93 迫る悪夢
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朝。
レンゴクが高名瀬に「お前は俺の天使だ」なんて言っているのを目撃して、なんかもう無理で。
気が付いたら放課後になっていた。
あぁ、今日ずっと机に突っ伏して寝てたなぁ。
教師が誰一人注意しないとか、自由な校風、自由過ぎない?
まぁ、助かったけど。
「……メイク、ヤバ」
すごくムカつくし、正直まだ消化しきれてないし、当然こんな理不尽許すつもりはないけれど、人間何時間も泣いてれば気分は落ち着いてくるものらしい。
六時間目の途中から、急に冷静になって、「あ、こんだけ泣いたあとじゃ誰にも顔見せられないじゃん」って思って、六時間目が終わると同時に席を立ってトイレに駆け込んだ。
個室に籠もってコンパクトで確認したら、案の定。ボロッボロ。
一度メイクを落として…………今日はもう、レンゴクに顔を合わせる気力もないから、このまますっぴんでもいっか。
帰って、もう一回寝ちゃおう。
「はぁ…………」
口を開けば、重いため息が漏れていく。
こんな重い気持ち。
あの時以来……
『やめてって言ってるでしょ、りっちゃんの変態!』
修学旅行の時、高名瀬に言われた言葉。
あの時、明確にあたしの人生は進路を変えた。
仲良しグループできゃっきゃと楽しくおしゃべりする人生から、周りみんなが敵で、見栄を張り合って、誰かを蹴落としてでも伸し上がって、自分の居場所を死守するような人生に。
修学旅行で揉めて、高名瀬が部屋から飛び出していって、そのまま戻ってこなくて……風邪が悪化したって、そのまま先に帰っちゃって。
保健の先生からその説明を受けたあと、やんわりと、「人の成長はそれぞれだから、嫌がることはしちゃダメですよ」と釘を刺された。
名指しこそされなかったけれど、あの時あの部屋にいたあたしたちは全員、「自分に言われているんだ」と思って、すごく苦しかった。
その苦しさから逃れるために、あたしたちは高名瀬をいじめた。
あんなことになったのは高名瀬のせいだって、責任を高名瀬一人に擦り付けた。
その結果、高名瀬は学校に来なくなり、中学は遠い別の学校へ行くことになった。
そうか。
あの時のあの重くて苦しい気持ちって、喪失感だったんだ。
当たり前にそこにあると思っていたモノが、完全無欠に自分の前からなくなって、そしてもう二度と触れることも出来ない。
そう突きつけられて……ツラかったんだ、あたし。
「けど、一緒にお風呂に入るくらい…………」
ふと、脳裏に柳澤のいやらしい視線が思い浮かぶ。
教室が熱くて、ブラウスのボタンを一つ外して、ほんのちょっと襟元を開けただけで、上から覗き込んでこようとする、あの目。
必死過ぎて、気持ち悪い。
テメェに見せるつもりはねぇんだっつの。
……まさか。あたし、あの時、あんな目をしてたのかな?
そりゃ、確かに、ほんのちょっとくらいは興味があったけど……だって、高名瀬、小学生とは思えないくらいに胸がでっかくて、「どうなってんのそれ!?」ってくらいで……だから………………
「……くそっ。なんで、ムカついてる相手に、申し訳ない気持ちになんなきゃイケないんだよ」
……嫌だったろうな。
小学生でさ。
今だったら、それなりにあしらい方も分かるけど、そういうの、全然知らないような子供のころだしさ。
ただでさえ、照れ屋だったもんなぁ。
「好きな子いるの?」って聞くだけで真っ赤になって。
「……あのころは、よく笑ってたよなぁ」
高校で再会してからの高名瀬は、全然笑ってなかった。
最初は、当然じゃんって、ザマァって思ってたけど……
最近また笑顔を見せるようになって、「あ、笑ってんなぁ」って思ってさ、……つか、なんで笑顔向けてんのが鎧戸なわけ?
あたしには、アレ以来一回も笑顔向けてないのに。
鎧戸、ムカつくんだけど。
……あれ?
え、待って。
あたし、鎧戸に嫉妬してんの?
そう思ったら、なんかもやもやしてたものが一気に晴れていった。
吹き飛んでった感じ。
あたし、すっごい怒ってたけど、本当は自分が悪いって認めたくなかったんだ。
いや違う、怖かったんだ。
謝りに行って、もし、その時に許してもらえなくて――
「りっちゃんなんか、もう友達じゃない!」
――って言われるかもしれないって、怖かったんだ。
だから、高名瀬がいなくなった時に、あんなに苦しかったんだ……
「……マジか、あたし」
ずっと、ずっと後悔してた。
親友だと思ってた。
その親友が、自分のせいでいなくなってしまった。
それを、認めるのが怖かった。
「……なんで、こんなタイミングで」
あいつは、あたしの好きな人を盗ったのに。
あたしが、どんなにアピールしてもスルーしてたレンゴクが、あんな楽しそうに笑って、話しかけて、「お前は俺の天使だ」なんて…………
「羨ましいだけじゃん……」
盗ってなんかない。
盗られるもなにも、そもそもあたしんじゃないし。
「あぁ、もう……さいあく」
気付きたくなかった。
こんな気持ち。
苦しいの、みんな、あたしのせいじゃん……
「……帰って寝よ」
頭が重い。
うなだれてトイレを出る。
人がいなくなった廊下を歩いて、階段を降り、下駄箱へ向かう。
靴を履き替えてグラウンドに出ると、会いたくないヤツに声をかけられた。
「あ、やっと見つけたぜ、莉奈!」
柳澤が、嬉しそうな顔をして駆け寄ってくる。
……来んな。
「もう大丈夫だぜ」
はぁ?
「……なにが?」
「だから、高名瀬」
ドクン――っと、心臓が波打った。
「母さん、あ、いや、オフクロに言ってさ、そういうプロを用意してもらったんだ」
……は?
なに?
なんのプロ?
「下校中、一人になった時に襲ってさ、ライトバンで拉致ってヤっちまうんだよ」
……はっ?
はぁっ!?
「これであの地味女、二度と学校出てこられなくなるぜ。いや、学校どころか、この街にもいられなくなるかもな」
こいつは、何を言ってるの?
……なに、笑ってんの?
「もう二度と顔見なくて済むぞ。よかったな、莉奈!」
よかっ、た?
よかった、って、言った? こいつ。
よかったって…………
「いいわけないじゃん!? なに考えてんのあんた!? 正気!?」
「えっ? えっ、えっ? だって、ムカつくって言ってたじゃん。邪魔だっつーからさ」
「それは……っ」
違くって……あぁ、もう、さっき気付いちゃったから、もうなんも言えない。
それ、あたしが悪いんだって……
「つーかさ、なんかムカつくじゃん、あいつ? 暗くて、地味で、手作りカイロ~とか言ってさ、マジ笑える」
……なに笑ってんだよ、てめぇ?
「それにさ、鎧戸もこれで思い知るんじゃね?」
「……鎧戸?」
なんで今、鎧戸?
「あいつさ、前に莉奈がムカつくって言った時にシメようとしたんね?」
「はぁぁあ!?」
なにそれ!?
初耳なんだけど!?
「あたしそんなこと頼んでないし!」
「まぁまぁ、あん時は、鎧戸にうまいこと逃げられてさ、有耶無耶になっちまったんだけどさ。でも今回のことで思い知るっしょ。あいつ、あの地味女に惚れてんじゃん? もうバレバレだっつーの」
なんだろう。
こいつがなんでこんなに笑ってるのか、理解が出来ない。
それどころか、こいつの声聞いてると、目の前がぐらぐらして、吐きそう……
「どうせだったらさ、滅茶苦茶にしたあとあいつの家に届けてやろうか? あ、それか、行為の映像撮って送りつけてやる? あいつ、血の涙流して悔しがるんじゃね? ぎゃははは! いい気味!」
あたしは、この時寒気を覚えた。
怖気が走る。
こいつ、マトモじゃない……
「ま、今日中に結果出すから、明日を楽しみにしてろって」
明日?
今日中?
心臓が嫌な音を立てる。
汗が額から吹き出してくる。
「……高名瀬っ」
気付いたら走り出していた。
まだ残ってて!
あいつ、最近鎧戸と一緒に遅くまで残ってるの知ってる。
今日もきっと、どこかで鎧戸と……でもどこにいるの?
冷静に考えようにも心臓が暴れ出して、何も考えられない。
とりあえず教室へ!
そこにいてくれれば、それでいい。
もし、いてくれたら、謝って、全部話して、それで……
「高名瀬っ!」
けれど、教室にいたのは鎧戸とレンゴクだった。
……高名瀬は?
鎧戸、一緒じゃないの?