06 二十歳でAならAのままです
王国歴428年 水形の月6つ
Loqi
B-Boy
チェスナット王国郊外 野営地
ユーたんが歩いて去っていく。
もう少し年を食えば出るところも出るだろうし、オレ流の冗談も通じるし、愛嬌もあって悪くない女だ。若干、好意を寄せられた気もしなくは無い。
だがアイツはオレに金を出し、ビジネスライクの関係を求めた。これからはスポンサー様で、期待を裏切るようなことは絶対に出来ない。
(……そもそも、オレは人を魅了するのが仕事なのだからな)
これからのことを考える。
オレはこの世界のことを知らなすぎる。このカネもそうだし、さっきの魔法みたいなモンだってそうだ。一度、整理してみる必要がある。
オレは、この世界に初めて来たであろう時のことを思い出すことにした。
「どこだぁ、ここはよ……?」
西ノ坊甚六は見知らぬ台地に立っていた。いや、雪もまばらになっているからどこかの山だろう。斜面の窪みに一人ぽつんと立っている。
辺りに生き物が残した痕跡はなく、雪が降って痕が消え去ったという感じでも無かった。まるでオレが突然ここに沸いたかというようで、何故ここに立っているかが分からない。
背中にはバックパックがあり、特注のスキー板も脚に履いたままになっている。
「オレはK2を滑ってた……はずだろ? もう降りて来ちまったのか?」
辺りを見渡せばここはそこそこの斜面で、少し下ればもう雪は無いようだ。そこから先は緑の芝草が生い茂っている。標高はあまり高く無さそうな雰囲気であり、それを裏付けるかのように息苦しいということも無いから、酸素濃度も十分にあるように感じる。
緑の丘のその先には街が見えた。月面にあるような大きなクレーターの中に、オレンジ色の屋根が密集している。大きな崖の中身だけをくり抜いてそこに街を詰め込んで作ったようにも見え、その一角には大きな石造りの城門が築かれていて、天然の地形を利用して侵入口を狭くし、玄関口の役割を備えているようだった。オレンジ色の屋根と城壁の組み合わせは、まるでヨーロッパにあるかのような城塞都市を思わせる。
「んあ? インドはあんな感じじゃなかったよな……じゃあパキスタンか?」
K2の滑走は一応南側のルートを下りることになっていたが、どうやら知らず知らずのうちにパキスタンのほうまで流れて行ってしまったらしい。
「まあそういうこともあるわな」
そう納得したオレは足が動くのを確かめ、手に持ったストックで斜面に漕ぎ出した。雪道は200メートルも無かったが、雪があるのに滑らなければ山に失礼というものだ。
ザッ――
残った雪をわずかに楽しむことでささやかな喜びを得る。楽しみが終わるこの残り香は、いつも染み入るような寂しさに駆られるものだ。
だが、その先の緑の草木が茂る、急な斜面が目に入ってきて……
いきなりブチ上がった。
「うおっ、行けるぞコレ! イェアアッ!!!」
オレはスキー板のまま、緑一面の急斜面に突っ込む。
バタバタ、バタバタバタバタッ!!
物凄い摩擦抵抗が生まれるッ!
小石を跳ね、草木を切り、板を散々に痛めつける。それと同時に、脚に限界まで負担が跳ね返ってくるが、そんなもんお構いなしだ!
……だがそんな無茶は、斜面が少し緩くなると簡単に摩擦に負け。
やがて板は完全に止まった。
脚が痺れてしまったが、オレは笑い出す。
「はは、ハハハ……ワハハハハハ!! オレはK2を降りて来られたんだ! イヤッホオオオオオオ!!!!」
オレは小躍りしながらガッツポーズをする。実は勘違いをしていて、後から気付くのはご愛嬌だ。
オレはガチガチに脚を固めていたスキーブーツを脱ぐ。抑え付けられたモノが無くなり、靴下からはうっすらと湯気が上がる。
スゲー解放感だ。この瞬間が堪らない。
バックパックからお気に入りのビーサンを取り出して、無造作に履いた。
オレは改めてバックパックの中身を確認する。
高山登山には本来かなりの装備が必要で、悪路を越えるためのブーツとアイゼン、ピッケル、ストック、ロープやカラビナなどのハードアタッチメント、他には忍者が水に浮くために足につけるやつを鉄のギザギザで作ったような形をした、スノーシュー。これらを使って氷畳や深く柔らかい雪面を進んでいくが、誰かが雪に飲まれることもある。
チームロストを防ぐための探査ビーコンは雪に埋まった行方不明者の距離と方向を掴む為のもので、捜索用の伸ばすと5メートルにもなる折り畳み式のポールを使って、雪の塊を突いていく。要救助者の場所が判明したらスコップの出番だ。
これらの装備がかさばるのは言うまでもないだろう。
それから食料もいる。大量のレトルト食品に携帯コンロやガス缶の調理器具、水も持っていくが、現地調達もする。
これらの食料品がどのぐらいかの規模かというと、笑えるが鶏卵だけで500個は持っていく。毎日スクランブルエッグが食べられて実に楽しそうなハイキングだが、高山未経験者はここに全員酸素ボンベを背負う訳で、必然的にチームの人数は増え、総重量は軽くトンを越えるのだ。
だから無駄な物は一切持って行かないのが普通だ。
だが今回オレは上空からのスタートだったので、これらのものは一切考慮しなかった。それは一人での挑戦だからでもあったが、もし途中で止まるようなことがあれば、そこで死ぬつもりだった。
これは人生に諦めがついたからでは決してない。
もし途中で雪に埋まったとして、スノーシューやスコップを使って1時間以上ももがいて、雪からヘコヘコと這って脱出するとか、クソダサイだろ?
そんな姿を撮られでもしたら、オレの生き様は終わるのだ。
だからライフラインの代わりに、バックパックには最低限の道具の入れ、後はほんのちょっぴり趣味の無駄なモノを入れただけの、何より軽量化を優先した内容だった。
さっき出したビーサンと運動靴、替えの靴下。1セットの着替えと、今身に着けているグローブやゴーグル、ストック。
携帯用コンロと純銀製のマグカップ、プラスドライバーとニコちゃんマークの付いた携帯灰皿。
あとは遊びに詰め込んだミュージックプレイヤー、SK8とスキー板を半分短くしたスキーボード、あとは趣味のけん玉ぐらいだった。
完全に雪山を舐めているラインナップである。
オレは野営地のど真ん中で広げた中身を一通り眺めると、これらをバックパックに詰め直した。
カレーを食べて熱くなり、そろそろ厚着もイヤになったので上下のウェアを脱いで突っ込み、代わりに取り出したパーカーに着替えた。これからちょっとした運動もするので、運動靴に履き替えている。
「じゃあ、いっちょやりますかね?」
オレは準備運動を始めた。
雪山の登山はとても危険です。ベテランですら、ほんの少しの不運で死にます。
雪に狂うまでは、やめておいたほうがいいです。(雪に狂った人間のコメント)