25 マーダーダッシュ
件の家に着いた。
「それでは、私が先に御挨拶してきます」
「お願いね」
ディアは先行して、トップライト家の玄関をくぐって行った。
これから私は、ここの住人を説得して奴隷を行使してもらい、誘拐計画を実行してもらわなければならない。
かなり困難なように思えるが、国仕えの入国審査官という立場を考えれば、圧力の掛け方なら色んな角度からの攻め手がある。自由の象徴たる踊り子に命令するのはとても心苦しいが、囚われの私に自由を分けてほしいというような同情を誘う方法もあるから、基本的には相手の弱みに付け込んでいけばいい。
王女という優位な立場がある以上、説得自体は成功するだろう。しかし、説得に際しては不用意な発言は出来ないし、油断は禁物だ。
つまるところその成否は自分の口先一つにかかっているのである。
ならば手にも汗を握るわけで……喉も乾いてきたし、手も震えているようで……要するに、緊張してきたかもしれない……。
「うっ……ダメね、心臓がバクバク言い出したわ……」
胸に手を当てれば鼓動が早くなっているのが分かる。身体もふわふわとしていて、動かしてもぎこちなくなるし、言葉も上擦って舌も回らなくなりそうだ。
このままでは事を仕損じるのは目に見えているが……。
こういう時、とっておきのおまじないがある。
(せ~のっ!)
スタタタタタタタッ!! タタタタタタタタッ!!
私はその場で足踏みを始めた。少し前屈みになり、手には握り拳を作る。腿を小さく上げ、足を交互に浮かせ、一定のリズムをキープして床を鳴らす。
コツは、自分の限界まで追い込むことだ。
タタタタタタ、タタタタタタタタ――――――……
「……ハッ! はぁ……はぁ……はぁぁーー……」
私は30秒間ずっと止めていた息を飲み、駆け足を終える。それから足りなくなっていた空気を吸い込んで、ゆっくり息を整えていく。
1秒間に8回のペースで行った全力のその場足踏みは、私の緊張で上がっていた心拍を身体に追いつかせて、一気に臨戦状態に到達していた。
「兵士の人が言っていたわね……これは戦争に行く前の武者震いを抑えつける方法だって。
今は平和だから、女に告白する前の儀式になっていると嘆いていたけどね」
私は戦い好きの戦士に感謝し、完全に自分の緊張を掌握することが出来た。これでもう仕損じることはない。
「これなら大丈夫だわ……
ん、ちょうどディアも戻って来たわね」
「姫様、こちらへ」
頷きを返し、私は戦地へ赴く一人の戦乙女の気持ちを抱きながら、戦場の門をくぐって行った。
「本日はお越しいただき、誠に恐悦至極でございます。
狭苦しい場所ですが、奥の席へどうぞ」
「ええ、ありがとう。ユー=トップライトさんでしたね? あまり固くならなくても結構ですよ。今日は私がお願いをする立場なのですから」
「い、いえ……」
奴隷の主人であるユーさんは、かなり緊張しているようだった。もうこれだけでかなりの優位を取れている。私は優雅な挙措に気を遣いながら、案内された席に座った。
応接間の中央には長テーブルが置かれ、それを挟んで4つの椅子が向かい合っていて、右手前の席には既に踊り子のロキが座っていた。私はその対角に座り、主人のユーさんは彼の隣に座る。
最後にディアが、「失礼いたします」と言って残った席に座り、この家に居る人間は人払いが済んでいるので、これで全員だ。
今まさに、賽は投げられる。
口火を切るのは私の役目だ。
「本日はわたくしを出迎える席を用意してくれたことに感謝します。
わたくしはこの国の第三王女、フェリシア=エン=ナスター=シフォーリア=チェスナットと申します。長いので、フェリシアか、姫とお呼び頂ければ結構です。隣に控えているのはメイドのディアです。よろしくお願いしますわ」
「は、初めまして……フェリシア様。私はただのユーです。こっちはロキと言います……。
それで、本日はどのようなお話なのでしょうか……?」
いくつか搦め手を考えて来たが、お願いという形を取るためにまずは正攻法で攻める。
「わたくしが一週間後の25つ日に、アヴァローン帝国の第三王子との結婚式を控えていることはご存じかと思います。しかし、私はこれを望んでいないのです。この縁談を白紙にさせるために、お二人の力を貸してほしいのです」
「……やっぱりそういう話ですか……」
ユーさんは私のお願いをどうやら予想していたようだ。それなら話は早い。
「はい。事は国家間の話なので、普通に破談させると、下手をすると戦争という話まで発展する可能性があります。それを防ぐために……そちらの奴隷のロキさんのお力を借りたいのです」
「国に所属していない人間ならば、この計画は成立すると考えています。彼に、わたくしを誘拐させて欲しいのです。もちろん結婚式の場でです。国から脱出するためには、婚約破棄という条件が絶対に不可欠なのです」
「えっと……つまりそれは、奴隷に魔法で命令して欲しいということでしょうか……?」
「そうなりますね。計画に賛同して頂けても、保証はして欲しいですし。
お願い出来ませんか、入国審査官のユーさん?」
「……」
私は彼女の身分を強調してお願いをした。これは遠回しな脅迫の前フリだ。
難色を示すならじわじわと追い詰めていくつもりだ。
しかし、彼女は思っていたよりも強く拒否してきた。
「残念ながら、そのお話をお受けすることは出来ません、フェリシア様」
「どうしてですか?」
「この隣に居るロキは、もう奴隷では無いのです。
魔法で命令することは出来ません」
(なんですって!?)
私は掌握したと思っていた心臓が強く跳ねたのを感じてしまった。
もしかしたら顔にも出てしまったかもしれない。
動揺が抑えられないのも仕方が無い。
それもそのはず、なぜ彼女が知っている??
私が散らかし大臣ケントの所から奴隷登録書を紛失させたのは昨日の17つ日だ。その日はディアに前もってこの入国審査官の所に訪問してもらっており、その時はまだ奴隷は街の外だったと聞いている。
今日までに呼び戻せているのはそこに座っている踊り子の存在が何より証明しているから、昨日までは奴隷であったことは間違いない。
(今日までの日が明ける僅かな時間に、誰かが密告した?
そう、例えばケント大臣は紛失に気付いてて、私がコソコソと行動しているのがバレている……?)
下手を打ったとは俄かに信じられなかったが、可能性がある限りはこれを否定することが出来なかった。
これでは下手な発言が出来ない。
私は、おそるおそる聞き返す。
「ええと……奴隷ではない……?」
「はい。この隣にいるロキは、家族なのです。身内を売るような真似は出来ません。
それが例え、国の姫様の命令であってもです」
「……」
家族……。どういうことだろうか?
確かに踊り子は自由の人間だから、私自身も彼が奴隷になっているは不自然だと感じていた。
「それは、この踊り子が街で売られているような奴隷の扱いでは無くて、例えば、家のお手伝いに雇っているみたいなことなんですか……?」
「……そうですね。概ねそんな感じでしょうか。私はロキの正しい主人でありたいと思ってますから」
それを聞いて、私は手詰まりになったのを感じた。
いくら彼女を説得しても、彼に命令を出すことが出来ないのだ。これではどうしようもない。
別の手を探すしかない。そうだ、説得するのはこのまだ一言も喋っていない踊り子でも構わないのだ。
まだ下手な手は打っていない。私は彼に向き直り、説得の矛先を変えた。
「そちらの、踊り子のロキさんはどう思っていらっしゃいますか?」
「……」
少し待ったが、彼は喋らない。ならば攻めるのみだ。
「あなたはこの国の国民ではありません。主人は"家族"だと言っていますが、私の権限であなたを国外に追放することは造作もありません。どうか、わたくしのお願いを聞いて戴けませんか?」
「あの! それじゃ、ロキはどっちにしろこの国に居られなくなるじゃないですか!?
フェリシア様、それはあんまりです!!」
ユーさんがそこで声を荒げて怒ったが、踊り子は思わぬ反応をした。
「オレはやってもいいが、どうやるんだ?」
「「!!」」
これには私も、主人のユーさんも驚いている。踊り子は言葉を続ける。
「結婚式って城の中でやるんだろ? どうやって国を脱出するんだ? 馬車に乗って隠れて逃げるのか?」
「いえ、隠れて逃げてはダメなんです。
婚約を破棄しないと意味が無いと言ったでしょう? そうですね……」
「……当日は招待状を出すので、城内に賓客として忍び込んでもらいます。わたくしは光魔法を扱えますから、目くらましをして式の最中から脱出しようと考えています。そして王族専用の脱出路を通って、城下に降りようと思っています」
「兵士が追いかけてくるんじゃねえか?」
「この日の為に、鍛えてあります。私は城の兵士の誰よりも動けるので、遅れは取りません。ロキさんが王国の外で踊っていた踊りも、半分ぐらいは再現出来ますわ。こう、肘を曲げて床に手を付いて、その場で回る動きなどです」
「ん、タートルが出来んのか? ウソだろ?」
「いいえ、嘘ではありませんよ。お見せしましょうか?」
私はおもむろに立ち上がり、ディアから借りて着ていた下町の娘のワンピースの裾をつかんで、一気にまくり上げた。
「ひめさまっ!?」
「フェリシア様!?」
私は白を基調とした薄手のシルクの胸当てと、同じくシルク素材の柔らかい下着だけの姿となり、自慢の身体を踊り子に見せつける。腰に両手をやり、胸を張って言った。
「見なさい。ちゃんと鍛えているわ……」
家の中ではスペースが無いので踊りこそはしないが、この鍛え上げた肉体を見せれば説得力はあるだろう。
年相応に育った基礎についた逞しい筋肉と、上から下まで隙のない肢体、そして平均値をクリアしている胸のふくよかさ……私はどこを出しても恥ずかしくない女なのだから。
突然のことに驚いて、踊り子も眼を見開いていた。
だがしばらくするとおもむろに立ち上がり、主人の後ろを回ってゆっくりと歩いてくる。肩を左右に揺らし、身体の軸をフラフラとさせながら、実に気だるそうに近付いてくる。
そうして私のもう、目の前までやって来て……。
彼はダボダボに着崩していた上着の裾をつかんで、一気にまくり上げた。
「!?」
「甚くん!?」
踊り子も脱いだ。上半身だけだったが、その肉体が顕になる。少し日に焼けたかというような褐色の肌をしており、城内の兵士の中でも上のほうと言えるぐらいのしっかりとした身体構えだ。
私の正面で斜に構え、少しずつ、少しずつ近付いてくる。私も一歩も引かない。そうしてお互いの身体が触れそうになった瞬間――――
「ひめさまぁっ!!」
「だ、だめぇー!!」
二人はそれぞれ、後ろから抱き寄せられて、一気に場の緊張が崩壊した。
私の背中にはディアの豊満な胸があったから、非常に心地よい感触を味わっている。
「何やってるんですか姫様! 嫁入り前の身体ですよ!?」
「嫁に行かないようにする話し合いをしてたんじゃなかったかしら……」
「甚くん! 私という者がありながら! なんてことをしてるんですか!?」
「オイオイ、良いとこだったのによ。まぁこのユーたんの抱擁の強さを知れただけで、オレは嬉しいぜ。ついでに、今度は俺から抱き着いても良い口実が出来たな。楽しみにしとけよ、ユーたん?」
「~~~~~~~~~!!!!」
主人は声にならない声を出して暴れだしたので、話し合いはしばらくの間、中断することになったのだった……。




