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高名瀬さんの包丁さばきは見事なもので、派手さはないけれど、経験による安心感と本人の性格によるところが大きいのであろう丁寧さがあった。
「すごい、三つの料理が並行して出来てくる」
「三つの料理って……、サラダとスープですよ」
いやいや、それでもなかなか難しいって。
というか、そのスープ何?
「セロリをスープに使うって言ったから、味噌汁に入れるのかと思ってた」
「発想が雑ですよ、鎧戸君」
初めて言われた、そんな悪口。
「それに、オムライスにお味噌汁は合わないじゃないですか?」
「いや、合うよ?」
「黙ってろ、姉」
貴様はバニラアイスにも味噌汁を合わせる女だろうが。
「なので、セロリのポタージュです」
「ポタージュって、コーンしかないのかと思ってた」
「ふっふっふっ、甘いな、弟。カボチャのポタージュも美味いんだぜ?」
「姉が味噌汁以外の汁物を!?」
「大丈夫。そん時も味噌汁は飲んだ」
「砂漠でも彷徨ってたのか、貴様は」
どんだけ汁物を摂取するんだ。
「……ふふっ」
姉との会話を聞いて、高名瀬さんの肩が小刻みに震え始める。
「いつもそんな会話をしているんですか?」
「姉がしょーもないことばかり言うもので」
「鎧戸君もですよ。砂漠で彷徨ってもポタージュと味噌汁は同時に飲みません」
でも、のどが渇いたら味噌汁でもがぶ飲み出来そうじゃない?
「あっ、ササキ先生。今日お味噌汁の用意をしてないんですが……?」
「絶対なきゃダメってわけじゃないから、大丈~夫。ただ好きってだけだから」
「そうですか。では、今度はササキ先生にお味噌汁を作りに来ますね」
「やったぞ、姉! お泊まりだ!」
「違いますっ!」
えぇ~っ!?
だって、お味噌汁と言えば朝ご飯!
「僕、台所から聞こえる『トントン』って包丁の音で目覚めるのが夢なんだけど!」
「そ、それは……将来のお嫁さんにでもしてもらってください!」
えぇ~……将来のお嫁さんが料理上手か分からないのに?
姉を見続けてきたから、女性は家では料理しないってイメージが強いんだよねぇ、なんとなく。
「じゃあ、ポーちゃんがお嫁に来てくれたら万事解決だね」
「そ、そういうことを、軽々しく口にしないでください!」
「なんでなんで? 今なら、美人なお姉さんもついてくるよ☆」
「ついてくんな」
え、なに、姉、僕の新婚家庭についてくるつもりなの?
わぁ、言葉にならないほどの高負荷。
ハンデがえぐいよ。
結婚が遠のいたなぁ……
「……生涯独身かぁ」
「おいおい、そこまでマイナスにはならんだろう、あたしが付属したとしても」
「まっさらな雪景色にケチャップぶちまけたくらい価値が下がるわ」
「そーゆーのが好きな人もいるって。その雪だって、イタリアンかき氷って言えばマニアが食いつくって、数名は」
一切フォローになってない励ましを寄越しつつ、僕の背中を叩く姉。
きっと、地縛霊ってこんな感じでしつこく付き纏って離れてくれないんだろうなぁ。
「お二人の仲が睦まじいのは分かりましたから、少し手伝ってください」
「分かった、ポーちゃん! 試食だね!」
「違います。テーブルを拭いてカトラリーを並べてください」
「カトラリーって、お箸に対して大袈裟だよ~」
「スープもお箸でいく気ですか、ササキ先生?」
「スープも箸でいくんですよ、ウチの姉は」
今日はスプーンを使わせるけどな。
おしゃべりしている間に、料理はほぼ完成していた。
驚きの手際だ。
「では、タマゴを焼きます」
ケチャップライスをラグビーボール型に盛り付けて、薄焼き卵を焼き始める高名瀬さん。
タマゴ以外にも何か入れていたみたいだけど……生クリーム、かな?
なんだかタマゴがふわふわだ。
「これを…………よっ、と」
フライパンをひっくり返して、チキンライスの上に「ふわっ」とタマゴを載せる。
「「おぉーっ!」」
姉弟揃って拍手喝采。
額の汗を拭うような仕草をして、高名瀬さんは会心の笑みを浮かべる。
ちょっと嬉しいんだ、上手に出来て。
こうして、ついに、クラスメイトの女子が、僕の家で作ってくれた、伝説級のオムライスが完成した!
実在、したんだなぁ……
「そして、秘密兵器のディスペンサーです」
高名瀬さんが、小さなポーチから、先端が細く尖ったプラスチックの容器を取り出す。
ホットドック屋さんでケチャップやマスタードが入っていそうなヤツだ。
「それは?」
「名前を書いてほしいということでしたので、持参しました」
「本格的だね!?」
市販のケチャップの容器からダイレクトで、もっと適当に書くのかと思ってた。
「一応練習してきたんですが、ディスペンサーでないと『鎧』は難しくて……」
「漢字で書く気なの!? ひらがなでよくない!?」
「……その手も、ありましたね」
わぉ……
まさかの天然。
「あはは~、ポーちゃんって、頭いいのにバカなんだね~」
「失敬ですよ!? 姉弟揃って同じこと言わないでください!」
ぷぅぷぅ怒りながら、高名瀬さんは持参したディスペンサーで『よろいどくん』と名前を書いてくれた。
よかった、オムライスに『しゅうまい』って書かれなくて。