第4話 5
……もうなにも考えたくない……
身体を穢され、その苦痛から逃れる為に心にもない言葉を口にさせられて……
きっともう、わたくしは心までもが汚れ切っている……
おかしなクスリを使われて、無理矢理快楽を引き出された時には、確かにそれに身を委ねてしまったわ……
ええ……あの瞬間、わたくしは獣のように悦んでいた……
こんな恥知らずな女は死んでしまえばいい……
いいえ、淑女なら、とっくに舌を噛み切って死ぬべきだったのよ。
……でも、怖くて……死ぬのがたまらなく恐ろしくて、それもできなかった……
牢の扉が開けられて、わたくしはぼんやりとやって来た男達を見上げる。
また、苦痛の時が始まるのだろうか……
「――起きろ、時間だ!」
腹を蹴り上げられて、わたくしは苦悶に呻く。
「おいおい、最後くらい優しくしてやろうって気はねえのか?」
……最後?
「どうせ最後だから、適当で良いだろ?」
「そりゃそうか!」
ゲラゲラ笑う男達をぼんやりと見上げながら……
……そう、ようやく終わりにできるのね……
手枷が嵌められ、繋がった鎖を引かれて、強引に立ち上がらされる。
よろめきながら通路を進まされ、やがて王城の前庭――行事の際に民衆が集められる人場へと辿り着いた。
多くの民が組まれた台を取り囲み――
「――魔女を、魔属を殺せぇ!!」
……まるで熱に浮かされたように、口々に罵声を口にしている。
台の上には、わたくしと同じように手枷をされたお父様とお母様の姿。
拷問でもされたかのように傷だらけのふたりは、わたくしを見つけて驚きに目を見張り……そして涙をこぼしたわ。
ふたりの前には、黒い布を被って大きな斧を手にした首切り人。
赤黒いシミの目立つ首置き台が、わたくしの弱り切った心をさらに痛めつける。
お父様とお母様の間に跪かされる。
「……ごめんなさい。お父様、お母様……」
かすれた声で呟くと、ふたりは――それでも優しく微笑んで、首を振ってくださったわ。
「間違いを正そうとした娘を、どうして責める必要がある……」
そうお父様に告げられて、わたくしは涙が流れるのを止められませんでしたわ。
砕け散ってもう失くしたと思っていた、淑女として、貴族としての矜持が蘇ってくるのを感じますわ。
「――おい、殿下がいらっしゃった! 勝手に喋るな!」
首切り人がお父様を殴りつけましたわ。
――そこへ。
「最後の別れなのだ。それくらいで目くじらを立てるほど、私は狭量ではないぞ?」
ニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべて、リカルドが登壇してくる。
まるで自身が寛大であるかのような……そう見せたいのだというのが伺える、尊大な態度で。
彼は集まった民衆達に向けて、両手を振り上げる。
「――諸君、この者らは先日、この王都を襲った魔属に通じていた者達だ!
魔属はどうすべきだと思う?」
リカルドの問いかけに。
「――殺せっ!」
「それに与する者も殺せっ!」
熱狂が渦巻き、みな狂ったように「殺せ」を繰り返す。
「……こんな民達のために……わたくしは……」
善き妃になろうと思った。
つらい妃教育も頑張ったし、アンドリュー様を補えるように、政治の知識さえも学ぼうとした。
……だというのに!
民は……民達は、たやすくリカルドの言葉を信じ、よく知りもしない魔属を悪と断じ、それに与したとされるわたくし達の処刑を歓迎している。
わたくしは思わず笑いだしていましたわ。
「――呪われなさい! アルマークの民よ!
真実から目を逸し、法も人の道理すらも歪める者を王に崇めるのなら……」
民衆の怒号がこだまするのも構わず、わたくしは続けたわ。
「次に虐げられるのは、おまえ達自身よ!」
「言いたい事はそれだけかっ!?
ならば、まずおまえから首をはねてやろう!」
リカルドが腕を振って首切り人に指示を出し、わたくしは首切り台に乗せられる。
「……呪われろ、リカルド・アルマーク!」
そう吐き捨てて、わたくしは目を閉じる。
……ああ、叶うことなら。
「最後にあなたに謝りたかったわ。リーリア……」
それだけを呟き……わたくしは最後の時を待つ。
その時だったわ。
「――こちらこそ、ごめんなさい。ロザリア様……」
民衆の中の怒号の中に、はっきりと響くあの娘の声。
思わず目を見開いたわ。
わたくし達が乗る台の前に居た民衆の姿が、まるでモザイク画のようにバラけて歪み……武装した一団が姿を現す。
その中央に居るのは、漆黒の装束を纏ったリーリア。
深紅の髪を風になびかせた彼女は、紅い水晶質の刃を持つ美しい長剣を抜き放ち――
「――貴様、何者だっ!」
取り押さえようと駆け寄った騎士を一刀の元に斬り伏せた。
……ああ、こんな事ってあるの!?
まさか……まさか、あの娘がわたくしを助けに来るなんて……
「――ま、魔属だっ!!」
「魔属が仲間を取り戻しに来たぞっ!」
民衆達が悲鳴をあげて、リーリア達から距離を取る。
「――リーリアぁ……」
リカルドが彼女を睨んで呻いた。
「――野郎どもぉっ! 保護対象を確保だ!」
リーリアの隣に立つ、顔に傷跡のある男が指示を出し、周囲の強面達が目にも止まらない速さで動き出した。
護衛の騎士達が次々に薙ぎ倒され、あるいは斬り捨てられて行く。
「――対象確保!」
気づけば、わたくしは頭を丸坊主にした男性に抱え上げられていたわ。
お父様もお母様も、共に彼らに救い出されたわ。
頭の中央だけを長く伸ばした男性と、染めているのかしら――やたら派手な青髪をした男性にそれぞれ抱えられていて。
「――作戦完了! 救出班から順次撤収!」
傷跡顔の男性の指示に応じるように、不意に辺りが陰った。
見上げると、そこには――見たこともない、不思議なものが浮かんでいたわ。
金属でできた大きな箱に、鳥を彷彿させる、金属の羽根を生やした物体。
羽根の先では、上向きに何かが高速で回転していて。
そんなものが、自然の法則に反して浮かんでいましたわ。
――魔道器、なの?
魔属が持つ技術で生み出された、未知の魔道器なのだとしたら、ああいうものもあるのかもしれない。
「……揺れやすんで、舌ぁ噛まねえでくだせえよ?」
と、わたくしを抱える禿頭の男性が粗野でいながらも、優しげな声色で告げて来ましたわ。
そのまま彼は空いた手を頭上へ。
同時に頭上の物体から黒色をした紐が無数に垂らされ、男達はそれを掴む。
途端、まるで吸い込まれるようにわたくし達は上昇を始めたわ。
そして気づく。
「ちょっと、あなたっ! リーリアがまだ――」
見下ろした広場で、あの娘はただひとり、美しい長剣を提げて、リカルドと睨み合っていましたわ。
「心配ありやせんぜ」
と、けれど禿頭の彼は、満面の笑みで告げるのです。
「――お嬢は今、かなりおかんむりなんでさぁ。
そして、ステラの姐御がそれに輪をかけて乗っかってる……」
「え?」
言われた言葉の意味が理解できないまま、わたくし達は空飛ぶ箱の内側に収められましたわ。
「――リーリアっ!」
叫んでわたくしは箱の入り口から広場を見下ろして。
「……リカルド、まずはロザリア様の分だ」
リーリアの姿がかき消え、次の瞬間、リカルドの背後に現れました。
――刹那。
「ギャアアアァァァァァァァ――――ッ!?」
リカルドの右手が鮮血を纏って斬り飛ばされましたわ。
「痛い、痛い痛いいいぃぃぃ……痛いよおおぉぉぉぉ――!!」
肩口から血を振りまきながら、リカルドは台の上で悶える。
『――あそこだ! 殿下を守れ!』
と、イーゴルの声がしてそちらに目を向けると、多くの騎士を引き連れ三騎の兵騎が駆けて来る。
「……その声、おまえもロザリア様にひどい事してた奴だな……」
リーリアは台から飛び降りて、長剣を納め。
「……ユニバーサル・アームを使う以上、こちらも容赦はしないっ!」
左手を胸の前で握り締めましたわ。
「――目覚めてもたらせっ!」
それは魔道を喚起する始まりの詞。
――あの娘、魔法を使えるようになったの!?
日常的な魔法でさえ、苦労していたはずなのに……
彼女の左手が掲げられ、純白の光条が空を駆け上る。
「<棄星神器>っ!!
――来なさい、ステラ! わたしはここよっ!」
周囲に凛と響く魔道の詞。
晴れ渡っていた空に、にわかに黒雲が湧き出し――それを切り裂いて輪を空け、灼熱する輝きが落下して来る。
衝撃に、設置された台が吹き飛び、その上のリカルド達が地面に叩きつけられた。
イーゴル達も足を止めている。
――そして……
ひとり平然と立ち尽くすリーリアの背後には、深紅の兵騎がまるで彼女にかしずくように、跪いていたわ。
大型の肩甲に、女性を彷彿させる長く白いたてがみには、ティアラを思わせる銀の額冠がきらめく。
丸みを帯びた胴部もまた、女性のそれを彷彿させたわ。
漆黒の仮面は無貌で。
『――お待たせしました、ご主人様!
あなたの<万能機>ステラ! 局地戦躯体にて只今参上!』
ステラの声でそう告げた兵騎は、胸部を開いてリーリアを誘う。
仮面に金の文様が走って、貌を描き出した。
深紅の兵騎はゆっくりと立ち上がり、イーゴル達、兵騎を指差して声高に宣言する。
『――来なさい、中世風っ!
文明水準の違いを見せてやりますっ!!』