プリ〇ス迎撃の可否について
自動運転の実用化を待ちながら
珍しく晴天に恵まれた代休日、環境破壊に勤しもうとする私は鰭脚類へと変化して久しい同居人に呼び止められ、職場への配達を命ぜられた。
交通安全週間のせいもあり随所で見かける警察車両に捕まることもなく迅速に配送を終えた私は、都内に向かう渋滞を尻目に最寄りのインターへと舵をきった。
信号待ちの横断歩道を保育士に伴われた幼児の群れが横切っていく。ここ数週間の間に、どれほどの幼い命が失われたことか……。おりしも、対向車線にはロケットともミサイルとも揶揄される国民車が右折信号を出して止まっており、運転手はご多分に漏れず年輩のご様子。
その時、私の脳裏に天啓がひらめいた。
――幼児に突っ込んでくる車に自分の車を当てて止めたら一躍ヒーローじゃね? 最悪、そのまま昇天しても功徳が増えて上手くすれば異世界転生あるかも(笑)
四半世紀ほど前に件の車種が発表された時、私はそれまで乗り継いできたスポーツカーを手放し、いわゆるエコカーに乗り換えた。最大の理由は、当時まだ人魚だった同居人との間に長男が生まれたことだが、環境への配慮という聞こえの良いコンセプトに同調したこともある。その後、初代から三代まで乗り継いだが、三代目で袂を分かつことになった。
もともと、右ハンドルの車はアクセル周りがタイヤハウスの影響を受けやすく、大なり小なりオフセットしているものだが、三代目は特に酷く、いわゆるパニックブレーキを踏むために全力で正面に右足を伸ばすと、私の場合、ともするとアクセルに右足が当たりがちだった。
体格には個人差もあり、股関節の作りも違うことから、構造上の欠陥とまでは言うつもりはないが、少なくともブレーキペダルを全力で踏み込めない車に乗り続けることは私には出来なかった。
回生ブレーキを備え付けた同車は、通常運転時には軽めのブレーキ操作だけで事足り、実際にブレーキディスクがローターを挟むことは稀であった。だがそれ故に、本来アクセルとブレーキとが持つ固有のレスポンスの違いが極めて分かりにくかったのは私だけだろうか?
北米市場でフロアマットに起因するとされた訴訟に際し某社が支払った和解金は11億ドル、その後の防錆不良が34億ドル、もしも人間工学的に問題があるとしたら一体いくらになることやら。元経産官僚が逮捕されない理由は、彼の持つ勲章などではないのではなかろうか。
妄想は後続車の鳴らす警笛により中断された。
サイドブレーキを解除してノロノロと車を走らせ始める。
こんな出足じゃ、対向車にぶつけても一緒に跳ね飛ばされて被害が拡大するのがオチか。やっぱり車はスポーツカーじゃなきゃダメだな。
法的・物理的な検討は行っておりません。
なお、後付機能としてアクセルを過大に踏み込んだ際にECUを制御する装置が純正及びサードパーティーから発売されています。高級バッテリー程度のお値段ですので、転ばぬ先の杖として知人・縁者にお勧めするのも一案かと。