37 無駄に洗練された無駄のない無駄な動き
ここまで、目一杯で駆け抜けて来た。
屋根の飛び移りや、降りたり登ったりする落差のある移動で単純に心拍数が上がり、私はかなり身体が温まっていた。今、床に伏せたのが気持ち良く感じるぐらいで、ロキも同じだと思っていた。
だが、一緒に逃げて来たロキの走り去る後ろ姿を見た時、目を疑ったのだ。
「え……?」
3メートルは離れていた。
彼はトップスピードで加速して、これまでの路地より広い距離を跳躍するように、ひとっ飛びで渡ったのだ!
しかし驚きは終わらない。
渡った先から降りると、開けた公園がある。私とディアが初めて出会った広場だ。ここには子供用の遊具があるくらいなもので、身を隠す場所も無い。
こんなところにノコノコと出て行ったら包囲されて捕まるだけなのに、あろうことか彼は、その遊具で遊び出したのだ!
「うそ……?
何よあの動きは……!?」
遊ぶと言っても、もうそれは遊びでは無かった。
公園の地面から生えた鉄棒を乗り越えたかと思うと、一度こちら側に乗り返し、さらに体操選手が鞍上で回るかのように何度か往復する。
もうそこには飽きたかというように次のおもちゃを見つけ、今度はそれめがけて頭から突っ込んで、跳び箱の要領で飛び越えたと思うと、ついた勢いのまま地面をゴロゴロと転がっている。
広場にいた子供たちがはしゃぎ出すが、同時に広場には兵士たちが集まって来ていた。
「スゲーぞ、あのにいちゃん!」
「こっちにいるぞ、囲め!」
「男だけだぞ!?」
「捕まえて聞き出すんだ!」
(ロキ、大丈夫なの!?)
徐々に彼は包囲されていく。
しかしその包囲網が迫り切った時、不思議なことに気付いた。誰も彼を捕まえられないのだ。
彼は30人はいるかというような兵士に取り囲まれていたが、公園の遊具を蹴って、乗り越えていく動きを止めていない。
そして時折、何もない所で突然ひねりを加えたムーンサルトをしては着地の勢いで地面を転がって、起き上がる勢いでまた空中回転をしている。
兵士たちはただ大勢で囲んではいるものの、その飛び跳ねる火中の栗に触ることが出来ないのだった。
(あの飛んでは回ってる動きも一応、無駄じゃないのね……)
兵士たちは近付いては身じろいでおり、彼の行く道を止められないでいた。
(見なさい……広場から離れていく彼は民家を蹴り付けて無駄にバク宙をして着地してから、猫みたいにその民家を登り始めたわ……余力が有り余ってるじゃないの……)
どうやら彼は……
私と一緒に逃げる時、本気を出してはいなかったようだった。
動きが違いすぎる。
そうだ、今思えば出会った時にやっていたあれは……ブレイクダンスだ。そのブレイクダンスを障害物を交えて踊り舞っているという表現が良いだろう。もしくは忍者の芸当とでも言えるかもしれない。
もう無茶苦茶だが、あの調子では誰も止められないだろう。
彼のことは心配しないで良さそうだ。
そこまで思い至った時、私はようやく彼に言われたことを思い出した。
(いけない、忘れてたわ!)
彼は時間を稼いでいる。
私は私のすべきことをしなければならない。
(ええと確か……キルトエンデ、ね。
トップライト家にいるもう一人の奴隷だったわね。
顔は分からないけど、塔の上に居るのなら声は届くのよね……?)
私は不安を抱えながらも真名に向かって呼び掛ける。
「キルトエンデ……ええと……聞こえるかしら……?」
「おお? 誰じゃ??」
私が塔の上に向けて言葉を飛ばしたら、返事があった。
それだけで安堵が広がる。
「良かった、キルトエンデさんね? ロキのことは分かる?」
「ああ、おぬしは姫さんだったの。思い出したわい。確かそんな声じゃった」
「私はフェリシアです。ええと、思い出した……?」
「ふぅむ……そこに居るんじゃの。ロキとおぬしも、ここから見えておる。
しかしあやつは無茶苦茶ではないかの。先ほどから、魔法を使っておる気配がまるでせんのじゃが……」
「クス、確かに魔法を使ってるとしか思えないような動きをしてるわね。どちらかと言えば猿かしら? ああ、すみません、話があったんです……」
つい脱線した話を修正し、本題に入る。
「塔の下には兵士が集まってますよね? 私たちはちょっと、そこまで行けそうに無いんです。馬車は動きそうですか……?」
「いや、無理じゃの。無様にひっくり返って、中には誰か立て籠もっておる雰囲気じゃ。わしはまだ隠れておるぞ」
(ディアが立て籠もってるということは、私のために時間稼ぎをしているのかもしれないわね……)
「ロキが今、時間を稼いでいます。
私たちは、どうすれば良いでしょうか……?」
「ふぅむ……そこで遊んでいるアホはともかく、姫さんはこっちに来るのは難しそうなんじゃな?
じゃったら……場所を移すしか無かろう。王国でここ以外に高い場所は、ほれ、あっちの城門ぐらいしかあるまい?」
「城門ですか?」
「そうじゃ。わしは先に行っておる。カイ、おぬしは馬車の様子を見てきてくれ。これでお別れじゃ」
「……」
(カイ……? 誰だろう、誰か側にいるようだけど……)
「ロキのやつにもそう言っておけ。二人で城門へ来るようにな。
おぬしらは目立ちすぎておる。あまり時間はないぞ」
「わ、わかりました……!」
私は行動の指針を貰えたところで会話を終えた。
すると、魔法防衛装置の上から、何かが空を飛んだ。
「なによあれ……」
ここからでは遠くて見分けが付きにくいが、タンポポの綿毛のようなものにぶら下がった小さな人間が、空を飛んで移動し始めた。そして何やら不規則にはためいている白い紙が落ちていく。
さっき魔法で話した人間以外には考えられないのだが……そうだ、ここは異世界なのだと思い起こす。
(そっか、私はこれまで当たり前のように魔法を学んで来たけど、ここは日本じゃない異世界、だったわね……。空を飛ぶ魔法もあるんだわ……!)
今までの経験と、思い出した記憶が私の中で複雑に絡み合う。
自由という嬉しさに、翼まで生えて来たかというような喜びに打ち震える。
私は、本当に夢みたいな世界にやってきていたのだ……!




