Act.93『妖精猫の王国ⅩⅥ』
人間味溢れる小さな聖霊少女を加え、一行は南方に広がる大樹海の元へと足を運んだ。
離れた場所からはあまり認識していなかったが、平原との境界になっている付近にまで近付いてみると、ティターン樹海と呼称されている所以がよく理解出来る。
遥か頭上にまでそびえ立つ巨大な木々。樹高およそ五十メートル以上にも達する大樹が無数に林立しており、その極めて太い樹木が視界を遮るどころか行く手を阻むかのごとく立ちふさがっている。
見るからに真っ直ぐに歩くことは難しい地形になっていた。足場は落ち葉が降り積もった腐葉土ばかりで歩く分には困らないが、見たこともない品種の植物が至る所に生い茂っていて、その怪しげな雰囲気から見る者に中へ踏み入ることを躊躇わせる。
「虫とかいっぱいいるんだろうな……」
「き、気持ち悪いことを言うのはやめてよっ」
思わず漏れたアリエルの呟きに、メシエが寒気を覚えたのか身を震わせる。
樹海の中では魔獣のみならず、虫にも警戒しておかなければならないだろう。この魔界、そしてマナの濃い大樹海の環境で生きるために、虫達が特殊な進化を遂げている可能性は大いにあり得る。もしかしたら毒を持っている種が潜んでいてもおかしくはない。
虫の存在も然ることながら、そこまで気を払わなければならないのかと顔を青くするメシエだったが、カイエンはそんな彼女の様子を見て笑みを浮かべた。
「なに、そこは心配するな。こういう時に役立つのがウチのシルビアだ」
「え?」
カイエンに目で促され、頷いたシルビアは肩から提げている鞄の中へ手を突っ込んだ。
数秒して何やら木製の短杖と種を取り出したシルビアは、その種を足許の地面へ数個蒔いて杖を振るう。
「Volo enim mihi flores florescunt, cum audivi vocem meam!」
シルビアによって魔術が働き、地面に落ちた種達から芽が生え、地中へ根を張って見る見るうちに急成長を遂げていく。
種が成長を始めてから花を咲かせるまでに、十秒も要しなかっただろう。すると色鮮やかな花弁が開いた途端、周囲には爽やかな芳香が満ちていった。
「あ、いい香り……」
「この花、一体なんなんだ?」
「ふん、相変わらずバカね阿貴。そんなことも知らないの? これはアストライアー。魔除けの花よ」
「魔除けぇ?」
シルビアの解説によれば、その花の香りは人間には無害なものの、特殊な魔術効果によって嗅覚に優れた獣や虫といった魔物の類には強い刺激臭となり、彼らは花の周囲に一切近寄らなくなるという。
それが人間の手による品種改良で生み出された魔除けの花、アストライアー。シルビアが所有する魔法植物の一種である。
「はぁ、なるほど。要するに魔物にはそいつが臭く感じるってことか」
「下品な例えはやめなさいよっ。あの大魔導師の神咲大師が作り出したすっごい花なのよ? いい匂いでしょうが!」
「ふーん。あっそう」
「ケンカ売ってんのぉ!?」
「まあ落ち着け、シルビア。花を摘んでも効果は消えないのか?」
「こ、こほん。はい、摘んだ場合でも一日くらいは香りを放ち続けますかね」
「充分だ。花は五本あるから、二人ずつで一本を持ち運ぶことにしよう」
カイエンの指示でアストライアーの花を摘み取る執行者達。
二人ずつで持つということで、互いにはぐれないようにする意味も兼ねて自然とペアを組む流れになってしまった。
先ずはリーダー達がペアとなり、『雪花の冠』は男女に分かれて二組を作る。その様子を見ていたアリエルがチームメイトを見やると、メシエは当然のように翼を捕まえていた。
「ということは……」
「やぁ、よろしく!」
アリエルは必然的にアンジェとペアを組むこととなる。
案内役と組むのは正直とても心強いのだが、初対面の上にお互いの年齢差が極端に離れているということもあって、なんとも不安を抱かせられた。
「じゃあ俺とカイエンさんが周囲を警戒しながら先頭を進むから。ソニカさんとアリエルも周囲の感知、よろしく頼む」
「ええ、任せて」
「はい。──“私は理解を導く”」
アルトライトに乞われ、アリエルは魔術を起動して背中に刻印を浮かべ、双眸を魔眼へと変異させる。
すると不意に、何やら奇妙な違和感がアリエルの視界に現れた。
「……あ、れ……?」
一瞬。アリエルの視界にノイズが走ったように、まったく別の光景が目に浮かんだのだ。
それはまだ踏み込んでいない鬱蒼とした樹海の中、自分達の前にあの骸の獣達が現れた──まさにそんな一瞬の映像を切り取ったかのような光景だった。
だが気付けば視界は元に戻っており、魔眼による超感覚がいつものように目に宿っていた。
(なに、今の……?)
「んー、どうかしたのアリエルちゃん?」
「うわぁ!?」
隣に佇むアンジェに顔を覗き込まれ、思わず後退るアリエル。
身長があまり変わらないだけに、頬が触れ合いそうなほどの至近距離にいきなり顔が寄って来ていて驚いたからだ。
「わ、ヒトの顔を見るなり身を引くなんて傷付いちゃうなぁ。これでもアンジェ、天使みたいに可愛い顔だってみんなから持て囃されてるんだよ?」
「す、すみません……いきなり目の前に現れて驚いただけで」
天使のような愛らしい顔立ちをしていることは否定しないが、それを何の衒いもなく自分で言ってしまうあたり良い性格をしている。
現代に生きる聖霊達は、みんなあのように人間じみているものなのだろうか。イリスと比べると、アンジェはその見た目通り性格が幼いように感じるが。
(……んん?)
イリスを思い出したからか、アリエルの頭には違和感にも似た微かな疑問が浮かんだ。
アンジェの顔を見ていると、何故か──
「アリエル。なにを立ち止まってるんだ、行くぞ」
アルトライトの声に、アリエルは我に返る。
どうやら思考に集中してしまっていたようで、歩き出していた全員の視線が足を止めたままのアリエルへと注がれていた。
「ほらアリエルちゃん、行くよー」
「ちょっ、自分で歩けますから押さないでくださいー!」
アンジェに背中を押される形でアリエルが仲間達の元に加わり、改めてケット・シー王の捜索が始まる。
膝元まで伸びた雑草の茂みを踏み分け、平原と樹海の境界を越える十人。
しかし、たった一歩踏み入った瞬間、九人の執行者は空気が一変したことをすぐさま身体で味わうこととなった。
「な、なにこれ、急に息が……!?」
「慌てるな、シルビア。呼吸はいつもより深く、少し長く意識して行うようにすればいい。軽めの深呼吸を常に行うイメージを持つことだ」
「は、はい。カイエンさん」
まるで酸素が薄まったかのような息苦しさが全員の身に起こったが、この緑豊かな地で酸素が薄いなんてことはあり得ない。
呼吸の調子が狂ったのは、樹海に満ち溢れるマナのせいだ。
魔法使いは大気のマナを取り入れる際、呼吸を用いる場合がほとんどだが、あまりに大量のマナが体内に取り入れられると肉体は無意識に魔力を消費して身体を薄く覆い、マナの過剰な流入を抑えようとする。
だが魔力消費によって魔法使いの肉体はこちらも無意識にマナを欲するようになり、より多くのマナを体外から取り入れようとするのだ。その結果、悪循環が起こり、呼吸の調子が乱れて息苦しくなってしまうのである。素人が陥りやすいマナ中毒と似たようなものだが、こちらは魔力の扱いが肉体に染み付いた魔術師達特有のマナ中毒と言えよう。
そしてカイエンが示した対処方法は、そんな症状に対して意識的に呼吸をコントロールすることで無意識に起こる悪循環を抑えようというものだった。




