ルーシャ
「さあ、沢山お食べ」
母親がそう言いながら鍋の蓋を開けた。弟と妹が傍らで唾を飲み込むのが分かる。
それも無理はない。これから一日一食の貴重な食事なのだから。
湯気が立ち昇る鍋の中は、申し訳ない程度に小さなじゃがいもが数個だけ入れられた汁物だった。小さなじゃがいもだけではお腹も膨れないだろうと、山から妹が採ってきた辛うじて食べられる山菜とは呼べないようなものも入れられている。
それでも弟と妹は笑顔で食べている。三十数年終わることなく続いている戦争で、食料事情は極めて悪かった。特に人族だけのこの村では、まともな食事にありつけている家は皆無なのかもしれない。
「どうしたんだい、ルーシャ?」
箸を伸ばそうとしないルーシャに母親が心配気に言う。父親が病身で伏せているルーシャの家は特に食料事情が酷かった。
まだ五つになったばかりの弟は、いつもお腹を空かせてぐずっている。八歳になる妹は、もう家の事情が分かるのか泣きごとを言うことはないものの、我慢をしていることは間違いなかった。
「ルーシャ、お食べ」
母親が優しく言う。ルーシャは小さく頷いた。ルーシャとてまだ育ち盛りの十五歳なのだ。お腹はいつも空いていた。
ただそれ以上に、いつもお腹を空かせてぐずっている五歳の弟や、まだ八歳なのに必死で我慢をしている妹たちに、少しでも食べさせたいとの思いが強かった。
「ルーシャ……」
促してもなかなか箸を伸ばそうとしない長女を前にして、母親が申しわけなさそうな顔をする。ルーシャは母親にそんな顔をさせてはいけないと思い、少しだけと心に決めて箸を伸ばした。
「お父さんの具合はどう?」
あえて具を入れなかった器の中にある汁物を冷ましながら、ルーシャは母親に尋ねた。
「今日は幾分か調子もいいみたい。でも、もう長いこと薬も飲んでないからね」
父親の薬も買えなくなってどれぐらい経ったのだろうか。
二年か、三年か……。
いずれにしてもこの長い戦争が終わらなければ、この家の状況が好転しないことは十五歳のルーシャにも分かっていた。
「戦争はいつまで続くのかな?」
箸を止めて妹が訊いてくる。
「戦争が終われば、私もお姉ちゃんも帝都に行って働けるし、そうすればお父さんに薬も買ってあげられるのに」
健気にそんなことを言う妹の明るい茶色の頭に、ルーシャは片手を伸ばして優しく撫でる。この茶色の髪の毛は自分の髪色と同じだった。ルーシャはそれだけで姉妹の繋がりを感じて、少しだけ嬉しくなる。
「ありがとう、アナリナ」
自分が生まれる前から続くこの戦争がいつ終わるのかなんて、ルーシャには想像もつかない。そもそもこの国、ガジール帝国が戦争に勝てるのかも分からない。困窮に喘ぐ人族の村に入ってくる情報は、あまりにも少なかった。
戦争が始まる前まではルーシャが住むこの人族の村も、ここまで困窮することはなかったという。戦争で男手を取られ、失い、税も上がり……。
全ては戦争のせいだった。
一等国民と言われる魔族が勝手に始めた戦争だった。それなのに三等国民の自分たち人族が、なぜこんなにも苦労を強いられてしまうのか。そう考えると、ルーシャの中で強い憤りが生まれてくる。
「そうね。早く戦争が終わるといいわね。さあ、熱いうちに食べちゃいなさい」
母親が再び優しくそう促したのだった。
その夜、ルーシャはなかなか寝つくことができなかった。
薬も買えない状態で父親の病状は悪くなる一方だ。自分も含めて妹や弟たちはいつもお腹を空かせている。母親も疲れ切っているのが明らかで、このままでは家族が共倒れとなってしまう。
病で苦しむ父親に薬を買う。そして我慢を続ける妹や弟たちにお腹いっぱい食べてもらい、疲れ切っている母親の負担を少しでも減らす。
願いはたったそれだけのことなのだ。でもそれができない。悔しくて涙が滲んでくる。ルーシャは嗚咽が漏れてしまわないように歯を食いしばった。
帝都に行けば働き口にありつけるかもしれない。体を売ることだって厭わない。だが戦時下の今、三等国民である人族の移動は法で厳しく禁じられていた。
自分が捕まった時に家族がどんな目に合うのか。それを考えると、とてもではないが実行に移せそうもなかった。
八方塞がりの状況だった。ルーシャの家族だけではない。人族全体が先の見えない困窮に喘いでいる。
人族を生み出したと言われている母神クロネル様は、人族が緩やかに滅びるのを望んでいるのだろうか。
現世で幸せを享受できずに強い思いを残した人族は、母神クロネル様によって来世は風の精霊に生まれ変わるという。母神クロネル様は人族すべてを風の精霊にしてしまうつもりなのだろうか……。




