89 好意の有無
「オタケ君の好きな人が、ウチの姉?」
そんな、まさか……
「ないよ。だって姉だよ? あれを好きになる人って、人類のカテゴリーから大きく逸脱し過ぎてるよ」
「実の姉をどんな目で見ているんですか、鎧戸君は」
だって、家ではほぼ半裸族で、口を開けば「あれやって~」「これやって~」で、料理も出来ず、掃除も出来ず、洗濯物だって言わないと出してこないような姉なのに?
そういえば、姉が以前「料理も出来ず、掃除も出来ず、整理も整頓もやる気すら見せない。そんな者にあたしはなりたい」とか言ってたっけ。
作者が違うが、貴様は人間失格の方だろうとツッコミをいれた僕を、誰も咎めることは出来ないだろう。
「人間失格ですよ、ウチの姉は。いや、アレは」
「『アネ』を一文字変えると、親密度の落差がヒドイですね。とてもいい先生ですよ、ササキ先生は」
「では、一週間ひとつ屋根の下で暮らしてみてください」
「それはご遠慮申し上げます」
やはり、数回でもアレと一緒に過ごすと、その面倒くささは理解できるようだ。
賢明な判断です、高名瀬さん。
「オタケ君、女性の趣味が壊滅的に悪いね」
「胸の大きさで女性を選ぶ人よりはまともだと思いますが」
「違うよ、高名瀬さん。僕の理想は笑顔が素敵な女性だから」
「どこかの異世界で『胸が大きい』という言葉が『笑顔が素敵』という意味で使用されているのでしょうか?」
「いや、異世界じゃなくて現実の話で!」
くぅ……うっかりおっぱいが大きい人が好きと言いかけただけなのに。
言いかけて思い留まったのに。
高名瀬さんめ、いつまでも古い話を。
「それに、職場で見るササキ先生は素敵な女性ですよ」
「家にいると、詰め替え用トリートメンを持っていったお客様を素っ裸で風呂場に引きずり込もうとするけれど?」
「それは……記憶の奥に封印したことを思い出させないでください」
薄っすらと頬が朱に染まる。
全部見ちゃったんだろうな。
気の毒に。
「なだらかだったでしょ?」
「そんなとこは見てません!」
じゃあ、どこを見たというのか?
……あ、怖い目でこっち睨んでる。これ以上突くのはやめとこう。
「バッテリー切れの鎧戸君の処置をするササキ先生はカッコよくて仕事の出来る大人な女性という雰囲気でしたし、学校でササキ先生を見たのであれば、男子高校生が年上のお姉さんに憧れてしまう気持ちも分かります」
「僕が知らない姉がいる……」
「鎧戸君は気絶してますからね、そういう時は」
僕が見てないところでだけカッコいいのか。
なんかズルいぞ、姉!
「その分、鎧戸君の前では可愛らしいじゃないですか」
「かわ、いい? えっと、それは異世界の言語?」
「現代日本の言語での意味そのままです」
いやぁ、可愛いかなぁ、あれ?
顔はまぁ、整っている方だとは思うけれど。
「美人だとは思うけどね」
「とはいえ、こうもまっすぐに身内褒めをする男子高校生はちょっとシスコンっぽくて引きますけれど」
じゃあ、どうしろと!?
なんか姉を褒めよう的な流れだと思ったのに!?
「とにかく、そういうことですので、オタケ君が鎧戸君を狙っているということはあり得ません。女性が好きだと明言されていましたし」
「そっかぁ。なんか、ほっとした」
これで、オタケ君を傷付ける心配はないね。
「まぁ、ちょっと驚きますよね、誤解とはいえ」
「いろいろと状況が状況だったから、つい」
壁ドンとかあごクイとか、妙に距離も近かったからねぇ。
「異性だったら、今ほど焦りはしませんでしたか? 例えば、戸塚さんとか」
「戸塚さんには、今朝『死ね』って言われた」
「……何したんですか、戸塚さんに?」
「何もしてないよ? 机に突っ伏してたから、『具合悪いの? 大丈夫?』って言ったら『死ね』って」
「……おそらく、わたしのせいでしょうね」
「それはないんじゃないかな。戸塚さんって、そこまで悪い人じゃない気がするし」
「…………はい。そうだと思います」
高名瀬さんは、弱々しく微笑むと、少しだけ泣きそうな顔をした。
「元気で明るくて、みんなの人気者だったんですよ、小学生のころから、ずっと」
そんな彼女と、不幸な行き違いで疎遠になった。
高名瀬さんは、今もきっとそのことを引きずっている。
「じゃあ、自慢の友達だね」
「……友達、では、ないでしょうけどね、もう」
「それを決めるのは、高名瀬さんじゃないかもしれないよ」
高名瀬さんが心底戸塚さんを嫌って、もうあんなヤツ友達じゃないって思っているんだったら友達じゃないだろうけど、高名瀬さんはそうじゃないでしょ?
「……でも、嫌われてますから」
「それも、高名瀬さんが決めることじゃないよ。たぶんね」
そう見えるだけ、かもしれないから。
「……では」
ふぅっと息をついて、高名瀬さんが僕を見る。
「オタケ君が鎧戸君を狙っていないと結論づけるのも、時期尚早かもしれませんね」
「いや、そこはもう確定させちゃおうよ!?」
「それを決めるのは鎧戸君ではありません」
「なんの仕返し、これ!? 割と高名瀬さんに寄り添ったつもりだったのに!?」
気に障ったのかなぁ!?
「ふふ……感謝は、しておきます」
いたずらっ子のように笑って、素直じゃない感謝を口にする。
まったく、高名瀬さんは……
「そんなところも可愛いね」
「……は?」
呆けて、数秒後に真っ赤に染まる。
うん。やっぱり高名瀬さんは可愛い。
これだけは、揺るぎない事実だ。