31話
「……あっ! いやごめん、全然悪い意味で聞いたわけじゃないからね? ほら、アタシって全然勉強出来ないからさ。 だから矢内君がいつもテストで良い点取ってるの凄いなぁって思ってさ」
俺が変な声をあげたせいからか、水瀬さんは慌てた感じでそう言ってきた。 どうやら俺が不快(不審?)に思ったんじゃないかと思ってそう言ってきたようだ。 いや俺は別に何とも思ってないんだけどさ。
「あぁ、いや、別に悪い意味で聞こえたわけじゃないよ。 はは、確かにそういわれてみればテストの点だけはいつも良いけどね」
「だよね? だから凄く羨ましいなーって思ってさ。 でさ、そんだけ勉強頑張ってるって事は何か目標とかあったりするのかなーって思ってさ」
「え? あ、あー……えぇっと……いや、そういうのは特に何もないんだよね」
「あ、そうなの??」
俺がそう言うと水瀬さんは驚いた表情をしながら俺の方を見てきた。 でも俺には将来の夢とかなりたい職業とかは別に何もないんだ。 だから何のために勉強をしているのかと言われても、俺はそれに対する答えは何も持ち合わせていなかった。
「それじゃあ、あれなの? 矢内君は勉強が好きだから勉強を頑張ってるって感じなのかな?」
「うーん、まぁどちらかといえばそんな感じかもしれないね」
「へぇ、それはそれで凄いね! アタシは勉強なんて大嫌いだからすっごく尊敬するよ。 あっ、じゃあさ、どうして勉強が好きになったのかは覚えていたりするのかな? 勉強が好きになった一番最初の理由とかさ?」
「勉強が好きになった理由?」
水瀬さんにそう言われたので、俺は昔の記憶を色々と思い出していった。 俺が勉強を好きになった理由、それは……
「うーん……あ、やっぱりあれかな。 小学生の頃にテストで初めて100点を取った時にさ、それを両親に言ったらめっちゃ褒めてくれてさ。 それがあまりにも嬉しかったっていう記憶が微かに残ってるんだよね。 だから多分だけどその時の嬉しかったっていう気持ちが、俺を勉強好きにさせた原動力なのかもしれないね」
「へぇ、そうなんだね」
俺の両親はどちらも共働きであまり家には帰ってこれない人達だった。 だから子供の頃は両親と一緒に過ごした記憶はあまりない。 でも、小学校のテストで初めて100点を取った時、偶然にも両親が二人とも帰ってきていたので、俺は両親にその事を報告したんだ。 そしたら両親が俺の事を凄く褒めてくれたというのを今でも何となく覚えているし、それがとても嬉しかったというのも何となく覚えていた。
「ふふ、何だかとても素敵な理由だね。 それに矢内君らしさが出ててほっこりする話だね」
「そ、そうかな? うーん、でもさ、俺って将来の夢とかなりたい職業とかを今まで一度も考えた事がないんだよね。 もう高校生だってのに将来の事を何も考えた事がないってのはさ、やっぱりよくないよね……」
皆誰しも子供の頃に一度は将来の夢やなりたい職業について考えた事があると思う。 警察官になりたいとか、俳優になりたいとか、会社の社長になりたいとか、漠然とした感じでも何かしらの夢を一度は持っていたと思うんだ。 でも俺はそういう夢とかを考えた事は一度もなかったし、高校生になった今でもそういう事は未だに一度も考えた事はなかった。
俺が勉強を頑張ってる理由だって将来のために……というわけではなく、子供の頃に両親に褒められたのが嬉しくて、また両親に褒められたいなって思って勉強を頑張っていたらいつの間にか高校生になっていたというだけの話なんだから。
だから友達とかが将来の夢とかについて考えているのを聞くと、俺はもちろん応援する気持ちもあるのだけど、反面ちょっと悔しいなっていう気持ちにもなったりするんだ。 そして友達に対してそんな事を思ってしまう自分の事がなんだか少しだけ嫌いになってしまいそうにもなるんだ。
「んーそんな事はないと思うよ?」
「……え?」
「矢内君は将来の夢がなくて嫌だなーって思ってるのかもしれないけどさ、でも逆に考えてみなよ?」
「う、うん? 逆にって?」
俺は水瀬さんの言葉の意図がわからずに聞き返してみた。
「うん、今の矢内君にはさ、将来やりたい事がなくて困ってるんでしょ? でも将来の夢とかなりたい職業がないっていうのはさ、逆に言えば今の矢内君は何者にでもなれる可能性を秘めてるって事なんだよ? どうかな? それって何だかとっても素敵な事じゃないかな? だからさ、そんなに自分の事を嫌いにならないでさ、もっと楽しく過ごしてみなよ、ね?」
「水瀬さん……」
水瀬さんは笑いながらそう言ってくれた。
「……うん、確かにそうだね、何だか水瀬さんにそう言われてみたらちょっとだけ前向きな気持ちになれそうだよ」
「ふふ、そっかそっか、うん、それなら良かったよ」
「うん、本当にありがとうね。 はは、それにしても水瀬さんってすごい聞き上手だよね。 なんだか水瀬さんはカウンセラーとかの職業が向いてそうだね」
「あはは、それ友達にもよく言われるよー。 アンタは聞き上手だからホステスとかキャバ嬢目指したらってさ、あはは! 本当にみんな酷い事ばっかり言うよねー?」
「い、いやまぁ確かにそれらも聞き上手には違いない職業なんだろうけど、でもちょっと違うよね、あはは」
まぁホステスとかキャバ嬢とかは友達が冗談で言っただけなんだろうけど、でも確かにそういう所で水瀬さんが働き出したらめっちゃ人気になりそうだなってちょっとだけ思った。
「うん、でも本当にありがとう。 水瀬さんのアドバイスのおかげでちょっとは気楽に考える事が出来そうだよ」
「あはは、そっか。 うん、それなら良かったよ。 ふふ、でも何となくだけどさ、私は矢内君は学校の先生とか塾講師とかが向いてる気がするかなー」
「え? 学校の先生?」
「うん、そうそう。 矢内君は勉強がとても好きなわけじゃない? だったらそういうのを人に教えたりするのも矢内君はとっても楽しめるんじゃないのかな? いや実際はどうかはわかんないけどさ、でもせっかくなら矢内君の好きな事が活かせる仕事とかにつけたら幸せだよね」
水瀬さんはニコっと笑いながら俺に向かってそう言ってくれた。
「……そっか、うん、そうだよね。 うん、これを機に色々な可能性をしっかりと考えてみるよ。 あ、良かったらなんだけどさ、もしまた悩みとかがあったら相談してもいいかな?」
「あはは、全然いいよー。 暇な時はいつでも聞いてあげるからさ、気軽に言ってね」
「あはは、うん、ありがとう」
俺はそう言って水瀬さんにしっかりと感謝を伝えた。 水瀬さんはそんな俺の態度を見てニッコリと笑ってくれていた。
―― 逆に言えば今の矢内君は何者にでもなれる可能性を秘めてるって事なんだよ? どうかな? それってとても素敵な事じゃないかな?
その言葉は今の俺にとって本当に嬉しくもあり、心に刺さった言葉でもあった。それに水瀬さんは本当にポジティブな思考の持ち主なんだなと改めてそう感じる事が出来た。 俺もそんな水瀬さんのポジティブさを少しだけでもいいから見習っていけたらいいな。
ということで今日は水瀬さんのおかげで、俺はほんの少しだけ自分の嫌な部分だったりとか、将来の不安だったりとかが少しは緩和された気がした一日となった。
(……うん、初めてのお付き合いが水瀬さんで本当に良かったな)
もちろん水瀬さんは罰ゲームで俺としょうがなく付き合ってくれているのはわかっているけど、でも俺はこんな素敵な人とお付き合いが出来て本当に良かったなと改めてそう感じた。 うん、俺にとって今日という日は一生忘る事はないだろうな。




