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パジャマ姿の女性はするりと俺の脇を通り過ぎて部屋の中まで入ってしまった。
手には小さなランタンを持っている。
LEDの白いライトに照らし出されたその姿は、気だるそうな雰囲気をたたえていた。
「どういうことですか?」
「どういうことって……そのまんまの意味ですけど」
つまり、俺に抱かれろと命令されてきたのか。
結城は俺をぶん殴る一方で、自分の勢力に取り込むために彼女を送り込んできたのだろう。
わかりやすいアメとムチだ。
それにしてもパジャマ姿の女性を見るのは久しぶりだな。
美佐が出て行って以来、生で見るのは初めてだ。
紺色の無地のパジャマ。
普通過ぎて、かえってそれで興奮してしまう。
ちょっと疲れた感じが色っぽくもあった。
ただね、この人は食事のときに見かけたけど、小学生くらいの男の子を連れていたはずだ。
そのことを思い出して俺の興奮はスッと引いた。
「何でもしてくれるのかい?」
あえて、ギラギラした目で聞いてみた。
「あ、あんまり変態的なのは……」
彼女の表情に初めて動揺が浮かんで安心した。
それまで全てを諦めきった顔をしていたのだ。
「冗談ですよ。それより、食事の時に連れていたのは貴女の息子さんですか?」
「ええ……」
少し怯えた表情のまま彼女はこちらを見ている。
だから、冗談だってば!
俺は食べかけのタケノコの村を手渡した。
ここには12人の子どもがいるそうだから、一人一粒は残っているはずだ。
「これ、子どもたちに分けてあげてください。食べかけで悪いけど」
「え……」
「俺は娘を探して旅をしているんです。貴方みたいな立場の人に欲望をぶちまけたら、娘に合わす顔がないもんで」
本当はやりたいのです。
さっきから体は反応しています。
だけど理性で抑えているのです。
飯は食っても人は傷つけない。
これ、デブの美学ね。
「あ、ありがとうございます……」
「あっ、もしよかったら結城には俺と寝たと報告してもらえませんか? しつこいくらいに何度も求められたって言っといてもらえると助かるんですけど」
その方が奴も油断するだろう。
今は俺が懐柔しやすいと思わせておいた方が都合はよさそうだ。
「はあ……」
「相当なスケベだと言っといてください。事実そうなんですけどね」
頭を掻いて見せると、彼女は少しだけ笑ってくれた。
「お菓子、ありがとうございました」
丁寧に頭を下げる彼女におやすみを言って、部屋から送り出した。
正直に言えば、惜しいことをしたという気持ちはある。
お見送りの時に気がついたけど、あの人はブラをしてなかったもんな。
倫子、パパは誘惑に負けなかったよ!
きっと君はパパを褒めてくれるよな?
なっ?
朝食の時に、一人の男の子が近寄ってきて、俺の耳元で囁いた。
「おじさん、お菓子をありがとう」
男の子は照れ臭そうに笑みを浮かべている。
悪い大人に気づかれない内に、タケノコの村を食べられたようだ。
他の子どもや、その父母らしき人達にも秘密めいた軽い会釈をされた。
「また、持ってきてやるからな。君の名前は?」
「徹、浜崎徹っていうんだ。ママは仁美だよ」
パジャマの女性は仁美さんか。
よく似合っている名前だと思った。
コミュを出るとき、吉永さんが俺を見送ってくれた。
「子どもたちにお菓子を分けてくれたって?」
俺としては苦笑するしかない。
「そうは言っても一人一粒ですよ。なんの足しにもなりゃしない」
「いやいや、その一粒で殺し合いが起こる世の中さ……」
その言葉は、あまりにも救いがない気がした。
「物資を集めたらまた戻ってくるんだろう?」
「ええ。なんとしてでも荒川を渡りたいですからね」
「私としては君みたいな人にこそ、ここに留まってほしいのだけど……」
吉岡さんの目に切実なものが浮かんでいる。
彼もギリギリのところで踏ん張っているのだろう。
「また来ます」
吉岡さんには悪いけど、最優先すべきは倫子のことだ。
俺は亀戸コミュを後にした。




