉めて衝撃に備えた。
数秒後、車は激しい衝突音とともに大きく揺れた。
シートベルトをしていなかった俺たちが全員つんのめって座席と座席の間に滑り落ちてしまうくらいの衝撃。
それぐらいの車は大きく揺れて、そして――
停止した。
座席の間から顔を上げて運転席の男を怒鳴りつける。
「おい、何やってんだよ!? 止まんな! 行けって!」
「…………」
運転席の男を見れば、ハンドルを握ったまま青い顔をしてやがる。
ガキを轢き殺して、急にビビってんのか?
だが、おかしい。
さっきから、エンジンがうるさいくらいに鳴り響いている。
「アクセル……踏んでんだよ、踏んでるのに、なんで動かねぇんだよ!?」
運転席の男が、何度もガスガスとアクセルを踏み直す。
その度にエンジンが唸りを上げる。
だが、車はピクリとも前に進まない。
エグいほどに、ゴムの焼けた嫌なニオイが立ち込めてくる。
「車を停めて、大人しく降りてこい」
車の外からガキの声が聞こえる。
……バカな。
確かに衝撃があった。
轢いたんじゃなかったのか?
座席の間から這い出して前方を見てみれば……ガキが車の前に立っていた。
フロントガラス越しに車内を覗き込んでいる。
「ひぃ……っ!」
思わず喉が引き攣った音を漏らす。
フロントガラスはひび割れ、車の前面は大きくひしゃげていた。
……轢いてんじゃねぇか。
なのに、なんで平気な顔して立ってやがるんだ、あのガキは!?
「だっ……出せ出せ! 車出せ!」
「動かねぇんだよ!」
「じゃあ、一旦バックして、もう一回ぶつけてやれよ!」
「だからっ、動かねぇんだって!」
そんなことあるか!?
百歩譲って、車を生身で受け止めたとしよう、あり得ねぇけど!
でも、バックも出来ないってなんでだよ!?
車体を掴んで拘束してるとでもいうのか!?
……車体を掴んでんの、か?
そんなあり得ないことを考えた時、フロントが「バキィ」と音を鳴らしてひしゃげた。
そして、……あり得ねぇあり得ねぇあり得ねぇ……けど、車が、持ち上げられた。
「ぅ……おっ、うぉぉあああ!?」
持ち上げられ傾いた車内に、ガキの声が聞こえてくる。
「さっさと出てこないと、車ごと地面に叩きつけるぞ」
頭がどうにかなりそうだった。
「そっ、そんなことをすりゃ、この女もただじゃ済まねぇぞ! それでもいいのか!? いいから車降ろせよ!」
頭の中がパニックになって、とにかくなんでもいいから事態が好転しそうなことを叫んでいた。
そうだ。
あのガキはこの女を助けに来たんだ。
なら、この女を盾にすれば――
「お前らが、交渉出来る立場にあると、なんで思い込んでるんだ?」
その声が聞こえた瞬間、車のフロントがなくなった。
ガキが、片手で……なんか、みかんの皮でも剥くように簡単に、車のフロント部分の外装を、引っ剥がしやがった。
あぁ、そうか。
こいつ、人間じゃないんだ……
「出てこないならこの車を叩きつける。だから、彼女のことはお前らが必死に守りきれ。彼女に傷ひとつ付けたら……お前ら全員、一人残らず八つ裂きにしてやる」
抑揚のない、淡々とした声で告げられる言葉には、一切の偽りがないと分かった。
こいつは……、この化け物は、きっと本気で俺たちを八つ裂きにするのだろう。
おそらく、生きたまま、腕を千切り、脚をもいで、痛めつけて苦しめて…………
「うわぁああ! 助けてくれぇ!」
化け物の最も近くにいた運転席の男が半狂乱になり、エンジンキーを抜いて、消失したフロント部分から外へ放り投げた。
これで、俺たちは完全に退路を絶たれたわけだ。
だけど、なんでかな。
俺はその男を罵倒する気にはならなかった。
よくやってくれたとすら思えた。
誠意を見せて、反抗する気はないと分かるように示して……あとは、化け物の判断を仰ぐのみ。
やっぱ、楽して儲けられるなんて美味い話、あり得ないんだ。
こんなリスクがあるなんて……知らなかった。
この後の記憶は、俺にはない。
気が付いたら俺は自宅で震えていて、踏み込んできた警察に身柄を確保された。
「警察だ」って言葉を聞いた時、俺は安堵した。
「あぁ、これで助かる」って。
人の手で罰せられれば、アイツはもう来ないだろうなって、心の底から安堵したんだ。