救出
「おい、てめえ、ガジールの兵だよな?」
ルーシャの首に足を置いている敵兵がそう問いかけてきた。
ルーシャは答えない。正確に言うと浅い呼吸を繰り返すので精一杯だった。声を出す余裕などなかった。
「何だ? てめえ?」
敵兵は足に力をさらに込める。途端にルーシャの息が詰まり、必死に続けていた呼吸もできなくなる。
「お、おい、死んじまうぞ」
身を捩り続けるルーシャを見て、他の敵兵がそう声をかけた。
「あ? どうせガジールの兵だろ。死んでも構わねえよ」
首の付け根を踏みつけている敵兵が、さらに足の力を込めたようだった。ルーシャの視界は完全にぼやけて、赤や黄色の光が点滅し始めた。
駄目、死んじゃう……。
ルーシャが悟ったように心の中で呟いた時だった。
不意に首の圧迫がなくなった。ルーシャは上半身を横向きに捩って、激しく咳き込みながらも酸素をもとめて呼吸を繰り返す。顔全体が涙でべとべとだった。
「そうだな……女だしな。まだやることがあるわな」
「お、おい、まだ子供だぜ?」
狼狽したような声が聞こえる。
「うるせえ。ついてるもんは同じだろう?」
身を捩って激しく咳き込んでいたルーシャに敵兵の一人が覆い被さってきた。涙で濡れる視界の向こうに敵兵の下卑た顔を見たような気がした。
ルーシャは言葉にならない声を上げながら、手足を激しく動かした。
「てめえ、大人しくしろ!」
左頬に衝撃があった。殴られたようだった。涙で濡れた視界がさらに歪む。口の中も新たな血の味で溢れてくる。
ルーシャはそれでも両手両足を必死で動かした。
「てめえ、いい加減にしろ!」
今度は右頬を殴られた。視界がぐるぐると回転し、手足に力が入らなくなる。鼓膜も甲高い悲鳴を上げていた。
大人しくなったルーシャを見て、覆い被さっていた敵兵は短刀を取り出した。そして、その刃でルーシャの上半身にあった軍服を上から下まで一気に切り裂いた。
胸の上に鋭い痛みを感じた。刃物が肌に触れたのだろう。
ふざけるな!
ルーシャは心の中で叫ぶ。
こんなところで、こいつら如きに……。
この時ルーシャの中を駆け巡っていたものは、恐怖や悲しみではなく怒りそのものだった。
好きにさせてたまるものか!
ルーシャは体内のマナを一点に集める。一点に集めていく。
もっと、もっとだ!
心の中でそう言い放つ。体内のマナをこのまま集め続ければ、やがては制御ができなくなるはずだった。
もっと、もっと! 急いで、早く!
体内の一点にマナか次々と集まってくるのを感じながら、ルーシャは心の中で何度も叫ぶ。
回復しつつある視界に敵兵の下卑た笑いが映る。
ふざけるな! ふざけるな!
もっと! もっと急いで! マナを!
その時だった。ルーシャを組み伏せながら下卑た笑みを見せていた敵兵の首から上が、ずるりと左に位置をずらすと、そのまま下のルーシャに向かって落ちてくる。ルーシャの胸の上で、落ちてきた敵兵の首から上がぶつかる感触があった。
何もなくなった敵兵の首から夥しい量の鮮血が噴き出し、下にいるルーシャの体を赤色に染め上げた。
そして視界の向こうには、片腕の兵士が鬼の形相で長剣を握っていた。
「しょ、少尉……少尉……」
ルーシャは辛うじてそれだけを言うと、意識がぷつんと途絶えたのだった。
ルーシャが再び目を覚ました時、その体は固いが清潔なベッドの上だった。目を覚ましたルーシャに気づいて衛生兵のハンナが駆け寄ってきた。
「ここは……」
「ジルク補給基地よ。今では最前線基地でもあるけどね」
ハンナが優しい声音で言う。
ハンナの整った美しい顔を呆けたように見ていると、ルーシャの中でこれまでのことが次々と思い出されてくる。同時に恐怖や怒りの感情も湧き上がってきた。
「とにかく無事でよかったわ。胸の傷なら大丈夫よ。絶対に跡が残らないわよ。念入りに治癒魔法もかけたしね」
ハンナがそう言って微笑んだ。
「あ、あの、私、あまり助けられた時のことを覚えてなくて……」
ルーシャはそう口にした。少しだけ声が掠れている。
「あなたを見つけた途端、ボルド少尉が無謀にも飛び込んで行ってね」
ハンナは呆れたような顔をしている。あの時に助けてくれた片腕の人は、やはり少尉だったのだとルーシャは思う。
「あっという間に二人を斬り伏せてね。後はクリストフ軍曹たちも駆けつけて、あなたを助けてくれたのよ」
ハンナの言葉にそうか、そうなのかとルーシャは思った。少尉だけじゃなくて皆に助けられたのかと。
「でも、最初にマナを感知して、ルーシャを見つけてくれたのはセシリアなのよ」
マナを感知……。
ルーシャは心の中で呟いた。
そうだった。あの時、自分は体内のマナを暴走させようとして……。
暴走させようとしてマナを集中させたことが、結果として目印となり自分を見つけてもらうことに繋がったようだった。




