Act.92『妖精猫の王国ⅩⅤ』
──夢を見ている。
眠りに落ちているにも関わらず何故かそう自覚出来るほどに、意識ははっきりとしていた。
だけど夢にしては……いや夢だからこそ、とても漠然とした光景が周りに広がっている。見えるのはひたすらに暗黒ばかり。距離も方向も把握出来ないような黒一色の世界だったが、自分の身体だけはまるで光に照らされているかのように視認することが出来た。
(なんだろう、これ……?)
夢の主であるアリエルは、ぼんやりと疑問を抱く。
声は出せず、周囲からは何も聞こえてこない。ただ視覚だけが、この夢の中では機能していた。
だがやがて、アリエルの来訪を待っていたかのごとく景色が変貌する。
辺り一面に広がる暗黒の壁に突然、紫色の光線が走り始めたのだ。
一つ、二つ、四つ、八つ……次第に増えていく紫光が、何度も折れ曲がりながらどこかへと進み続けていく。
さながらそれは格子状に組まれた回路を光が駆け抜けているかのようで、暗い宇宙を鮮烈に流れる星々のようにも見えた。
この光景が何を意味しているのか、アリエルには解らない。だけど何故か、見ていると不思議と心が落ち着くような気がした。
そう、まるで──あの家で、穏やかな日々を過ごしていた時のような。
「──良かった。貴女にも、この景色が視えているのですね」
(えっ?)
不意に、誰かの声が頭の中に聴こえてきた。
ここは自分の夢の中なのに、どうして聞いたことのない声がしたのか。その理由を確かめようにも、身体は動かず視界も変わらない。
声の主は、確実に自分の背後にいた。それも背中合わせになっていると思しき感覚まである。
だが得体の知れない存在に背後を取られているというのに、アリエルはまったく危機感を抱いていなかった。
「突然驚かせてしまってすみません。まだ繋がりが浅いので、こうして深層意識の中でしか接触出来ないようでして……」
(えっと……どちら様でしょうか……ってこっちの言葉は聞こえるのかな)
謎の存在相手に会話を試みようとするアリエルだったが、やはり聞こえていないのか反応はない。
しかし相手もそれを承知のようで、一方的に話を続けた。
「おそらくもう少し時間が経てば、リンクが強まって会話が出来るようになるかと。……どうやらもう時間のようです。説明は次の機会ということにしましょう」
暗黒の宇宙が、次第に色彩を失っていく。
背後の声の言う通り、そろそろ目が覚める時間らしい。今まで感覚のなかった身体に、少しずつ浮遊感が現れ始めていた。
「それまでは、私の力の一部を貴女にお貸しします。どうかお気を付けて……貴女は、あの──」
声は唐突に途切れ、視界は真っ白に塗り潰された。
星々の煌めきが消えていくことに喪失感を感じながら、アリエルの意識は現実へと浮上する。
刹那、アリエルは背後の存在が気になって──
(女の子の、声……)
そして夢の世界は、電源が絶たれたかのようにアリエルから切り離された。
………
……
…
ケット・シーの王国で一夜を明かし、食事を済ませた執行者達は国の南方に集合していた。
王国の外へと通じる結界の境界付近に整列し、彼らは見送りにやって来たアースの方へと一斉に向き直る。
「それではアース殿。我々はこれよりケット・シー王の一人、ヘヴン殿の捜索に行って参ります」
「はい。皆さん、どうかお気を付けて。姉の捜索にあたっては、何よりもご自身の命を最優先になさってください。……最悪の場合も、覚悟しておりますので」
「ご心配には及びません。必ずやヘヴン殿を見つけて参ります」
カイエンが一礼して踵を返し、先頭となって結界の外へと歩き出す。
その後に『雪花の冠』のメンバーが続いて外界に向かい、アリエル達も結界を通過した。
最後にアルトライトが深々と頭を下げるアースを一瞥して、仲間達の後を追う。
『神明』の外──朝を迎えた平原は、少し肌寒さを感じるようなそよ風が吹き抜け、草むらを穏やかに撫でていた。
日の出から三時間あまり。これから気温は次第に上がっていくだろうが、果たして大樹海の中の環境は如何に変化していくのか。
何もかも分からない未開の地に踏み込んでいくためにも、九人の執行者は聖霊の国より派遣されるという聖霊の到着を結界の前で待つことにした。
そして十分ほどが経った頃、彼らの前に空より凄烈な光が降り立つ。
「……来たか」
アルトライトがそう言って空を仰ぎ見る。
まるでそれは雲の隙間から陽光が射し込むことで起こる、天使の階段と呼ばれるような光景だった。
天使が地上に降り立つための光輝の道筋。聖霊が現れるには相応しい荘厳なる現象を前に、九人の執行者は気を引き締めて協力者の登場を待ったのだが。
九人の前に垂れ込めた光からは、一向に何かが現れる気配がなかった。
「あれ……?」
「来た、のよね?」
「……」
アリエルとメシエ、さらには翼も呆然と光に照らされた地面を見下ろし続ける。
アルトライトとカイエンが首を傾げながら視線を交えていると、二人の背中を何かが突いた。
「──こっちだよ、こっち。あはは、みんな引っ掛かちゃってぇ」
楽しげにそう告げる明るい声。
執行者達が驚いて後ろへ振り返ると、そこに協力者と思しき少女が佇んでいた。
左右で束ね、背中にも流れ落ちる美しい銀色の長髪。穢れを知らない白磁のように滑らかな肌。澄んだ青色のつぶらな瞳が九人を見上げ、その端麗な容貌には愉悦の笑みが浮かんでいる。
子供を思わせるほどの小さな身体から、聖霊と言うよりも天使と呼ぶべきような風貌の少女だが、彼女の身に纏う気配から強大な存在であることは誰の目にも明らかだった。
ともあれカイエンは動揺を静めつつ、慎重に少女へと問い掛ける。
「……あなたが、聖王猊下の要請を受けて派遣されたという?」
「そうそう。あの子に頼まれて君達の助けにわざわざやって来た、副……じゃない、聖霊のアンジェです、よろしくぅ!」
キラキラとした明るい笑顔で挨拶する協力者の聖霊をじっと見つめるアリエル達は、念話で緊急会議を開いた。
『……ねえ。この子、本当に聖霊なの?』
『気配は完全にタダ者じゃありませんけど……なんかすっごいフランクですね』
『軽いと言うか……濃いな』
『なんかシルビアよりバカっぽいよな』
『あんたにバカ呼ばわりされる筋合いはないわぁ!?』
『念話で叫ばないでよ、シルビア……』
『……頭に響く』
一同が協力者の言動に不安を感じる一方、アンジェと名乗った聖霊少女は執行者達の顔を見回して、アリエルの顔を見るなり目を止めた。
「ほほう、君か」
(えっ、なに?)
目が合ってしまい、意味深に微笑むアンジェにアリエルは思わず身構えてしまう。
何をされるのかと警戒したが、彼女はそのまま視線を外してカイエンとアルトライトへと興味を移した。
「さてさて、このアンジェが来てあげたからには、みんなもう大船に乗ったつもりで安心してよ。これから樹海の中で、ヘヴンを探しに行くんだよね?」
「ええ、まあ……ヘヴン殿とは顔見知りなのですか」
「そりゃ古い付き合いだよ。えっとぉ、あの子達がおと……じゃない、あの子達のご主人様に拾われた時からの付き合いだからー……ざっと五百年くらい?」
「……それは実に長い付き合いで」
目の前の少女のみならず、アース達も想像以上に長命な存在だったことに驚きを隠せない執行者達だったが、彼女が捜索対象と顔見知りであるならば話は早い。
対象の容姿はアースとほぼ同一という話だが、顔を直接知る人物がいてくれるのなら、捜索にも何らかの形で貢献してくれるだろう。




