王太子殿下からは逃げられない
至らない所もあると思いますが、暖かく見て頂けると幸いです。
煌びやかな城では、ダンスに社交にと勤しむ貴族達が楽しんでいた……はずだった。
穏やかに流れていた音楽も、お喋りに夢中だった夫人達も皆中心を見つめていた。
「殿下、これは一体?」
一人の令嬢が驚きに目を見開く。
彼女はキャシー・クロード公爵令嬢。パートナーと一緒に来る筈だったのだが、今夜この令嬢のパートナーとして参加する筈だったこの国の王太子。アーノルド殿下が、何故か他の令嬢を連れていたからだ。
楽しかった雰囲気が一瞬にして凍り付く。
「見たままの事だ」
「……と言いますとこれは婚約破棄と言う事でしょうか?」
「君の好きな様に捉えるといい」
扇を持つ手が震える令嬢に周りは心配そうに見つめる。
しかし、その瞬間扇を放り投げて手を上に突き上げる。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
「えっ」驚く周囲。それもその筈、令嬢は淑女の鑑と言われる程の令嬢。そんな令嬢が大声で叫び、腕を振り上げているではないか。
「これで自由よ! ありがとう殿下!」
余りの変貌ぶりに思考がついていけていない周囲は、ぽかんと口を開けている。
「ずっとこの時を待っていたわ! 今日はなんていい日なのかしら、窮屈だったこのドレスも我慢したかいがあったわ!」
ひらりとドレスを翻しカーテシーをする、その動作だけでも惚れ惚れする程美しい。
だが口から出た言葉は……
「それでは殿下、今までありがとうございました。 私はする事がありますので下がらせて頂きます。 どうぞお幸せに」
そのまますたこらと部屋を出ていく。
そこに残ったのは何が起こったのか分からない人達だった。
※
「お嬢様、良かったんですか急に飛び出して」
「何でよ、婚約破棄されたんだからあそこにいたって仕方ないでしょ?」
「婚約破棄ねぇ」
同じ馬車に乗っているのは、従者のルイス。
砕けた口調なのは本人の性格もあるが幼い頃から仕えているというのもある。
「そうよ! 念願だった自由よ!」
「それで? これからどうするんですか」
「もちろん! 田舎でのんびりするのよ!」
やりたい事は山程あるもの!
草原でお昼寝したり馬に乗ったり、今まで出来なかった事をしたいわ!
「さぁ、帰ったら荷造りして朝一に出掛けるわよ!」
「はいはい」
朝起きて一番に言った言葉は「出陣よ!」だった。
「誰と戦う気ですか」
「気持ちの問題よ」
ご飯を食べ、準備をする。
「荷物はもう馬車に詰めていますので、いつでも出発できます」
「流石ね、準備が出来次第行きましょう」
お父様とお母様は何故か不思議そうにしていたけれど好きにさせてくれていた。馬車に乗り込み窓から外を見ると、久しぶりの街の景色にわくわくする。
「うーーーん!!」
田舎の屋敷についたキャシーは早速草原に行き寝転ぶ。
「はしたないですよ、お嬢様」
「いいのよ、誰も見ていないし。 てかルイスこそ従者がそれでいいの?」
「誰も見てないのでは?」
そう言って一人紅茶を飲む。
しかし、私の分はちゃんと淹れてくれているあたり仕事はしてくれている。
「はぁ、こんなにゆっくり出来たのは何年ぶりかしら」
私が十二歳で殿下の婚約者になってからというもの、四年間自由がなく王妃教育を受けていた。それは私にとって地獄だった。
好きな事も出来ず、少しでも間違うと叱られ毎日が楽しくなくなり、愛想笑いしかしなくなった。
殿下とは定期的にお茶会をしていたが、話す事はほとんどなく笑う事さえしなかった。
「あの頃は何度鳥になりたいと思ったか」
「お嬢様……」
空を自由に飛ぶ鳥が羨ましかった。何処にでも行ける羽があればと考えたが。
「今日は鶏肉のシチューの予定でしたが共食いになりますかね」
「…………」
※
田舎に帰って一週間が経った。今日も天気が良かったのでお昼を持ってピクニックをしていた。
あれ程忙しかった毎日が、今ではこんなにのんびりできるなんてこれも
「殿下が婚約破棄してくれたからだわ」
「僕は君がいなくて寂しいんだけど」
「なーに言ってるの、別にもう会わないわ、け……じゃ」
え……。
「で、殿下?」
芝生に座る横で私が持ってきていたランチを摘んでいた。
「なんだい?」
「どうしてここに」
「君を迎えに来たんだよ」
「え」
「遅くなってしまってすまない。 ちょっと王妃が……いや何でもない」
「殿下」
「名前で呼んでくれないのか?」
「っ、私と殿下は婚約破棄をしたのですから名前など呼べません」
「してないよ」
「はい?」
「だから婚約破棄、してないから」
「え、だって、あの時」
「僕は婚約を破棄するとは一言も言ってないよ」
「うそ、まって……そんな」
確かにあの時、殿下は婚約破棄をするとは言っていなかった
けど……
「やっぱりそんな事だろうと思いました」
会話を聞いていたルイスが近づく。
「ルイスどういう事?」
「旦那様と奥様がルンルンで出て行くお嬢様に、何も仰ってなかったので変だと思いました。 婚約破棄という状況で呑気に送り出すとは思えません」
これが絶望と言うのだろう。
「しかし、殿下は好きな様に捉えろと仰ったではないですか!」
「だが肯定はしなかっただろう?」
呆気にとられたままの私を抱き上げ「さぁ、帰ろう」と言いあっという間に荷物を纏めて馬車に乗り込む。
着いた先は城の私の部屋。
「嘘つきだわ!」
「まぁ、勘違いしたのはお嬢様ですけどね」
ソファで膝を抱え怒る。
「だってあの状況だとそう思うじゃない!」
「ちゃんと確認しないからですよ」
「だって、だって……」
ぐすぐすと泣き出した私にルイスがお茶を淹れてくれる。
「お嬢様の好きな紅茶です」
「…………」
温かい紅茶にホッと息を吐く。
「落ち着きましたか?」
「うん、ありがとうルイス。 良い香りね」
「この紅茶は殿下がご用意してくださいました」
「……」
「殿下は本当にお嬢様の事を良く考えて下さっていますね」
この部屋は殿下が用意して下さり、私好みの雰囲気で飲み物も好きなメーカーが出るので、私の事を考えてくれているのが分かる。
「分かっているわよ。 殿下がわたしの事を気遣ってくれてる事ぐらい。 それでも、どうしようもないじゃない」
「お嬢様」
「ただ、自由に好きな事をしたかっただけなのに」
「何を今更言ってるんですか」
しんみりとした中でバサッと切られる。
「そんなに嫌なら駄々こねてでも断れば良かったのでは?」
「王命なのよ、そんな事できるわけないわ」
「では、王妃としては能力が足りないと思わせてみては?」
「公爵令嬢がそんな無能だなんて思われたくないし……何より悔しいじゃない」
「出ました、お嬢様の負けず嫌い」
「だ、だって仕方ないじゃない! そんな事も出来ないの? ……って顔してくる教師の顔見てよ!」
「私も一緒だったんだから見てますよ」
「あんな顔されて無能だと思われるの悔しいじゃない!」
「だからじゃないですか」
言い合ってる中、突然ルイスが歩き出しドアに向かう。
「ルイス? どうし……」
――ガチャッ
「あ、」
そこには、ノックをしようと手を挙げている殿下がいた。
「殿下……」
「あー、すまない。 ノックをしようと思っていたのだが」
「い、いえ」
「今大丈夫か?」
「あ、はいどうぞ」
互いに向かいあって座り、ルイスはお茶を用意し扉を少し開けて外で待機する事に。本来であれば未婚の男女が二人っきりになる事はないが、話し合いが必要だと思ったのだろう気を遣ってくれたのだ。
「キャシー、すまなかったな騙したみたいで」
「…………」
「君の気持ちが知りたかったんだ」
「殿下」
「キャシーはいつも笑顔だったが、心からの笑顔じゃない事は分かっていた。 僕が君の自由を笑顔を奪って、したくもないことを押し付けてしまったと思っている」
段々と笑わなくなっていったキャシーに罪悪感があった。
「だけどっ……それでもキャシーだけは諦められなかった」
初めて会ったのは、僕が剣の訓練が上手くいかなくて泣いていた時だった。
「うっ、ひっく……」
「どうしたの?」
「え?」
「なみだがたくさんでてる、なかないで」
そう言って僕の頭を撫でてくれた。それが嬉しくてたまらなかった。
「げんきになった?」
「うん、ありがとう」
「よかった!」
――ニコッ
「っ……きみなまえは?」
「キャシーだよ!」
その時の笑顔が忘れられなかった。
キャシーがクロード公爵家の令嬢と知り、早速父に婚約の願いをした。父は僕が珍しくわがままを言うからクロード家に打診をして僕とキャシーの婚約が決まった。
決まってから中々会うことが出来なくて、やっと会えたと思ったら僕が好きだった笑顔が変わっていた。
「ねぇ、キャシー。 君の好きな花が咲いたんだ今度見に行かないかい?」
「嬉しいです殿下、ありがとうございます」
他人の様になってしまった事は悲しかったけれど、僕が絶対に幸せにすると誓った。だけどある日。
「まぁ、見てキャシー様よ。 日に日にお美しくなられていて素敵ですわ」
「本当、流石淑女の鑑ですわね」
歩いていた時にたまたま近くにいたメイド達がキャシーを見て話していた際に、
「従者のルイス様も素敵です」
「お二人が並んでいるだけで目の保養になりますわ」
「確か、幼い頃から一緒だったようでキャシー様もルイス様には、普段と違う表情をされるのよね」
「そうそう、それがまた仲の良さが伝わってくるわ」
キャシーは人前では淑女の笑顔だが、ルイスの前では歳相応の顔をする。それを見た僕は堪らなくなってしまった。
もしかして、二人は想い合っていたのか?
僕が引き裂いてしまったのか?
この婚約は僕からの願いだったけれど、キャシーの気持ちを聞いた事はなかったのだ。一気に不安になってしまった僕はキャシーの気持ちを知る為に……
「だから、夜会であんな事をしたんだ」
「そうだったんですね」
「相手役の令嬢には事前に説明して報酬も渡している。 これで、キャシーの気持ちが聞ける……と思ったのにまさかあんなに喜ばれるとは思ってもみなかったよ」
「それは……すみません」
「いや、いいんだ。 そもそも僕がちゃんと話し合っていれば良かったのに直接聞くのが怖いからと逃げてしまったのが良くなかった」
下を向いたまま、目を合わせようとしない殿下。
「……き、なんだ」
「え?」
「好きなんだ君の事が……どうしようもなくっ」
「で、んか」
弱々しい声で想いを告げられる。何事にも完璧にこなす殿下のこんな姿は初めてだった。
「僕のわがままだと思っている、それでも側にいて欲しいんだ」
「わたしは……」
「たとえ、君がルイスを好きだとしても」
「ん?」
「無理に忘れろなんて言わない」
「え、あの」
「いつか僕を好きになってくれるよう努力する」
「で、殿下」
「だからっ」
「あの! 殿下!」
なんか間違った勘違いしている気がして慌てて止める。
「私がルイスを……え? 好き?」
「……君はルイスといる時だけは本来の表情をするだろう? それはルイスの事が好きだからじゃないのか?」
「え、ち、違います! 確かにルイスといるのは安心しますけどそれは従者だからというか、昔から一緒なので兄妹の様な間柄だったからと言いますかっ」
「無理に否定しなくてもいいよ……僕はちゃんと受け止めるつもりだから」
「ですので、ルイスとはそんな仲ではありません! 好きなのはアーノルド様だけです!」
「え」
「っ!」
しまったと思い手で口を覆う。
「キャシー、僕の事好きなの?」
「いえ、これはその……」
殿下がキャシーの隣に座り手を取る。
「僕はキャシーが好きだ」
「あ、ぅ」
「キャシーは?」
「っ……」
「キャシー」
優しい目で見つめてくる殿下に顔を赤くする。
「す、好きです」
「キャシー!!」
「きゃあ!」
突然抱き締められ驚く。顔が更に赤くなる。
「で、殿下っ」
「名前」
「え、」
「名前で呼んでくれないの?」
「ぅ……アーノルド様」
「うん」
「あの、恥ずかしいです」
「もう少しだけこうしていたい」
抱き締められた背中に手を添えようと伸ばすと……
――コンコン
「そろそろよろしいでしょうか?」
「ひっ!」
「王妃様がお見えになっております」
「え、王妃様!? どうぞ!」
急いで離れ身なりを整える。
「ごめんなさいね、突然やってきて」
「いえ、私もご挨拶もせず急にお邪魔してしまい申し訳ありません」
「いいのよ、その愚息のせいだって事は分かっているから」
「はぁ」
王妃様はピシッとした背筋に優雅さが素敵で四十歳にはとても見えないお美しさがあった。
「キャシーごめんなさい、貴女には辛い思いをさせたわね」
「王妃様のせいではっ」
「王妃教育が大変なのはわたくしも知っている事なのに、貴女の心まで支えてあげられず」
「逃げ出したのは私なので……」
「それでも貴女は頑張っていたわ、逃げ出したのだって一回でしょ。 わたくしなんて何度逃げたか」
「え! 王妃様も!?」
「当たり前よ、誰が好き好んで王妃なんて大変な事したいと思うのよ」
「うっ」
殿下が胸を押さえる。
「毎日毎日淑女教育に政治、失敗なんかしたら怒られて嫌にならない令嬢なんかいないわ」
「王妃様」
「それでも、頑張ろうと思えたのは陛下がいてくれたからなのよ」
「国王陛下が」
「あの人がいなかったら、あの人との結婚じゃなかったらとっくに辞めていたわ。 だから息子にも大事にするよう言っていたのに……まさかこんな事になるとは」
「王妃様?」
「アーノルド、ずっと一緒にいると決めたのなら心から守ってあげないといけないと言ったでしょう。 なのに今回の事はなんですか! キャシーを試すような事をして本当に帰って来なかったらどうするつもりだったの!」
「それは……振り向いて貰える様に頑張るつもりで」
「遅いのよ!!」
王妃様のお怒りに殿下は身体を小さくしていった。
「まぁ、キャシーがアーノルドを好きでいたから良かったわ」
「お恥ずかしい……」
「貴女がアーノルドを好きじゃなかったら、いくらアーノルドが望んでも諦めさせようと思っていたの」
「なっ、母上!」
「貴族の婚約は政治的な意味が多いのは分かっているけれど、キャシーが変わっていった姿を知っているからこそ、不幸にしかならならない結婚は国にとっても良くないと思って」
国を豊かに民を守っていくべき王族が、不幸では民に示しがつかない。
「王妃様、ご心配お掛けして申し訳ありません」
「キャシー」
「私は殿下の優しさに甘えていました。 殿下も大変なのに自分はなんでこんなに……と、でも今回の事ではっきりしました。 殿下の事が好きなんだってだから今までも辛くても頑張れたんだって」
「僕もキャシーが好きだから頑張れた」
「王妃様、私お側にいたいんです」
王妃様の目を見て決意を見せる。ふわりと目元を緩めた王妃様は、
「貴女が決めたのならわたくしは見守るだけです」
「王妃様ありがとうございます」
「ふふ、今度改めてお茶でもしましょう」
「はい!」
王妃様は部屋を出て行き、また二人になる。
「ありがとう僕を選んでくれて」
「アーノルド様も私を諦めないで下さってありがとうございます」
「絶対に幸せにするから」
「はい」
目を見つめ合い顔が自然と近づいていく……。
「おめでとうございます」
「ル、ルイス!」
お茶を交換し新しいのを出してくれる。
「良かったです。 お二人が無事に想いを通わす事が出来て、お仕えする身としてもお嬢様の兄としても」
「そ、そうです! ルイスと想い合っていると思われていたなんて……」
「それは私の台詞です。 いくら貴族の中で淑女の鏡と言われていても私にお嬢様の手綱を握り続けるのは難しいので」
「ちょっと! 私が見た目だけの女ってこと!?」
「そんな事は言っておりません」
私とルイスのやり取りを聞いて殿下はむっとして腰を引き寄せる。
「アーノルド様?」
「仲がいいのは良いことだが何だか妬けるね」
「え! ルイスとはそんな感じでは」
「うん、分かってる。 僕がやきもちやいているだけ」
「やきもち……」
ぼっと顔が赤くなる。
「ルイス、これからもキャシーをよろしくね」
「かしこまりました」
それ以来、常に側にいて愛を囁きそれを聞いて赤くなる、という仲睦まじいという話が貴族から平民にまで行き渡り、生涯妻のみを愛し続けた愛妻家として長く伝えられたという。