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風の歌は雲の彼方に  作者: yaasan


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生還

 「敵、重装歩兵、来ます! 数……約百!」


 隣で小隊の副官を務めているコンラッドが上擦った声を上げた。


 その声に背中を押されたように、小隊を率いているボルドは塹壕からわずかに頭を出す。言葉の通り重装歩兵が砂塵を巻き上げて、地響きを鳴らしながら突入してくるのがボルドの視界に入ってきた。


 重装歩兵は分厚い鎧や大盾を装備しているので、進軍する速度は決して早くはない。だが、着実に互いの距離を詰めつつあった。


 彼らが持つ長剣や巨大な斧が、朝日を浴びて禍々しいまでの光を放っている。大盾には無数の槍傷が刻まれていて、まるで巨大な壁のようだった。


 普段は感情をあまり表には出さないコンラッドだったが、この光景を目にすれば上擦った声を上げるのも無理はない。ボルド自身も叫んで逃げ出したいところなのだ。


「こっちの重装歩兵はどうした?」


 すぐにでも逃げ出したい気持ちを押さえ込みながら、ボルドは怒鳴るようにしてコンラッドに尋ねる。味方にもオークや巨人族を主体にした重装歩兵隊がいるはずだった。コンラッドは青い顔で首を左右に振った。


「戦線を支えるため、全部隊が中央に投入済みです」


「近距離魔法隊は?」


「先程の遠距離魔法砲撃で、左翼にいた部隊はほぼ壊滅です!」


 コンラッドの顔は完全に血の気が失せている。先刻の遠距離魔法攻撃を何とかやり過ごせたばかりだというのに、続けざまの危機だった。


「とにかく、撃ちまくれ。奴等が十メートルまで近づいたら、こちらも抜刀、俺に続け!」


 絶望を絵に描いたような状況だった。声が少しだけ震えていたかもしれない。心の底から逃げられるものなら逃げ出したいとボルドも思う。


 鎧や大盾で固められた大型種のオークなどを中心とした重装歩兵を相手にして、手持ちの小銃などは豆鉄砲ほどの効果もない。自分に続けと勇ましく言ったものの、抜刀して斬りかかったところで、すぐに粉砕されてしまうことは目に見えていた。


「第四小隊が近くにいるはずだ。ライオネル三等陸兵! 援軍を呼びに行け!」


 第四小隊は軽装の遊撃部隊として、数名の魔道士が配備されている。数名とはいえ魔道士がいれば、この絶望的な状況を多少なりとも好転させられるはずだ。


 命じられたマテオ・ライオネル三等陸兵は、塹壕の中で小銃を両手で抱え込みながら明らかに震えていた。彼は新兵として半月ほど前にボルドが率いる第二小隊に配属されたばかりだ。配属早々に、この激戦に投入されるとは運がないと言いたいところなのかもしれない。


「早く行け!」


 ボルドは怒声を発して、ライオネルの頬を平手で叩く。するとライオネルは二度頷いて、弾かれたように塹壕を飛び出して行った。


「いいか、顔や手足だ! とにかく鎧に覆われていないところを狙え。そうすれば奴らの足も止まる。ここを抜かれたら、全軍が総崩れになるぞ。いずれ援軍が来る!」


 ボルドは小隊を叱咤するために声を張り上げた。しかし、小銃と長剣しか持たない五十名弱の小隊で、突入してくる百名からなる重装歩兵を止められるはずもない。


「来るぞ! 撃て、撃ちまくれ!」


 ボルドが叫んだ時だった。


「通電! 通電!」


 通信兵のクリークが転がるようにボルドの下にくる。これまで断線していた有線通信機が、ようやく後方の司令部と繋がったようだ。


「一五一六、一五一六、後方部隊より遠距離砲、及び遠距離魔法、着弾します! 退避命令です!」


 十五時十六分だと? 

 ボルドは腕時計に目を向けた。針は正に十五時十六分を示している。


 司令部は味方もろとも吹っ飛ばすつもりか! 

 ボルドは心の中で叫ぶと、再び声を張り上げた。


「伏せろ! 後方から着弾だ!」


 同時に周囲が閃光と爆音に包まれる。なすすべなく吹き飛ばされて、自分の体が宙を舞う感覚がある。


 一方、これで終わりだと思うと、ボルドはどこか安堵する自分を感じていた。


 そう思った途端、胸の奥で何かがほどけていった。

 戦う必要も、怯える必要も、何かを背負う必要もなくなるのだ。


 ここまでだな……。

 心の中でそう呟いたのを最後に、ボルドの意識がぷつんと途切れた。





 音が消えていた。

 あれほど耳を焼いていた轟音が、今はどこからも聞こえない。

 静かだった。ここはあまりにも静かで、最初は死後の世界かと思った

 

「あら、少尉、随分と悪運が強いみたいね」


 ボルドが目を覚ましたことに気づいて、看護師の女性が近づいてくる。細身の女性だった。特徴のある長い耳。それは彼女がエルフ種であることを示していた。


 エルフ種は男女を問わずに整った顔をしているのだが、彼女はその中でも群を抜いているように思える。腰まで伸ばされた金色の髪、青色の瞳。まるで絵画から抜け出て来たような出で立ちだった。


 全身が痛む中、ボルドは身を起こそうと体を捩る。すると自分の左腕に違和感があることに気がついた。


 左腕に黒い瞳を向けると二の腕から先が綺麗に失われている。途中で失われた二の腕の先には血の滲む包帯が巻かれていた。


 決して死にたかったわけではない。だが、結局は左腕を失っただけで、死にそびれてしまったようだった。そんな思いがボルドの胸に去来する。

 

「命があっただけでも感謝なさい」


 看護師は体を起こそうとするボルドを制しながらそう言った。

 ボルドは体を起こすことを諦めて、改めて寝台に体を任せる。寝台も枕も硬かったが、それに対する不満はなかった。不満があるとすれば全身の痛みだけだ。


 左腕を失ったことに関しては何の感慨も浮かんでこない。後方から放たれた砲弾や魔法の直撃を受けたのだ。片手一本で済んだのであれば、安いものなのかもしれない。

 

 ボルドは自重気味にそう思う。どのような形であれ命が助かったことを知ると、今度は小隊の連中がどうなったのかが気になってくる。ボルドは先程の看護師に視線を向けた。


「隊の連中がどうなったか知っているか?」


 看護師は無言で首を左右に振った。


「少尉の部隊がいたところが、激戦地だったこと以外は何も。ただ怪我をしたのなら、ここに運び込まれているはずよ」


 看護師はそれだけを言って、ボルドの寝台から離れて行った。

 

 立ち去る看護師を横目で見ながらボルドは大きく息を吐き出した。片手を失った今、もう前線に立つことがなくなったことに気づいたのだった。


 砲弾や魔法が入り乱れる中を突撃することも、夜襲に怯えることもなくなる。


 戦場に身を置いた三年間が、自分にとって長かったのか短かったのかはまだ分からない。ただ幾多の部下や上官が死んでいくのを目にしてきた。


 いずれは自分がそうなる覚悟もボルドにはあった。逆にそうならなければ、先に死んでいった者たちに対して不公平な気もしていた。


 死にたかったわけではないのだ。だが死んでいった彼らに対して、自分が死にぞこなってしまったという思いが、ボルドの中で強く存在している。


 死んでいった友や部下の顔が次々に浮かんでくる。


 死にたくないですと泣いた若い新兵。

 家族の名前を呼びながら死んだ友……。


 「すまんな。俺はここで戦線離脱だ。お前らのところに行くのは、まだ先になるのかもしれんな……」


 ボルドは誰に言うでもなく呟いた。気づくと頬には一筋の涙が流れていた。

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