Act.98『妖精猫の王国ⅩⅩⅠ』
「気を抜くな。まだ敵は残っているんだぞ」
大技を放った疲労からか気が緩んだアリエルに、カイエンが静かに注意を促す。
彼の言う通り軍勢の八割がアリエルによって一掃されたものの、運良く被害を免れた骸の獣達は、広場から少し離れた場所でまだ残存している。
一目で数えてみても十数体といったところだ。死霊達は何やら怖気づいたのかこちらの様子を窺っているようだが、未だに数的有利はあちら側にあるので油断は出来ない。
「だけどよ、カイエンさん。アリエルのおかげで邪魔な奴らはおおかた片付いたんだぜ? ここを突破して敵の魔術師を探すなら今じゃねえのかな」
「ああ、分かっているさ阿貴。彼女が作ってくれたこの好機を利用しない手はない。……セン君に関しては、彼の武運を祈るしかないな」
謎の男の介入によって自分達から分断されてしまったアルトライトの救援に向かいたい気持ちはあるが、この絶好の状況を見過ごすのは悪手である。
ヴィクトル・フランシュタットが数で攻めてくる以上、また戦力を増やされるのは厄介だ。アリエルに削がれた戦力を彼が整えている今のうちに、ヴィクトル自身を見つけ出さなければ状況は再び最悪な方向へ転がるだろう。
カイエンは苦渋の決断を下して、アリエル達に重々しく告げる。
「『白の光明』のみんな、ここは我々に協力してヴィクトルの確保に向かって欲しい。リーダーの彼を心配する気持ちは分かるが、我々は任務を請け負っている執行者だ。セン君もその責任を重んじていた。……どうか彼の気持ちを酌んで、よく判断してくれ」
彼女達には卑怯な言い方になってしまったが、おそらくアルトライトも自身の救援は望まないとカイエンは直感していた。
同じリーダーとしてアルトライトと何度も接していれば、彼が任務に対してどれほど責任感を強く抱いているかはよく理解出来る。特務執行科“管理者”の息子である事実が、彼を自然とそう考えさせるのだろう。
そんなカイエンの説得を聞いたアリエル達は顔を見合わせ、すぐに意見を一致させる。
まだ知り合って日の浅いカイエンに理解出来るくらいなのだ。チームメイトである彼女達が、アルトライトの性格を分かっていない筈がなかった。
「あの人は強い。……そう簡単に倒れる人じゃない」
「うん、それは私も同感。たぶん私達が行くと、却って邪魔になると思うから……」
「だから私達も行きます、カイエンさん。ヘヴンさんを助けに行きましょう!」
そう、ここで立ち止まっている場合ではない。
リーダーのことは心配ではあるが、王国で姉の身を案じているアースのためにも、ヘヴンは救う必要がある。
それに三人はリーダーの実力について、既に絶対の信頼を置いていた。きっと彼ならば敵を打ち倒し、自分達に合流してくれる筈だ。
「ああ、ありがとう。……ソニカ、どうだ?」
新人達の決意に微笑んだカイエンは、ソニカへ視線を向ける。
ヴィクトルとの会話の最中、カイエンから密かに指示を受けて先ほどからずっと何かの作業を行っているソニカの頭の周りには、いつの間にか光が覆っていた。
「もう少しだけ時間をください。あともう少しで……」
耳元に展開する二つの小さな魔法陣を光の帯が結んでいて、二本のアンテナのようなものが帯から頭上へとぴんと伸びている。
アリエルはそれを見て、まるでウサギの耳が着いたヘッドホンのようだな、と単純に例えた。
それはソニカ固有の魔術の発現なのだろう。
周囲の音を聴き分けるために目を閉じて集中する彼女は、額に汗を滲ませながら作業を続けていたが、やがて何かを捉えたのかパッと目蓋を開いた。
「──聴こえました、私達以外の人間の呼吸音。近くにアースさんと同じ体格の者と思われる小さな呼吸音もあります。そこにいるのがヴィクトルという男で間違いないかと」
「よし、よくやった。ご苦労、ソニカ」
大樹海に満ちる環境音、そしてアリエルが巻き起こした轟音の中、カイエンがヴィクトルから引き出した情報を元に周辺一帯の音をくまなく解析していたソニカが、その能力で敵の居所を突き止める。
それは砂漠の中でたった一握りの小石を見つけるような、気の遠くなる作業だったことだろう。しかしソニカ・ギュンターの魔術であれば、そのような奇蹟を起こすことは造作もない。
音には必ず特有の色がある。呼吸音一つを取っても、個々人によって呼吸に入り混じる声やリズム、呼気の量が個性となって違う音を生むのだ。
たとえ見つけ出すことに時間は掛かろうと、“音色”という印が付いているのであれば、ソニカは必ずその音を聴き分けてみせる。
そして一度聴いた以上は、彼女はもうその音色の特徴を聞き逃すことはなかった。
「今のうちに接敵する。ソニカ、誘導を頼む」
「はいっ。……行ける、シルビア?」
「……行きます」
ソニカから心配されると、震えていた膝を叩いて、シルビアは悔しげに歯噛みしながらも身体を動かす。
他のみんなが力を合わせて戦っているのだ。自分だけ足手まといになりたくはない。私も何か役に立たなくては。
(ここは森の中……私にとって好都合な場所なんだから。頑張れ、シルビア……!)
シルビアは目尻に浮かんだ熱を拭って、駆け出したカイエンやソニカの後に続いた。
その様子を窺っていた阿貴はやれやれと肩を竦め、涼はそんな彼の背中を叩いて行動を促し、仲間達を追った。
『白の光明』も彼らに遅れまいと、切り開かれた荒れ道へと駆け出そうとしたが、ふとアリエルは一人立ち止まったままのアンジェの気配に気付いて踏み止まった。
「アンジェさん、どうしたんですか?」
「ああ、ごめん。君達だけで先に行っててくれる? アンジェ、この騒ぎのことを国に戻ってみんなに報せてくるからさ」
「あ、えっと……そうでした。ここって聖霊達の……も、森を荒らしちゃってごめんなさい……!」
「良いよ、木はまた植えて育てれば良いんだから。そんな事より、早くみんなの所に行ってあげなよ。後で心強い助っ人を呼んで、君達を手伝いに行くからさ。みんなにもそう伝えておいてもらえる?」
「は、はい! じゃあ、また後でっ!」
アンジェの言葉に背中を押されて、アリエルは仲間達の元へと急いでいく。
そんな彼女の後ろ姿を見送るアンジェは、嬉しそうに微笑みながら空を仰ぎ見た。
「いやー……良いなあ、若さって。若者のああいう頑張ってるところを見せられると、お年寄りはついつい応援したくなっちゃうよ。
──ふふ、お父様もいつもこういう気持ちだったのかな?」
青空を仰いだ視界の中に浮かぶ小さな光を見つけ、手を差し伸べる。
聖王アテナから執行者達に与えられていた人工精霊は、アンジェの意思に応えるように彼女の手の中へと収まった。
「さて、君の力をちょっと貸してもらおうかな。アテナにここへ姉様を呼び出して欲しいんだよね。あの緑の頭の方、多分あの子達には荷が重いから」
人工精霊に優しくそう声を掛けると、アンジェは一度周囲をゆっくりと見回してから、菖蒲色の光に抱かれてその場から姿を消す。
すると怯えながら広場を注意深く窺っていた骸の獣達は、無視出来ない強大な気配が消えたことで我に返ったように与えられた命令を思い出し、既に駆け去った執行者達の行方を追い始めた。
執行者達は窮地に追い込まれたことで気付かなかっただろう。数十もの骸の獣の群体が、どうしてたった一ヶ所に集まる獲物達をすぐに蹂躙することが出来なかったのか。
一緒にいた少女が一体何者だったのか。
……だが、
「──あの女、厄介だな」
執行者達は、そして少女さえも完全には気付かなかっただろう。
広場にもう一人、レオナと共に現れていた存在がいたことを。
「まさか私の気配を気取るとは……余計な邪魔をされる前に私が先に手を打っておくべきか。まったく、世話の掛かる小娘だ……」
誰にも認識されず、堂々と巨木に背中を預けて状況を観察していた男は、身に纏うローブの先を翻してゆっくりと歩き出す。
男の名はアルハート・F・リーティア。
樹海の中で渦巻く闘争を静かに眺める神算鬼謀は、移り行く局面を一人俯瞰しながら、自分の描く結末へと盤上の駒を動かしていく──




