36 極道神風蹴(ヤクザカミカゼキック)
チェスナットの領土の大半は平民の平屋で埋め尽くされており、その2メートルほどの高さにある屋根は狭い路地を挟むだけで、どこまでも続いている。街の中はそれ故に入り組んでおり、兵士達は追跡をしようにもあっちへこっちへ迂回ばかりしていて、誰も私たちには追い付いて来れていなかった。
私たちは屋根伝いに進んで行き、飛び移れない距離の路地を挟んだら、そこで一回家から降りて道を渡り、再び2メートルの高さをよじ登って次の民家へと上がる。
この民家は表にカエルの石像を置いているから、それを中継してよじ登った。
ロキは私より素早い動作でカエルを一蹴りし、手際よく上がっていく。
(やっぱり規格が違うわ……)
こうして改めて隣で身体を動かしていると、鍛え上げた私でもその差を感じてしまっていた。
「この先はつかまる所が無いので、民家の右側面に回ってから上に登ります!」
「高さはおんなじか?」
「はい!」
「なら、いい方法があるぜ。オレが足場になってやる。手前で待て」
ロキは2メートルの壁の真下で、両手を前に差し出して即興の足場を作った。
私はすぐにその意を理解し、そこに思いっきり右足を掛けた。
フワッ――
ロキがタイミングよく持ち上げたため、一人では絶対に味わえない浮遊感を味わう。
2メートルの壁を、拍子抜けするぐらい簡単に乗り越えた。
「引き上げてくれ!」
「は、はい!」
片手を伸ばして彼の手を掴むと、グッっと力が入り、足を踏み込んだ。
彼もあっという間に登ってくる。
「次は役割交代だ。オレが先に登るぜ!」
「分かったわ!」
息が合ってきて、楽しくなってきた。
ロキはすごい人だ。彼について行ったら、どこまでも行ける気がする。
私は次の屋根まで行くと先に降りて、壁際で振り返り、先程と同じように両の手をしっかり広げて彼の足を待つ。
「いいわよ!」
「そらッ!」
走って来た彼の足を受け止め、しっかりと持ち上げる。
少し重さに負けそうだったが、なんとか踏み留まった。彼は軽く飛び上がり、すぐに屋根の上から腕を伸ばしてくる。
「ほらよ」
「ええ!」
上から伸ばしてきたロキの腕をつかむと、彼は急に力を込めて、しかめっ面になった。「私、そんなに重かったかしら……」と疑問に思ったが、突然彼は大きな掛け声を出した。
「ファイトォォォォーー!!」
「……」
「イッパァァァァーーッ!!」
私は言葉を返した。無意識だった。
屋根の上に引き上げられた私は、茫然と立ち尽くしている……。
え、何だろう、この感覚……。
昔の記憶が……蘇ってくる……??
「ロキ……わたし、ここじゃない。
確か、日本という国から……
そう、今のは鷲のシンボルでは……無かったかしら……?」
「あら、姫さん、もしかして同郷なのか?」
「ええ、なんだか記憶が……
戻って来たみたいだわ……?」
「そりゃビックリだな、オレもこんなワケわからん世界に飛ばされて驚きの連続さ。でも今のはマジでビックリだぜ! どれぐらい驚いたかっつーと、キッカーを作る時に硫安を撒いたと思ったら、それが実は塩カルで雪が解けちまった時ぐらいだぜ!」
「塩カルって、橋の上とかに備え付けられてるやつだった?」
「ああ、そうだ。だが無駄話をやってるうちにお客様のお出ましだぜ?」
私が回り込もうと思っていた民家の側面から、一人の兵士がよじ登ってくる。
きっと、この辺りを警備していたんだろう。
「姫様……城へお戻りください!」
「逃げるぞ」
ロキは短く言い、先に走り出した。私もすぐに続く。
彼は兵士の脇を駆け抜けて簡単に身をかわしてしまうが、兵士は初めから私狙いだった……!
屋根の上で道を塞がれ、両手を広げながら近づいてきた兵士に、片腕を召し上げられてしまった!
「きゃっ……!」
「姫様、大人しくしてください……!」
私は正面から捕らえられ、振りほどこうにも男の兵士の力は拮抗しており、抜け出すことが出来ない。
ここで捕まる訳にはいかない、なんとか、抜け出さないと……!
「何してんだ……よっ!」
「ぐあっっ!?」
私を乱暴に拘束しようとしていた兵士が、漫画みたいに吹っ飛んだ。
兵士の方はそのまま屋根から落ちてダウンする。
ロキが蹴りを入れて、助けてくれたのだ。
彼のポッケに手を入れたまま踏み下ろすように繰り出したトゥキックはまるで不良のそれで、あれでは全治三か月ぐらいではないかと気に病んだが、ロキの意識は別にあった。
「姫さん、こっちを向け。いいか?
人間を捕まえようとしてるヤツは、こうやって無意識に手を前に突き出して迫ってくるんだ。
やってみろ」
ロキがじりじりとこちらを窺う、まるでサッカーのドリブルで抜き去ろうかという動きをしたので、私は言われたとおりに手を出して、彼を捕まえようとした。すると。
「きゃっ……」
出した手首を思いっきり引っ張られ、あっという間に背中側から躱されてしまった。
「手を前に出してんのは素人だ。コイツらには捕まるな。逆に、身体だけでぶつかりにくるヤツは相手が悪い。分かったな?」
「ええ……気を付けるわ……」
私はロキに即興の護身術を教わり、強く引っ張られて赤くなった腕の調子を確かめながら、走り出す。
彼は本当に遠慮が無い。本当に自由だ。
説得に行った時も私が裸になったのに合わせて、脱ぎ返してくるような男だ。
あの時は自慢の身体を見せ付けるためにやったが、彼の力強さを知った今では自分が小さく感じてしまう。
それにドレスを刻まれて、フリだったけど彼の手のひらには情熱的なキスをして、さっきは身体まで撫でまわされて、しかも同郷であることも今知った……。
――――いけない。彼は私に優しすぎる。
こんなの、ときめかないほうがどうかしている!
「ねぇ、ロキ……!
もし、このまま国外まで逃げきれたら……?」
「おっと、死亡フラグを立ててる場合じゃないぜ、姫さん。
マズイぞありゃ!」
ロキと私が目的地としていた魔法防衛装置の下で、二つの馬車が横転していた。
「大変、ディアが!」
「ん?」
「あの馬車には、ディアが乗っているんです!」
ディアは私が方向転換した時から、囮となるべく外に向けて走った筈だ。
そうして馬車で街を走り、私を拾って合流する予定を立てていたのだ。
「あのおっぱいメイドさんか?
だがあれじゃ近寄れねえぞ、参ったな……」
馬車が転がっているのは大通りだ。既に野次馬も兵士もたくさん集まっている。
今からあそこに行っても、彼女を救い出すことは不可能だ。
「どうしよう……どうにか出来ないの……?」
「うーむ。こりゃプランBだな……。
だが内容は今から考える必要がある!」
「それってもう手詰まりじゃないの!」
「まぁ慌てんな。息を切らせたら走れなくなるぜ。そうだな……」
ロキは走りながら計画を練り直し始めた。
私もなんとかする方法が無いか考えてみるが、良案は浮かんでこない。
「……姫さんはさっき魔法を使ったよな? じゃあ、奴隷魔法ってやつもイケるのか?」
「ええ……それなら修得しているけど……?」
「あの塔のてっぺんに、連絡したいヤツが居る。名前はキルトエンデだ。
そいつに、塔までは行けそうに無いことを伝えてくれ。お前には相談する時間が必要だ……」
そこからさらにロキは考え込み、一つの家を指差した。
「あそこの屋根が囲われてる家に行くぞ。あそこは少し高い位置にある。そこでお前は床に伏せて、連絡を取ってくれ。
オレはそこから降りて行って、ちょっと派手に騒いでくるわ。オレが戻ってくるまで、頼めるか?」
「ええ、分かったわ……!」
私は彼の言う通り目的の家に滑り込むとすぐさま床に転がって、その身を隠す。
ここは周りより少し高い位置にあったので遠くからはまる見えだが、頭さえ上げなければ近くの兵士には簡単には見つからないだろう。私は彼の姿を見送った。
「え……?」
私は目を疑った。




