01 異世界への旅立ちは高度8600mから
2025年 7月24日
Nishinobou Jinroku
Free skier
K2 高度8600メートル
死に最も近い男。オレはそう呼ばれていた。
3歳の頃、親がスキーを遊ばせた時に思いのほか上手だったらしく、それを喜んだ親は一年に一度、道具を買い与えるようになり、年に十日ほどはスキー場に連れて行ったそうだ。やがて小学生に上がり、自我が目覚めて来た頃には、雪山限定のスーパーキッズになっていた。
勉強なんかそっちのけで滑走が上手くなるためにあらゆる手段の練習を求めていた少年に待っていたのはスポーツのエリート街道で、ローカルで開催される大会で優勝し、それが県規模、日本規模と拡大していった。
勝ち続けた先に待っていたのは世界大会の場であった。
だがどういう技が高得点を取れるか、といった研究を重ねて身に着けた大技はアッサリと競技でメダルを取れてしまい、観客の祝福を受けはしたが、これは何かが違うな、と感じていた。カッコ良く無いのである。
オレは世界へ飛び出した。
海外の企業にスポンサーについてもらい、危険な撮影を思いついては、動画を撮ってもらう。少しでも間違えれば死と隣り合わせの、安全とはかけ離れたムービーを世に生み出していった。
これが日本という国を除けば大ウケで、拍手が喝采され、人々は熱狂の渦を巻き起こした。オレは求めていたモノが見付かったと確信した。
そんな命知らずを続けていたから、西ノ坊甚六はいつしか、死に最も近い男と言われるようになっていた……
2025年7月24日
ヘリのプロペラが高い回転数で唸りをあげて大気を切り裂いている。ここはヘリコプターの中で、世界で最も危険な山の上の、上空を飛んでいた。
ここに来るのは本当に大変だった。この山は中国とパキスタンの国境に位置しており、そのせいか登山するのも、着陸するのもやれ許可を取れとゴネる奴らばかりで、段取りだけで半年は費やした。
それがあったから面倒な登山という選択肢は自然と消え、ヘリで頂上まで運んでもらうことにしたのだが、それでもなお国は着陸は認めんだの、正式な記録には認定されないなどと散々言ってたが、そんなものオレにはどうでも良かった。
動画を撮って、映像さえ残ればいい。
ヘリからは先行して空撮用のドローンが大量に飛び立ち、もう下で準備が出来てる筈だ。後はここから主役が飛び降りるだけ。実にシンプルだ。
隣に座っている男が声をかけてくる。
「Jinroku,Are you stand by?」
「Year.」
甚六は短く返事をする。
ヘリコプターはホバリング軌道に入り、もうこれ以上は下がらないと意思表示している。使い捨ての簡易パラシュートと、私物を放り込んだバックパックに不具合が無いか、最後の確認をする。
オレはワイヤレスイヤホンのスイッチを入れた。
ドン、ドン、ドン、ドン……
耳の中にサイケデリック・トランスが流れ出す。滑走に音楽は欠かせない。
このジャンルは四つ打ちを続けながら電子的な音を組み替え続ける曲で、盛り上がってきたと思ったら最高潮の前に波が引いてしまうが、打つのを止める訳でもなく色んな音に変化していくのだが、その中にストーリーが用意されてる訳でもなく――まるでじわじわと火を通す燻製法で肉を焼くように――永遠と続いていくことで覚醒状態まで持っていく、宗教的で麻薬のような音楽だ。
DJがダンスホールで長い時間流している曲とイメージしてもらえれば想像がつくだろうか。
これから長時間の滑走をするにはテンションが上がりすぎるのも危険だし、かと言って一瞬でも気を抜けば即座に死に繋がる。この音楽を選んだのは、熱さず冷まさずを維持するにおいて、非常に適していたという理由からだった。
サイケデリック・トランスの眠らない響きが、頭の深くまで落ちてくるのを待ってから……甚六は空へと飛び出した!
「Fooooooooo!!」
甚六は思い切り叫んだが、すぐにパラシュートを開く。ヘリからはビル十階ぶんの高さも無いからだ。すぐに落下の勢いが殺され、僅かばかりの静寂が訪れる。
耳には音楽だけが流れている……。
そして地面が、雪面が迫り、曲が節目にちょうど切り替わるのに合わせて……パラシュートを切り離した!
「―――――!!」
無音の衝撃。スキー板が接地したことで、物凄い雪煙が舞った。
いくつかのドローンは雪の煙幕で彼を見失ったが、その姿は雪煙が舞い上がった先端から飛び出す。
時速はすぐに100キロを超える。ロケットを逆噴射したかというような勢いで重力方向に落ちていく。
それは滑走というより、滑落でいう表現が正しいだろう。
雪を捌けなければ落下死するし、止まれば雪に深く埋もれて、身動きが出来なくなって窒息死する。雪面という特殊な地形だからこそ、速度の中にだけ活路がある。
最初の好調な滑り出しを決めた甚六は、そこを器用にうさぎ跳びをするかのようにキツイ斜面を跳ねていく。
自然の地形から通れるコースを探し、むき出しの岩場を避けて進む。
だが不幸にも、5キロほど降りてきた所で異変は起きた。
大きなうねり声が聞こえ、甚六が刻んだシュプールが突然上下に大きく二つに割れる。雪崩だ。雪崩は人の入らない深山なら起きる環境はどこでも整っており、勿論巻き込まれればひとたまりもない。
異変に気付いた甚六だったが、その時不幸が重なり、先行く雪面が急に狭まり、さらにその先には大きなクレバスが大きな口を開けて待っていた。
飛び越えるしかない。甚六は瞬時に悟る。
「……やるしかねえ。いい女だ。
ここで決めなきゃ嫌われるぜ、そうだろ、K2!?」
甚六は山に話しかけ、雪が薄く剥げた小岩をランディングポイントに定め、ノーブレーキで向かう。
エアーを決める時は躊躇ったらダメだ。20メートルは開いてるであろう、ボトルネックの形をした氷の谷を越えるにはそれしかない。
両足を揃えた直滑降でさらにスピードを上げ、踏切りに入る。
雪崩はすぐ背中にまで迫っていた。
一度足を大きく広げ、上半身を左に回して助走をつけ、ねじりを戻してジャンプと同時に右に切り返す!
トリプルコーク1620!
体をねじり、地表と水平方向に足を投げ出す。
甚六は回った勢いでテールグラブを掴み、スキー板をクロスした体勢で身体を小さく閉じて、空中で舞う。1620度の回転をする3Dトリックだ。
エアトリックは横に1回転で360度と数え、縦に1回転でコークが付く。実際は軸の傾きで変わってくるが、簡単に言うと、斜めに1回転を回って後ろ向きで着地したらコーク540だ。
4回転で1440度で、後ろ向きに着地したら1620度。その間に空中で頭が三回下を向けば、トリプルコーク。
つまりトリプルコーク1620というのは、横に4回転半、縦に3回転する大技だ。
身体は中空に投げ出され、きりもみ状態で回っている間に色々なものが見えた。
後ろに迫った雪の暴虐だとか、遥か遠くに臨むインド洋に浮かぶタンカーだとか、落ちたら決して助からないクレバスだとか、この技でメダルを決めた時だとかが、スローモーションになったかのように、様々なモノが頭の中を流れていく。
時間が引き延ばされて、ゆっくりになっていく。
不思議な感覚だった。
甚六は夢の中に迷い込む。
しかし実際には、時間はスローになど、なってはいない。
これまで甚六を追えていた撮影ドローンも、ビッグエアーをした彼のあまりの落差で最後の1機がついに追えなくなって。
一人の男の挑戦は雪の静寂となって消えた。
一つ確認を取らせてもらう。
ここから先に進めば、評価の星を押すことが出来るはずだ。
君たちは、この小説に対して
星評価を付けてくれてもいいし
熟考して付けなくてもいい。
それとも、君たちはすでに
星5評価済みの
準備の良い読者かもしれない。
それなら、何の遠慮もいらない。
この情熱溢れる小説のページをめくりたまえ。
冒険はその一歩から始まるのだ!
▼2話からヒロインの視点に切り替わります。ご了承ください▼