Act.96『妖精猫の王国ⅩⅨ』
「セン君、敵が何者なのか知っているのか?」
「……ヴィクトル・フランシュタット。俺が以前のチームにいた時に交戦した経験のある死霊術師です。しかし俺の知るあの男は、こんな行動を起こすような人物ではなかった筈なんですが……」
「ふむ……ヴィクトルとやら。あなたの目的が一体なんなのかは知らないが、我々は今あなたに関わっている暇はない。すぐに手を引いてくれるのなら、今回はあなたをここで見逃すことも考えるが?」
カイエンが警告として、どこかに隠れ潜むヴィクトルへそう言い渡す。
自分達の任務はあくまでもケット・シー王の捜索だ。彼女の身の安全を一刻も早く確保するためにも、こんな場所でいたずらに時間を無駄にしている場合ではない。
だが、そんな警告を受けたヴィクトルは声に微かな嘲笑を混ぜて、静かに言葉を返して来た。
『そうか。では君達に、私の相手をする動機を与えよう。──君達が目当てにしているケット・シー王の身柄は私が預かっている。今は眠ってもらっているが、私の相手をしないと言うのなら慰みにこの小娘の骨でもいただいておくが……どうかな?』
それは決定的な一言だった。
誰も口にしていないのに、男がケット・シー王について言及するのは不自然だ。そもそも周囲にいる骸の獣達をケット・シー王国に送り込んだのがヴィクトルだと仮定するなら、事情は分からないにせよ諸々の辻褄は合う。
その可能性を考慮していなかったわけではないが、ヴィクトル自身の発言によって疑いは確信へと変わった。
「……それは本当か? 今、あなたの元に彼女がいると?」
『信じるかどうかは君達の自由だ。君達をこの森へ引き込んだ時点で、この小娘は役目を果たしているのでな。とは言えこんな子供の骨を拾ったところで、大した足しにはならんのだが』
カイエンはそのヴィクトルの言葉を聞くと、ソニカを一瞥してから他の執行者達の顔を見やった。
「──との事だ、みんな。現時点で我々の目的をヘヴン殿の捜索から、救出へと変更する。ヴィクトル・フランシュタットとやらの身柄を確保し、彼女を助け出すぞ」
そして剣を握り直し、一同の前に進み出て厳かに宣言するカイエン。
アリエル達は頷きはしたものの、しかし人質を取られている状況で男の身柄をどうやって確保すれば良いのかと不安が湧き起こる。最悪の場合、人質を盾にして抵抗する可能性は充分に考えられる。
するとそんな執行者達の危惧を察したのか、アンジェが淡々と口を開いた。
「みんな、ヘヴンのことは心配しなくて大丈夫だよ。誰だか知らないけど、魔術師なんかじゃあの子は絶対に殺せないから。仮に一度だけ殺せたところで、その時点で加害者は悲惨な目に遭うだけだよ。だから焦らないで」
出会った時から天使のような明るい笑みを浮かべ続けていたアンジェが、神妙な面持ちで静かに告げる。
彼女の言葉の意味は理解出来なかったが、ここはヘヴンと知り合いであるというアンジェの言葉を信じるしかない。
アルトライトはそう判断して、自分達の周囲に風を巻き起こしつつ虚空へ手を伸ばした。すると彼の右手に填められた指輪が魔力を帯び、異空間へ収めていた物体を召喚する。
アルトライトの手に握られたのは、剣身や鍔、柄に至るまですべてが純白に統一された直剣だった。
意匠に飾り気はないものの、白一色の壮麗なその剣は、アルトライトが愛用する風の魔剣である。
亡き祖父から名と共に受け継いだ品であり、セン・アルトライト・ウォーノルンの全性能を引き出すための武装。彼がそれを手にしたということは、ここからは本気で戦いに臨むという覚悟を示していた。
彼が剣を手にした直後、全員を包む旋風は勢いを増し、骸の軍勢を阻む障壁となる。そうして獣達を足止めしているうちに、アルトライトは全員へヴィクトル・フランシュタットという魔術師に関する情報を簡潔に伝え始めた。
「みんな。さっき見ての通り、ヴィクトルが使役する使い魔の骨は砕いても粒子になってすぐに再構成して復活する。骨を操っているのは死霊だから、奴らには霊体に攻撃が通る魔力ダメージが有効だ」
魔力ダメージとは、打撃や斬撃といった物理的な攻撃ではなく、敵対者の魔力そのものを削る攻撃のことを指す。
例えば、最も単純な魔力ダメージと呼ばれるのは精神攻撃の類だ。対象の精神を衰弱させることで魔力を損耗させるというシンプルな攻撃である。魔力とは術者の精神と密接に関わっており、その精神を害することでダメージを発生させるのだ。また、魔力そのものをダメージに転化することで魔力を削ぐといった攻撃も魔力ダメージにカテゴライズされている。
それ故、死霊のように魔力によって現世に留まる霊体を得ている存在にとっては、まさに大きな効果を発揮する攻撃だった。そして九人の執行者の中で、その魔力ダメージを扱えるのは──
「だから、俺とアリエル、それと翼。それから……」
「なるほど、ウチの涼か」
「はい。俺達四人を中心にして、奴らの包囲を突破しましょう」
魔術師自身の性能によって異例は数多く生じ得るが、基本的には魔力ダメージの性質を帯びている魔術属性は“光”と“闇”とされる。
アリエルと翼が得意とする属性は“光”であり、涼の操る影は“闇”に分類される魔術だ。
そしてアルトライトは例外として、神秘殺しの異能を肉体に宿している。霊体の活動を害する他に、彼の身体が骨に触れるだけで死霊と骨の魔術的な結び付きを絶つことが可能だった。
「分かった。では他の我々は君達四人のサポートに回ろう。阿貴、シルビアは涼の支援だ。ソニカは構わずアレを進めてくれ」
アルトライトの考えをすぐに把握したカイエンは、己のチームメイトに指示を出しながら後方へ向きを転じた。
『雪花の冠』が後方を見てくれるのなら、前方で道を切り開くのは『白の光明』の役目だ。新人達には側面の敵を任せつつ、自分は出来るだけ多くの数を相手にする──アルトライトはそう意を決して、風の障壁を解こうとした。
解除と同時に障壁を突風に変え、一時的に敵の包囲を破ろうと考えたアルトライトだったが、しかし……突如として彼の意識は周囲の敵から強引に引き剥がされた。
光が突然、視界の中に射し込んだのだ。
アルトライトの視線の先に現れたのは、短い一条の光。何もない虚空を貫いて、ゆっくりと空中を滑るその様は、まるで刃物が紙を裂いているかのようだった。
事実、その光の刃は空間を切り裂いた。
虚空に開かれた傷口はどこか別の場所へと通じているようであり、裂け目の中から何者かが彼らの前にゆらりと姿を現す。
「……誰、だ?」
いきなり空間を裂いて移動して来たのは、翠緑色の髪をした若い男だった。
涼し気な表情を浮かべて悠然と佇み、執行者達の姿を見回してからアルトライトへと視線を定める。
如何にもふらりとこの場に立ち寄ったという体で現れた男だが、白骨の魔獣達に囲まれたこの状況下においては、それはあまりに異様な態度だ。
(あれ? あの人、確か聖都で……)
突然現れた男の顔に、アリエルは見覚えがあった。
それは聖王との謁見を終えて聖都を歩いていた時、アリエルがうっかり路上でぶつかってしまった男だ。
どうしてこんな所にあの人が、とアリエルが疑問を抱く中、男の放つ気配から異質なものを感じ取ったアルトライトが、目の色を変えて男へ問い質す。
「何者だ、あんた……!」
「さて、説明が必要なのか? こんなタイミングで現れたのだから、ヴィクトルの協力者と考えるのが妥当だろう。君はそこまで愚鈍な男ではあるまい?」
「違う、あんた……一体誰の“眷属”だ……!?」
アルトライトが問い掛けているのは、男がどういう立場の人間であるかなどではない。男は一体どういう存在なのかと訊いていた。
そんな青年の問いの真意をようやく理解した男──レオナ・E・アルシオーネは、納得したように笑う。
「──ああ、そういう事か。成程、俺の気配が分かるという事は、父親と同様、君も何らかの神性なのだな?」
「っ!!」
男の言葉に、アルトライトの身に戦慄が走った。
障壁の解除をやめ、背後の仲間達を守るべく剣を構えたアルトライトに、レオナは地を蹴って一瞬で距離を詰める。そして右手に光を発生させ、鋭く一閃を放った。
アルトライトはその軌道を見切って男からの一撃を防ぐものの、威力を殺せず軽々と風の障壁の外へと弾き飛ばされてしまう。
そんな彼を追い、レオナは虚空に魔力の足場を作って跳躍するように空を飛び、風の障壁を切り裂いて広場から颯爽と離脱していくのだった。




