Act.77『聖王の依頼Ⅶ』
「……なんだ、あんたは?」
訝しげに視線を向けて八雲に誰何する翼だったが、八雲は自分ではなく肩に乗っている鳥の方をじっと見つめていることに気が付いた。
その視線を受けるハチは、何やら両翼で顔を覆って震えている。
「ハチ……?」
「小僧。お前が連れているそいつは八咫烏だな。どこで拾った?」
「やたがらす?」
聞き慣れない言葉にメシエが首を傾ぐ一方、ハチの正体を一目で言い当てた男に、翼は警戒の色を浮かべる。
八咫烏。それは日本神話に伝わる神の遣いであり、導きの神としても信仰される太陽の化身だ。
独立した生命である妖精や竜種とは違い、神に仕える神獣である八咫烏が魔界にいることは本来あり得ない。
それ故に、その気配を街中で見つけた八雲は、看過出来ずに翼達の前に姿を現したのだ。
「……もう一度訊く。なんだ、あんたは。どうしてハチのことが分かる?」
「なに、そう警戒するな小僧。別にそいつを取って食ったりはしない。単にこんな異界の地で八咫烏を見るとは思わなかっただけだ」
そう言いつつ、興味をハチから翼へと移す八雲。
頭から足の爪先まで値踏みするように見られ、翼は嫌悪感を露わにするが、彼は意に介さず言葉を続けた。
「成程。小僧、お前はそいつにとって翼を休めるための止まり木なのだな。そいつがどうやってこの世界に迷い込んだのかは知らぬが、力を貸し与えているということは余程気に入られていると見える。その幸運、大事にするが良い」
「質問に答えて欲しいのだが……」
「しかし何だ? そいつから微かに姉上の力の残滓を感じるが……最近何処かで姉上の加護にでも触れたか?」
こちらからの言葉に中々取り合わない男に流石に苛立ったのか、翼は八雲を睨み付けて魔力を荒立てる。
メシエはそんな彼を制止しようとしたが、先に彼を制したのは八雲だった。
ほんの一瞬。八雲が翼の目に視線を直接向けた瞬間、青年の身体から漏れ出ていた魔力が凍り付くように静まったのだ。
「っ!?」
それは純粋な恐怖による反応だった。八雲がたった一瞥をくれただけで、翼は悟ってしまったのである。
この男には絶対に敵わないという、圧倒的な力量の差を。
「──いや、悪い。随分と懐かしいものを見たのでな。つい目を奪われて周りが見えなくなっていた。許せ、小僧」
「……」
今は目を合わせても平気だが、先ほどの視線から直感した戦慄は、翼が経験したことのないほど凄烈なものだった。
──こんな存在がどうしてこの都にいるのか?
その疑問が頭に浮かんだ時、翼の脳裏には二時間前の光景──三国の代表者達が本部に到着した場面のことが蘇った。
目の前にいる男の姿が、その光景の中に在ったのだ。若き聖王セレスティアル。そんな彼女の傍らに付き従っていた偉丈夫の姿が。
「……あなたはセレスティアルの?」
「おっと、いかん。何か騒ぎを起こしては、アイギスに面倒な説教をされかねん……邪魔したな、小僧。ソレはもうお前の所有物だ、好きに使え」
颯爽と踵を返した八雲は、翼の肩で怯えるハチを指してそう告げる。
そして今気付いたようにメシエにも目を向け、特に悪びれる様子もなく謝罪の言葉を述べた。
「そちらの娘も突然邪魔をして悪かったな。引き続き、小僧と愛を語らうなり睦み合うなり好きにしろ」
「そ、そんなんじゃありませんけどっ!?」
大気に溶けるように姿を消した相手に、慌てて否定したメシエの言葉は届いたのかどうか。
ともあれ不意に豪雨に襲われたかのような数分の出来事に、翼もメシエも唖然と彼が消えて行った路上に視線を泳がせた。
怯えていたハチは八雲の気配が消えたことでどうにか両翼を下ろしたが、しばらくは落ち着かず、翼の肩の上で足踏みするように身体を揺らし続けるのだった。
会談を終えてからそれぞれの時間を過ごし、魔界の空に青い月が上った夜の頃──
本部『イデアル』の上層で、“長”レイアは客人達の見送りのために広いエントランスホールへとやって来ていた。
聖王アテナ・ルナ・セレスティアルと、護衛の八雲とアイギス。
代表キアラ・ステラルムとキエレ・ステラルム、その付き人である煌魔千陽と朔夜・ウォーノルン。
個人的に親しい間柄にある他国の代表者達と、今日のように穏やかな時間を共に過ごせる機会はしばらく巡って来ないだろう。
『トゥーレ』の不穏な動きを、彼らの今回の“大偉業”を阻止しない限りは、もうゆっくりとは腰を落ち着けていられない。
「では、今後のことは会談で話した通りに。後日、こちらから連絡させていただきますので、各国はご対応をお願いします」
レイアの言葉に頷く三人の代表者達。
そして“長”として振る舞っていた聖女はすぐさまその仮面を取り、個人として家族達へ今日の感想を訊ねる。
「キアラさん、キエレさん。彼女と話されてみてどうでしたか?」
「はい。私達の新しい妹は、真っ直ぐな子で可愛らしかったですよ」
「むこうでの彼の話もいろいろ聞けましたしね。良かったら、レイア様も一度聞いてみては如何でしょう。ああいう話は、貴女が一番聞きたいものだと思いますよ」
「……検討しておきます」
キエレの言葉に苦笑したレイアは、次に千陽と朔夜へ視線を移す。
すると問われるまでもないのか、満足げな表情を見せる朔夜が嬉々と答えた。
「久々に家族で集まっての食事会は楽しかったです! ね、千陽くん?」
「ん。ああ、まあな」
「レイア様。これからも引き続き母と弟のこと、よろしくお願いします」
「ふふ。お世話になっているのは私の方なのですけどね」
ステラルム一行との簡単な挨拶を終えて、レイアはセレスティアル一行の方へ目を向けた。
気分転換をして爽快なのか八雲は笑みを浮かべたまま大人しくしており、アイギスも主と聖女の邪魔にならないようにと静かに控えている。
そんな彼らの意思を酌んで、レイアはアテナの前に歩み寄った。
「アテナ。しばらくの間、王になったばかりの貴女には難しい苦労を掛けてしまいますが、どうか八雲様やアイギス、家臣の方々と共に励んでくださいね」
「はい。レイア様から国を預かる聖王として、今後も精進して参りたいと思います」
「ケガや病気の無いように。それと例の件ですが、明後日にはそちらへ選抜チームを送ります。どうか彼らの力になってあげてください」
「解りました。お力添えに感謝致します、レイア様。どうかレイア様やイリス様もお元気で……」
手短に挨拶を済ませ、客人達から離れるレイア。
ステラルム陣営は千陽が指を鳴らして足許に魔法陣を展開し、真紅の魔力を満たして自身と他の三人を自国へ運ぶ。
一方でセレスティアル陣営の元にはイリスが歩み寄り、虹色の光で三人を包み込んで聖地へと送り帰す。
片や血の繋がりを持ち、片や彼を介した強い絆で結ばれた家族達。
目の前で燦然と輝いて消えていく二つの光を見届けながら、レイアは半ば無意識に言葉を漏らしていた。
「やはり、家族は良いものですよ……」
それが一体誰に宛てた言葉なのか、この場で解る者はいない。彼女の胸中に湧く想いを理解出来るのは、聖女の愛する者だけだろう。
今回の家族達との交流で想いを確かめたレイアは、強固な意志を瞳に秘めて歩き出す。
聖女の鮮やかな青い眼が捉えるのは『トゥーレ』──その奥に存在する、金色の髪を持った光の魔女。
名はエリス・アイン・セレスティアル。
レイア・レア・セレスティアルが九百年もの時を経ても、執念を持って追い続ける輝かしき“無限聖光”。
(──待っていてください。お母様)
闇に堕ちた光へ救いの手を伸ばすため、聖女は自らの双眸が視た未来に向けて、決然と進んでいく。




