Act.91『妖精猫の王国ⅩⅣ』
「皆さんが先ほど向かった結界の南方は、外に出ればそのまま南にあるティターン樹海方面へと通じています。他の集落や人間の市街地へ向かうならば、そこは通る必要のない方角なのです。なのでどういう意図でそちらへ向かったのかは解りませんが、姉はおそらく南にいるのではないかと……」
結界を管理している彼女がそう言うのであれば、それは間違いないのだろう。
結界の外は大きく開けた平原である以上、わざわざ出口を迂回する必要は皆無だ。故に南側から外へ出たとするなら、南に向かったと推測するのが妥当なのである。
しかし大樹海の環境についてあらかじめ聞かされていたシルビアは、ある心配事を口にした。
「でも南って、マナが濃くて私達人間には活動が難しい場所なんじゃ……」
「君達の着ている執行科の制服は防具となり得る他に、強力なアミュレットとしての機能も持っている。精霊種や魔獣達の楽園であるあの樹海の中でも、普通に活動することが可能だ。まあ、そこは大した問題じゃない」
制服にそのような機能があったことは驚き──アリエルと阿貴、シルビアだけの話──だが、カイエンの口振りでは他に問題点があるように聞こえる。
そう感じた涼は、冷静にその点について訊ねた。
「なにか他に問題でも?」
「単純な問題だ。あんな規模の樹海に無闇に入ったら、確実に迷ってしまうだろう?」
それは一同、納得の問題点だった。
同じような景色の中をずっと歩いていると、人間の脳は錯覚を起こすという。ただでさえ木々といった障害物のせいで真っ直ぐに歩けないのに、錯覚を起こした脳は地形判断を誤るようになってしまう。
つまり初めて通る道でも、一度と通った道なのではないかと誤認する可能性が発生するのである。そしてそのまま歩き進めて行くうちに、どんどん迷ってしまうのだそうだ。
遭難者の中には、この現象によって道に迷う者が多いという話である。
「対策としては、なにか目印を残しながら進むという原始的な手段しかない。やりようはいくらでも考え付くが、あの樹海にそんなものが通用するのかは不明だ。なので我々は聖王猊下のお力を賜ることにした」
カイエンが視線を向けた先にいるのは、微かに発光を増して存在を主張する人工精霊だ。
それは既に交信を行っていることを意味する姿であり、その相手はもちろん──
『──執行者の皆様。どうやら無事にケット・シーの王国に着かれたようですね』
聖王アテナ・ルナ・セレスティアルの声が、周囲へ清らかに響き渡る。
まるで目の前で話されているかのような澄んだ声音に誰もが背筋を伸ばす中、聖王は朗らかにそのまま話を続けた。
『話は既に聞いております。ティターン樹海の中に入られるということであれば、私が力になりましょう。何せあの樹海は、聖霊達の庭ですからね』
「聖霊達の庭……?」
アリエルの呟きが耳に届いたのか、聖王は間を置かずに説明を言い継いだ。
『ティターン樹海では様々な生命が暮らしておりますが、その奥深くの地に我がセレスティアル王家と関係が深い聖霊の国が存在します。つまり彼ら聖霊にとって、ティターン樹海は勝手知ったる庭なのです』
聖霊。神族に次ぐ霊格を持った強大な存在であり、セレスティアル王家を何百年も支え続けているという聖なる守護者達。
故に聖王ならば、そんな彼らに協力を要請することは造作もないことだった。
『聖霊王で在らせられるレイア様に代わり現在彼らを束ねておられる副王様には、既に私から話を通しておきました。明朝、樹海の案内役として聖霊が一人、皆様の元へ遣わされる手筈となっています』
「聖霊国の副王……と言うとあの方ですか」
話を聞いたアースが、どこか懐かしむように独り言をこぼした。
流石に妖精種の長となれば、聖霊達の長とも顔見知りの仲であるらしい。
『樹海の中は複雑に入り組んでいます。一度踏み込めば、簡単には脱け出せない天険の森です。アース様のお気持ちは解りますが、どうか案内役が着くまで一日だけ待っていただけないでしょうか』
「……私は構いませんよ。結界の調子を見るに、姉が今も健在であることは確かなのです。レイア様やあなたから預かっている皆さんの身を、無闇に危険に晒したりは出来ませんからね」
『……感謝致します、アース様』
二人の王が言葉を交わし終えると、黙っていたカイエンが再び口を開き、今日の予定について若者達へと言い渡す。
「というわけで、今日はここで待機することになる。しかし先ほど襲撃があったばかりだ、夜までは結界の四方に散って警備を行うことにする。いいか、みんな?」
「「「はい!」」」
全員の元気な返事に頷いたカイエンは、アルトライトと共に早速警備の配置についての説明へと移った。
襲撃者の存在に関する懸念はあるものの、捜索については順調に進められることになりそうだ。
果たしてどんな聖霊が自分達の前に現れるのか。
案内役を務めてくれるという聖霊の姿に興味を覚えながら、アリエルはリーダー達の指示に従って結界の警備へと向かった。
ティターン樹海。そこは巨人のごとき大木が無数に立ち並ぶ、人類には簡単に踏み込むことの出来ない霊妙なる秘境である。
だがその大自然の一画で、噎せるほどの死臭を漂わせている場所があった。
緑の大地に転がり、血腥い悪臭を放っているのは様々な魔獣達の死体だ。主に四足の獣ばかりだが、中には恐竜のような姿をした小型の竜種も混じっている。
その絶命した魔獣達の身体に、何かが大勢群がっていた。一見捕食しているのかと思うような光景だが、実際にはまったく別の行為が繰り広げられているようだった。
魔獣達の死体に群がっているのは、白骨で作られた肉のない獣達。それはケット・シーの王国に侵入した骸の獣達と同じ姿をしており、鋭い牙や爪を用いて、魔獣達の死体の中から骨だけを抉り出していた。
肉も内臓も乱暴に噛み千切り、強引に切り裂いて、骨身を鮮血に濡らしながら魔獣の死骸を解体していく様は、見ているだけでも吐き気を催すほどに凄惨なものだ。
だがそんな光景を、地上に露出した大木の根に腰を据えて静かに眺める人影があった。
惨状を見守るその眼差しには何も感情の色はない。もはや情熱を覚えないほどに見慣れた死骸の解体は、ただの作業にしか過ぎないのだろう。
「……魔獣の骨は良質だが、死霊が馴染みにくいのが難点だな。能力は優れていても、単純な命令しか受け付けないのでは雑兵にしかならない」
人影からこぼれた声は、男のものだった。
ケット・シーの王国を襲撃した死霊術師その人であり、今は戦力の拡充に努めているところのようだ。
使い魔から入手した情報によれば、標的は明日にこの樹海の中へ踏み込んで来る。それに備えて、今夜は入念に下準備をしておく必要があった。
「さて、聖霊とやらの存在が気になるところだが。──ああ、うむ。了解した、私は執行者達に集中しよう」
男は奇妙な独り言を口にして、ゆっくりと立ち上がる。
巨木に生い茂る枝葉が黄昏の光を遮り、男の姿は木陰に隠れたまま樹海の奥へ消えていく。
死肉を削ぎ落とした骸の獣達は容を崩し、粉となって一点に集まり、主の後を追う。抉り出された魔獣の骸達も同様に原形を失って、他の者達と混じり合いながら男に回収された。
そして骨を抜かれて散乱した肉片に、周囲で様子を窺っていた魔獣達が集い始める。
「さあ来るがいい……連合の犬共」
大樹海に潜む死骸の操者は、不気味に笑いながら標的の到来を待つ。
その瞳に、得体の知れない感情を滲ませて──




