91 人気のない放課後の教室で
筋肉アームから解放され、がっつりと減らされたHPを少しでも回復させようと深呼吸をしていると、オタケ君が神妙な声で、こんなことを言ってきた。
「鎧戸。驚かないで聞いてほしい……俺は、その…………本気で好きなんだ!」
「ごめん、僕はおっぱいが大きな女性が好きなので」
「そんなことは知っている! 今、関係ないだろう!?」
いや、だって。
この雰囲気、まるで僕が告白されたみたいだったから。
「お前の、その、お姉様の…………さ、ササキ先生が………………なんで苗字が違うんだ? まさか既婚者なのか!?」
「残念ながら、ウチの姉は生涯独身だと思うよ。伴侶になる相手の方が気の毒過ぎて、僕が全力で止めるから」
「独身なのか、……よかった。恋人は?」
「いない。その代わり変人」
「心に決めた変人がいるのか!?」
「いや、変人なのはウチの姉」
心に決めた変人ってなに?
見たことあるの? 心に決めた変人がいる人?
「姉の苗字は鎧戸だよ。名前が三々姫。鎧戸三々姫」
「……名前だったのか、ササキ先生」
うん、びっくりするよね。
「じゃあ、あのバスタオルの匂いは――」
「たぶん、ウチの匂いじゃないかな? 姉の服もみんな一緒に洗ってるし」
柔軟剤の匂い、落ちきってないのかな?
すすぎの時間を長くしてみよう。
「すまん、鎧戸! 少しだけ嗅がせてくれ!」
「のぉー!」
両腕を突っ張って、体を出来るだけ密着させないよう懸命に抵抗する。
さながら、主人にキスされたくない小型犬のように!
メンズラブ疑惑が払拭されても、オタケ君の危険度が一切下がらないのはなぜ!?
夏場にメンズに引っ付かれてくんかくんかされるとか、地獄以外の何物でもないよ!?
「どうせなら、高名瀬さんに引っ付いてうなじの汗とかをくんかくんかしたい!」
「鎧戸……お前、心で思っても、そういうことは口に出すなよ」
「行動に移してる人に言われたくないよ!?」
いいから離れて!
あと四歩下がる!
がるるぅ!
「しかし、そうか……お前のお姉さんなのか…………言われてみれば、鎧戸は、どことなくチャーミングだな」
「ごめんね、オタケ君。僕はオタケ君を甘く見てた」
ここまで残念ボーイだったとは。
予想外だよ!
そして、がっかりだよ!
「ち、ちち、ち、ちなみに」
「乳ならないよ、ウチの姉」
「そんなことは聞いてない! 破廉恥なのはダメだ! 彼女を汚すことになる!」
多少汚れても、たぶん気にならない程度にはヨゴレだと思うよ、ウチの姉。
「ちなみに、ササキ先生……お姉様の好きな食べ物はなんだ?」
「味噌汁かな」
「……家庭的だ」
いや、どっちかって言うと、家庭的なのは姉のために味噌汁を作ってやっている僕の方じゃないかな?
ヤツは飲むだけだよ。
「普段、家ではどんな感じなんだ?」
「パンイチだね」
「羨ま……っ、いや、そ、そういうのは、家族以外には言うんじゃない。他の誰かに聞かれたら、その、彼女がズボラな人だと誤解される」
誤解もなにも、ズボラなんだよ、ウチの姉は。
「ち、ちなみに……ぱ、ぱんつの色は……いや、なんでもない!」
なんでもなくない発言が飛び出しかけてたけども?
「そんなことを聞くなど、非人道的だ! 許されることじゃない……あんな可憐な女性に対して……っ! でも、知りたいっ!」
紳士的であろうとする心と、高校生男子らしい思春期がせめぎ合っているようだね。
あんな姉のために、なんて無駄な苦悩を……
「可憐よりカレーが似合う姉だよ。この前、パンイチでカレー食べてて、こぼして、パンツにカレーのシミつけてたし」
「ごちそうさまです!」
あぁ、残念。
思春期が押し勝っちゃったかぁ。
「く、ぅ……鎧戸の話は刺激が強い。俺は女子とはまともに話したこともないのに」
え、いやいや。
戸塚さん、めっちゃ話しかけてるよね?
返事してあげれば普通の会話になるよね?
っていうか、高名瀬さんとも普通に会話してたよね?
なんかちょっと楽しげに、モンバスには握力が必要とか言ってたんでしょ?
あれ?
好きな女性以外カウントされない感じ?
「やはり俺としては、年上の頼れる女性にリードしてもらいつつ、少しずつ女性に慣れていき、ゆくゆくは恩返しの意味も込めて生涯の伴侶として一生涯不自由のない生活を約束する、そういう未来設計でいきたいと思っているのだ」
重い。
重いよ、恩返しが。
そして、あなたの財力を鑑みるとなかなか笑えない状況だよ、それは。
いけない。
初めての女性があんな姉では、オタケ君の女性観がねじ曲がってしまう。
なんとか、姉との接触は阻止せねば!
僕としては、是非とも戸塚さんに頑張ってもらって、オタケ君が血迷った挙句に姉の犠牲者になる未来だけは避けたい。
戸塚さん頑張れ。
めっちゃ頑張れ。
そんな心の応援が届いたのかなんなのか、人気のなくなった校舎内に慌ただしい足音が響き渡り、血相を変えた戸塚さんが教室へ飛び込んできた。
まさに転がり込んでくるというような勢いで。
「高名瀬! 高名瀬は!?」
必死の形相で高名瀬さんの名を呼ぶ戸塚さんの表情に、只事ではないことが起こったのだと、僕は直感した。