第1話 2
――ユニバーサル・スフィアへの接続を確認。
不意に発せられたシステムメッセージに、休眠待機させていたローカル・スフィアが稼働を始めて、私は目覚める。
実に七十八億八千四百万秒――大銀河帝国基準で二百五十余年振りの稼働だ。
以前目覚めた時は、星竜の次元航行が引き起こした、時震に巻き込まれそうになった時か。
まだロールアウトから五十年ほどの小娘だったから、対処の為に四苦八苦した。
目を開けば、漆黒の宇宙の中にぽつんとふたつの天体が直近に見える。
相対距離は約五〇万キロ。
ローカル・スフィアに記録されたデータとの比較から、人類居住可能惑星とその衛星だとわかる。
「……ロスト・ホーム型ですか」
前回の目覚めた位置と経過時間から、記録されている<既知人類圏>図に当てはめて、現在地を割り出す。
三百年以上前の星図データでは、まだギリギリ<既知人類圏>の端――辺境の辺りだと思う。
断言できないのは、私が<大戦>の結果を知らないから。
あの戦いに人類が負けてしまっていたなら、その版図は大きく後退している事になる。
「……いったいどうなったものやら。
私やあの子を捨てて、どうやって人類は既知外ども――おっとこれは差別用語でしたか。EX-Tどもに勝つつもりだったのやら……」
思考がよそに逸れてしまった。
自己進化を繰り返した私のスペシャルな頭脳とローカル・スフィアに刻まれたあの日の記録が、勝手に脳内再生しそうになって、慌ててそれを停止する。
今考えるのはそれじゃない。
「少なくとも現在、ユニバーサル・スフィアに接続できている以上、あの星には人類がそれなりの規模で生存しているはずですよね……」
私は繋がったあの惑星のユニバーサル・スフィアに意識を向ける。
「うわっ……これは……」
そして、思わず呻いた。
SNSがまるで構築されてない、まっさらなネットワーク網――個々のローカル・スフィアが作り出す基礎システムで繋がっただけの、ただの経路だ。
「……移住したものの、文明を維持できずに衰退したパターンですかね……」
そういうテーマを扱ったムービーがあるのだと、娯楽好きな妹が言っていたのを思い出す。
と、その時。
『――誰か! 誰か助けてっ!』
まっさらなユニバーサル・スフィアに悲痛な色で響く女声。
「おっと、いるじゃないですか! SNSを使える人が!」
私はただちに声の主のローカル・スフィアに接続。
そして、彼女の記憶を辿って状況を把握する。
「――リ、リカルド様? わ、悪い冗談ですよね?」
わたしは地面に押さえ込まれてもまだ、なにが起きているのか理解できず、すがるように彼を見上げました。
そうです。彼は出会ってからずっと優しかったのです。
こんな……こんなひどい事、なさるはずが――
ぬかるみに濡れたスカートを通して、溶けた雪の冷たさが身体を凍えさせます。
そんなわたしを見下ろして、腕組みしたリカルド様は笑みを浮かべました。
「冗談? そうだな……」
ああ、やっぱり!
きっとこれからの旅路に不安を抱いているわたしに、彼なりの冗句で和ませようとなさったんだわ。
と、わたしはなんとか自分を納得させようとしました。
なぜクレリアお嬢様がいるのかとか、そういうのは見ない振りをして……
そうなじゃいと、わたし……
「そもそもの話、おまえと将来を誓うという事が、冗談のような話だと思わないか?」
そう告げてわたしを見下ろすリカルド様の目は、ひどく冷たくて。
ひゅっと、甲高く鳴った音が自分の呼気だとすぐには気づけませんでした。
「自分で言い出した事ながら、バカな事をしたと――この三年間、ずっと悔やんでいたよ。
だが、リーリア。
おまえが俺の思い通りに踊ってくれたお陰で、俺は賭けに勝つことができた!」
一転して、愉快そうに笑いだすリカルド様。
「か、賭け?」
「そうだ。リーリア。そもそもおかしいと思わなかったのか?
庶子のおまえごときに、俺や側近達がこぞって求愛するなど、ありえると思うか?」
「そ、それは……ですが――!」
出会ってから三年間、リカルド様はずっとお優しかったのです。
――庶子なんて気にしない。大事なのは君自身だ。
そう仰ってくださったのは、他ならないリカルド様だったではありませんか。
側近の皆様も、だからわたしに優しくしてくれているのだと――わたしはずっとそう信じていたのです。
「いいか、リーリア?
この三年間、俺は側近達とゲームを愉しんでいたんだ。
堕女ゲームという、高貴な俺達だからこそ許されるゲームをな!」
リカルド様が……なにを言っているのか理解できません。
「――頭の悪いアンタにもわかるように教えてあげるとね!」
と、クレリアお嬢様が腰を折って、うつむくわたしの顔を覗き込むようにして告げます。
「リカルド様と側近の皆様で、アンタをどれくらい惚れさせられるかを競うゲームだったのよ!」
「……じゃあ、昨日、わたしにくださった想いは――」
わたしの吐き出すような言葉に、リカルド様は鼻を鳴らします。
「おまえを完全に堕とす為の方便だ。
兄上が即位なされば、俺は公爵だぞ? 誰がその立場を捨てて平民になる馬鹿がいる?」
「――真実の愛はっ!?」
途端、リカルド様は大声で笑い出します。
「そんなモノを信じていたのか!?
――おまえみたいな庶子に、王族の僕が本気になるわけがないだろう?
愛など、持たざる者達が創り出した幻想だ!
形のないものにすがるしかできない、愚か者達の妄想の産物なんだよ!」
思わず耳を塞ぎたくなりました。
けれど、護衛に両手を押さえられてそれもできません。
蕩けるような甘いあの囁きと同じ声で、それを否定する言葉を口にするリカルド様。
……胸が……圧し潰されるように苦しい。
気づけばわたしは、ぼろぼろと涙をこぼしていました。
そんなわたしを見下ろし、クレリアお嬢様がケラケラと哂います。
「いい気味だわ! この三年――いいえ、アンタがウチに来てから、ずっとず~っと目障りだったのよ!
ねえ、今どんな気持ち?
信じていた、だ~い好きなリカルド様に騙されてたって知って、どんな気持ちなの?」
「ふぐっ……うっ、うぅ……」
思わず嗚咽がこぼれ出ました。
その場にうずくまって大声で泣き出したいのに、両手を拘束されたわたしには、それさえ許されないのです。
「さて、冷えてきたし、俺もいつまでもおまえごときにかかずらってるほど暇ではない。
このあとのおまえの処遇を伝える」
……処遇?
「おまえは俺をたぶらかした罪で、この国から追放だ。
セイノーツ伯も同意している。
元々、この地を離れるつもりで出向いたのだろう? 望みが叶って良かったな!」
……もう、なにを言われているのか理解ができませんでした。
ただただ、リカルド様とクレリアお嬢様の哂い声だけが耳に残って……
絶望と失意と諦めで、目の前がどんどん暗くなっていきます。
「――良いこと、リーリアっ! 生きなさい! 必ず、必ず……」
リカルド様の護衛の人達に引きずられるようにして連れられるわたしに、ロザリア様がなにか仰っていたけれど、それさえもわたしの耳には届いていませんでした。
護衛の人達によって、強引にボロボロな――幌すらない荷車のような馬車に乗せられて。
覚えているのはそこまででした。
――目を覚ました時。
わたしは馬車の中に横たわっていたのです。
馬車を走らせているのは、下町に暮らしているようなボロボロなコートを着込んだ中年の男性で。
周囲を見回せばすっかり夜となっていて、どうやら森の中を走っているようでした。
「……ここは?」
わたしの呟きを聞きつけたのでしょうか。
「お、目覚めたのか?」
男性が肩越しに振り返って、そう声をかけてきました。
ランタン掛けに掛けられた晶明が照らし出したその顔は赤らんでいて、暖を取る為でしょうか? お酒を呑んでいるようでした。
「……あなたは?」
「オレか? オレはあんたを運ぶように依頼された荷運びよ」
「運ぶってどこに?」
上体を起こして尋ねれば、彼はかたわらに置いた酒瓶を煽って、にやりと笑います。
「もうじき着くぜ。
――嘆きの森さ……」
わたしは思わず息を呑みました。
――嘆きの森。
学園で習ったので、わたしも知っています。
アルマーク王国の南西――隣国にまたがって広がる広大な森です。
そして、国を追われた者が放たれる、流刑の地……
「そこまで……」
わたしはリカルド様に疎まれていたのですね……
「ああ、だがその前に、だ。
あんたが目覚めるのを待ってたんだ」
と、荷運びさんはそう言うと、不意に馬車を留めました。
それから御者台の背を乗り越え、荷台へと踏み込んできます。
「どうせ捨てる女なんだし、駄賃をもらったって良いだろう?」
酔ってふらつく足で、いやらしい笑みを浮かべ、荷運びさんはわたしににじり寄ってきます。
「どうせヤルなら、起きてた方がおまえさんも愉しめるだろう?
オレ、優しくねえか?」
げひげひと喉を鳴らして哂う彼に、言い知れない嫌悪感を覚えて、わたしは咄嗟に荷台から飛び降りました。
「あ、こいつっ!」
荷運びさんの手がコートの襟を掴んで呼吸が止まり、わたしは咄嗟にベルトをほどいてコートを脱ぎ捨て、夜の森に駆け出しました。
――怖い怖い怖い……
涙が滲み、寒さに身体が震えます。
「――待て、こらぁっ!」
わたしを追って、荷運びさんが怒鳴ります。
――誰か! 誰か助けて!
声にならない声で必死に願います。
「逃げ回ったって無駄だ! すぐに追いつくぞ!」
わたしを怖がらせる為なのでしょうか。
彼は手にした短剣で木の幹を叩いて打ち鳴らし、わたしを追ってくるのです。
「ああ、誰か――」
その時でした。
――ふむ。
「……文明レベルは中世風。
ソーサル・テクニックは魔法として生き残っているようですが、活用しきれてないようですね」
実地調査をしてみなければ断言できませんが、恐らくは文明衰退が起こったパターンでしょうね。
そんな中で、SNSにアクセスできる彼女は希少と言って良い。
「さてさて、そうなればですよ~!」
私は繋いだままの彼女――リーリア・セイノーツのローカル・スフィアに語りかける。
「――あなたは私を必要としてくれますか?」