第一章「私からするとほぼ不合格ですけどね」④
1週間後の出発の日、正午の鐘が鳴っていた。
必要最小限の荷物と、長年使いこんだ弓だけを持った私が博士の家の前についた時、正午を知らせる鐘が鳴る。その音と同時に重厚な扉を開けて出てきた博士の瞳が私を見つけると、笑顔になって私に向かいこう言った。
「荷物が重いから手伝ってクダサーイ」
リビングに入ると、革で作られた巨大なカバンがソファに転がっていた。博士がそのまま入れそうな大きさのそのバッグは、持ち上げてみるとかなりの重量があり、当然私はこの中身が気になっていた。
「博士、これめちゃくちゃ重いんですけど、何がはいっているんですか?研究に関わるものですか?」
「いえ、研究に関わるものは入っていないデス」
「じゃあ、次の質問は『中を見ても良いですか?』です」
中を開けてみると、要らないもので溢れていた。博士が昔から持ち歩いているらしいぬいぐるみ、愛用しているマグカップ、おばあちゃんからもらった大きなはさみ、ドライバー、コップ、皿、着火剤、ガス缶、衣服、トランプやボードゲーム。いや衣服はいらないって話だったでしょうが。
「あなた魔法使いですよね?ハサミも着火剤ガス缶も要らないでしょう?」
「スイマセン」
「あと、なんで上着、スカート、下着、靴下全部小分けにしてるんですか。わざわざ革の袋に入れて。袋の中に袋ばっかり入ってマトリョーシカみたいになってますよ。最終的に中身無いのかと思いましたよ」
「スイマセン」
「っていうかこの大きなカバンの内容物がほとんど袋ですよ。革の袋が内容物の50%占めちゃってますよ」
「ヨソウガイデス」
最終的にハンドバックサイズの荷物になった博士と家を出ることになるまで1時間近くかかってしまっていた。
私達はアクトンの南端に位置する駅に向かっている。少し丘の上にあるその駅に向かいながら私は初めて会った日に聞きそびれていたことを博士に聞いてみることにした。
「そういえば博士」
「ハイなんでしょう」
「初めて会った時、博士が異様に喜んでいた気がするんですけど、私以外に面接に来た人はいなかったんですか?」
「あー…そうですね。あの求人で来てくれたのはレインが一人目デスよ。…なので結構ビックリしましたね!」
「そうだったんですね…。ということは、研究は今までずっとお一人で?」
「アクトンに来てからはそうデスね。それ以前は後輩の女の子と二人で研究をしていたのデスが、色々あって私一人でやることになったのデス。」
色々あった…?それが原因で中央魔法研究所を離れることになったのだろうか。
私が「そうだったんですね」と受け答えると博士が言葉を続ける。
「その子と揉めた、とかじゃないのでご安心クダサーイ。私の研究内容が組織的にちょっと微妙でして…やりにくいので一人でやってみることにしたって感じデス。」
なるほど。その後輩の人と会うことが有れば、博士の研究内容が分かるかもしれないと考えていると、次の街へと向かう列車が停まっている駅にたどり着いた。
「じゃ、行きマスか」
「はい」
列車へ向かい前を歩く博士に私はついて行く。駅から見える田舎町の故郷を見渡しながら新しい世界へと足を踏み入れる私の背中を、故郷の風が押してくれた気がした。
新しい生活を始める時はいつも、その最初の光景を忘れず覚えている。私がこの旅を振り返る時、一番最初に思い出すのは、目の前を歩く小柄な女性の後ろ姿と、この夏草の揺れる丘になるのだろう。