108 煩悩
「煩悩です……この二人は煩悩の塊です」
涙目で戻ってきた高名瀬さんと、ツヤツヤした顔の煩悩系女子二名。
楽しそうな顔しちゃって。
「自分にも付いてるんだから、そんなに興味持たなくても……あ、そっか、ごめん」
「今何を察したのかしら、シュウ?」
「怒らないから、正直に言ってごらん? ん?」
この世で絶対に信じてはいけない三つの言葉。
絶対何もしないから、ウチにおいで。
マラソン、一緒に走ろうね。
怒らないから、言ってみて。
「トップ3の一角を言われて、それを信じるとでも?」
「あのね、鎧戸。『お年玉、お母さんが預かっておくわね』が抜けてるわよ」
戸塚さんの意見に、高名瀬さんが「うんうん」と頷いている。
「高名瀬さんも、そんな経験が?」
「ウチの母は、親戚の家からの帰り道、わたしのお年玉を預かって……スティックコントローラーを買いました」
娘の目の前で!?
ワンクッションも置かずに!?
「我が家のゲームセンターが充実した喜びと、わたしのお年玉なのにという悲しみがせめぎ合っていました」
「ちょっと、待って高名瀬さん……『我が家のゲームセンター』?」
え、あるの?
あれ、君ん家って旅館か何か?
「地下に、十二畳ほどのゲームセンターがあります」
「広っ!? リビングじゃん!?」
「そうですね……母は基本的にそこにリブしています」
本気でリビングだね。
リビングにリブしてあげなよ。家が泣いてるよ?
「あんたんとこ、前の家にもゲームコーナーなかった? ほらあの、小さいクレーンゲームが置いてあった一角」
「はい。引っ越しを機に、一気に規模を拡大して家庭用ゲーム機各種と筐体がいくつか置いてあります」
筐体って!?
ゲームセンターに置いてある、お金入れて遊ぶあのでっかいゲーム機!?
家に置けるものなの!?
っていうか、どっかに売ってるの、アレ!?
いやそれよりも、クレーンゲーム置いてあったの、前の家!?
母親と姉がゲーマーで、妹ちゃんが苦労してないか心配だよ。
「妹が好きなので、最近ではレースゲームも充実しています」
あぁ、残念。
妹ちゃんもゲーマーの毒に冒されているっぽい。
「お母さんと妹ちゃんがゲーマーなのは分かったけど、お父さんは何も言わないの?」
「ウチの父は……その…………母のことが大好き過ぎるので……」
文句一つ言わないんだね。
ユニークな家族だなぁ。
「ウチも似たようなもんじゃない。母親に何も言わない父親」
「姉よ。ウチのは、『言わない』んじゃなくて『言えない』んだよ」
母に意見などしようものなら、鉄拳が飛んでくるからな。
特に父には、容赦なく。
「ちなみに、高名瀬さん。ウチの父は、母を見ると二~三週間は寝込むから」
「この前、マニラまで逃げてたよね。『なんか寒気がおさまらない』とか言って」
「何をしたんですか、鎧戸家の母君は?」
「「え、聞きたい?」」
「結構ですってば!」
高名瀬さんからの強い拒絶。
「ってば!」ということは、姉が以前話そうとして拒絶されたのだろう。
それがいい。
世の中、知らない方がいいことなんていくらでもある。
「ウチの親父も、オフクロには逆らわないな」
と、オタケ君。
「ラブラブ系? ガクブル系?」
「隨分極端な二択ね」
戸塚さんが呆れる中、オタケ君は「どちらかと言えばラブラブ系だな」と返事をくれる。
「親父の会社は、親父が結婚前に立ち上げたものなんだが……社名を『MiSSNa』といってな」
うん、それは覚えた。
高名瀬さんがやってるオンラインゲームとか作ってるんだよね。
メインはセキュリティ会社だっけ?
「その名前の由来が……ここだけの話にしてほしいんだが――」
ここだけの話、話しまくりだね、オタケ君。
高名瀬さんと視線が合って、どちらからともなく苦笑を漏らす。
同じこと、考えてたみたい。
「社名の由来が、結構イタイんだ」
「由来って?」
「ちなみに、『MiSSNa』とはどういう意味だと思う?」
どういう意味……って。
「『御岳セキュリティサービス』…………あれ、『Na』が残る」
僕が小首を傾げると、戸塚さんが頑張って知ってる英単語をひねり出した。
「な……ナショナル、とか? あとは、ナビゲーションとか……ナ、ナ……」
「……ナタデココ」
「そんなわけないでしょ!?」
ちぇ、つられて言わなかったか。
「こういう時はポーペディアの出番だよ! さぁ、高名瀬さん、『Na』から始まる英語を知ってるだけ言ってみて!」
「誰がポーペディアですか。それに、どんな英単語を並べても、正解にはたどり着けそうにないですよ」
と、高名瀬さんは手でオタケ君を指し示す。
ホントだ。
なんか顔が「そーゆーんじゃないんだよなぁ」って感じで、余裕ぶってる。
「ちなみに、姉は知ってるの?」
「残念ながら、名前の由来までは知らないなぁ」
つまり、オタケ君しか知らないわけだ。
うぅむ、ちょっと気になる。
「降参したら、教えてくれる?」
「まぁ、いいだろう。おそらく、一生かかっても正解は出てこないだろうから」
そんな言葉のあとに、オタケ君は解答を教えてくれる。
日本有数の大企業、世が世なら財閥とすら呼ばれているであろう『MiSSNa』のその名の由来を。
「『ミナクニ、しゅき、しゅき、ナツキたん』で『MiSSNa』だ」
……しゅきしゅき。
「えっと、ミナクニとは?」
「俺の親父、御岳皆国だ」
「じゃあ、ナツキたんは――」
「オフクロの名前だ」
わぁ~お。
「親父は、どうしてもオフクロと結婚したくて、したくてしたくて、どれだけ自分がオフクロを愛しているかを示すためにと、この名の付いた会社をどんどんと、それはもうどんどんを大きくしていったのだ」
愛の大きさ、無限大だね。
そのおかげで、MiSSNaは日本有数の大企業になったと。
「ちなみに、この話をオフクロの前ですると、刃物を持って追いかけ回されるから注意するように」
デンジャラース!
「つまり、オタケ君のお父さんが、お母さんを好き過ぎて好き過ぎて、この名前が付いたんだね」
「そうだ。具体的には、オフクロの太ももが堪らんかったらしい」
「……煩悩の塊ですね、どいつもこいつも」
ぽそりと呟かれた高名瀬さんの毒は、聞かなかったことにした。