屋上でJKに尋問を受けていたら
ボブ子は見えるはずのない俺を、真っ直ぐに見ていた。
「どうして……」
俺は絞り出すようにしてそう言うのが精一杯だった。
ボブ子は髪や肩に付いたフロントガラスの破片を左手で払い除け、空中で静止している俺に向かって右手を伸ばした。
俺は避けなかった。人間に妖精である俺を触ることはできない。
しかしボブ子の掌は容赦なく俺を鷲掴みにした。
潰される。そう思い、必死でボブ子の人差し指と親指の間から頭を出す。
「やってくれたわね」
「え?」
「失敗して残念?」
ボブ子は手の中の俺に、ずいと顔を近づけて言った。
「なんで……」
「なんで生きてるんだって?この程度で私を殺せると思ったの?」
ボブ子の声は鈴を転がしたように可愛らしいが、内容はひどく物騒だった。
「殺すって?なんの話をしてるんだ?」
「スカートに潜り込んで何をするのかと思えば。まさかそんなところで力を放つなんてね。あの至近距離で力を使われたのに、バスが横転するまで気が付かなかった。速さだけは褒めてあげる」
ボブ子は一体何の話をしているんだ。それに、速さだけは褒めてあげるというフレーズで、褒められている気がしないのはなぜだろう。
「なにか誤解してるよ。こんな大事故の中で君が生きてたのは嬉しいけど。怪我は大丈夫なの?早く降りて救急車に乗りなよ。きっと事故を見た人が通報してるから」
こんな風に長い言葉を発したのは久しぶりだ。ボブ子は頭を強打したせいで、わけのわからないことを言っているんだと、俺は結論づけた。そして俺を見ることができるのは、ボブ子が死にかけたからだ。
駅を飛び回っている時、老人が俺を一瞬だけ見つけてしまうことがある。そういう老人は決まって、それから姿を見かけなくなる。おそらく死が近い人間だけが、俺を見ることができるのだ。
遠くでサイレンの音がする。ボブ子は俺を握ったまま、割れた窓から外へ出た。
バスの外は大惨事だった。飛び散るガラスと、人のざわめき。煙を上げている乗用車。人垣ができている。
「大丈夫か?」
人垣の中から何人かが口々に叫んだ。ボブ子はそれを一瞥し、突然地面を蹴り、”跳躍”した。
一瞬の出来事だった。
人垣とバスが視界から消える。そして俺達はビルの屋上にいた。
何が起こったのかわからなかった。
俺も飛ぶことができるが、せいぜい鳩か雀の速さだ。
それを一瞬で、ボブ子は5階建てビルの屋上まで"跳んだ”
ボブ子は一段階段を登っただけのような軽やかさで、トン、と爪先から着地し、警戒するように周囲を見回す。そして手の中の俺を改めてまじまじと見た。
「さてと、お前の所属を教えてもらおうか」
ボブ子は言う。
「所属って何のこと?」
俺は答えながら、今の状況について考える。
ボブ子の口調、手の力。下手なことを言えば、握りつぶされてしまうかもしれない。
「とぼける気なら、羽をむしり取る」
ほら、やっぱり。
「ええと」
「どこから来たんだ?」
「駅から」
「そんなことを聞いているんじゃないっ」
ボブ子の手の力が更に強まる。肩が痛い。
「駅から私を尾ける前の話だ」
「えっ」
どこから?
俺はいつも駅にいる。その前?それは家に…家?
「答えろ」
ボブ子の声が大きくなる。
「家から……」
「アジトか?どこにあるんだ?」
どこって家は家だろう。
俺の家は……どこだ?
ずきり、と頭が痛む。
突然思考に靄がかかる。
「質問を変えよう。名前を言え」
よかった、これなら答えられる。
「俺は」
俺は?言葉が出てこなくなった。
「あれ?おかしいな。俺は」
どうしてだろう、急に俺は、自分の名前がわからなくなった。
自分の名前を知らないなんてこと、あるはずがないのに。
答えなければ、俺はこのまま羽をもがれて潰される。
「ああ、そうだ。俺の名前は、ルキアだ」
咄嗟に出たのは、昔読んでいた漫画の登場人物の名前だった。
ボブ子はそれまで、表情だけは能面のように無表情だったが、俺の言葉を聞いた瞬間、右の眉を吊り上げた。
「ルキアね。悪かったわ」
ボブ子はそう言うとぱっと俺を掴んでいた手を離した。
俺はよろよろと地面に落ちる。羽がずいぶん皺になってしまった。
「悪かったわね」
ボブ子はもう一度言い、背を向けた。
「待ってくれ。どういうことなんだ?」
呼び止めたが、ボブ子は振り返らない。
ボブ子はそのまま俺を残し、隣のビルに飛び移った。そして次々にビルを渡り、あっという間にみえなくなった。
人間離れしたその動きを視界の隅で眺めながら、俺はどさりと仰向けになり、空を見た。
飛行機雲が、滲んでいた。