Act.6『アインの名を持つ少女Ⅵ』
それはアリエルにとって、己の未来を決める大きな選択だった。
過去に目を背け、憧れていた平穏な世界で暮らしてみるか。
それとも目の前にいる人物に魔術を教わり──
「……あの、次の質問。しても、いいですか……?」
少女の問いに、黙って頷くキョウ。
するとアリエルは彼と、台所に佇むアサヒや照、話に混ざりはしないものの席に着いたままのフェイト、読、そして謙信をそれぞれ見やる。
そもそも彼から何かを教わろうにも、自分はまだ彼らのことを何も知らなかった。
だから率直に、アリエルは問いをぶつけてみる。
「あなたは……あなた達は何者なんですか?」
「何者か。ああ……少し難しい質問だが、君には敢えてこう答えようか。“無限光”アウル・アインの友だよ」
「えっ──」
彼が淡々と口にしたのは、アリエルにとっては声を失うような事実だった。
友。当然それは面識があるだけの関係ではなく、互いに親交を結んだ関係だということだ。
およそ千年前に活躍した後に失踪し、三百年ほど前にウィスタリア家の先祖と子を成した伝説の男。
現代ではそんな伝承だけでしか知られていない人物と、目の前にいる人物が友人だった──?
「そ、それは本当……なんですか……?」
「俺としては本当のことだとしか言い返せないよ。証明しようにも、物的証拠があるわけではないからなぁ」
「あいつとの思い出話でもしてあげたら?」
「いや、この子にそれを話しても解らんだろうよ」
食後の緑茶をすすっていた読からの提案を、キョウは呆れながら却下した。
「で、でも……あなたはどう見ても若いじゃないですか。ご先祖様はもう何百年も前の人で……」
「ああ、魔法使い──いや、魔導師の容姿なんざ当てにはならんぞ。強い魔力を持ち、それなりに魔術に精通した者なら誰だって肉体の若さは維持出来るからな。まあ中には特殊な例が……ああ、そこにいるフェイトだって、確かもう八百年くらいは生きてるよな?」
「ん……キョウに会ってから七百年くらいだから、九百……だと思う」
「だそうだ。どいつもこいつも若く見えるだろうが、ここにいる連中は全員、既に数百年単位で生きているよ。
そもそも君の先祖であるアウルだって、魔界創始からウィスタリア家との接触までの七百年間は生きていることになるんだから、そこは疑いようがないだろう?」
「……」
彼の正論に何も言葉を返せず、アリエルは黙り込む。
隣に座る、自分と同じくらい……いや年下に見えなくもない幼い容姿をした少女が、実は自分の何十倍も生きているという。
魔界、ないし魔法使いという存在について何も教えられず育ってきたアリエルは、その真実に愕然とするしかなかった。
「ほ、本当に九百歳……なんですか?」
「うん。……でもキョウと照、あとそこの子供は私以上に長生き」
「誰が子供か! 歳上だと思ってるならちゃんと敬いなさいよ、相変わらず喧嘩売ってくるわねお前ッ!?」
「そうだね、ばば……なんて言うんだっけ、キョウ……ああいうの」
「ロリBBA」
「そう。ろりばばぁ……」
「あはは。──お前達、表に出ろ」
とても可愛いらしい笑顔で、殺気に満ち満ちた声を放つ読。
突如として広がる険悪な空気にアリエルは慌てふためくが、そんな彼女へ読書を始めた謙信が冷静に忠告をくれた。
「ああ、ネコ同士の些細な縄張り争いのようなものだ。いつもの事だから、気にせずともよい」
「えぇ……」
今にも掴み合いのケンカになりそうな雰囲気の読とフェイトを、謙信は元よりキョウすら我関せずとばかりに無視している。
確か彼も読に標的にされていなかっただろうか。
「まあ、年齢の話は横に置いといて。信じるかどうかはともかく、俺とアウルが友人なのは事実だよ。だから俺は君を救うことにしたんだ。あいつの……友の残した“光”を消してしまうのは、俺としても気分が悪いからな」
表情は淡々としたまま変わらないものの、何か複雑な胸中を隠し切れないのか、彼の声はどこか沈んでいた。
その態度から、彼がアウル・アインとはどういう関係なのかを窺い知ることが出来た。
──きっと本当に大切な友人なのだろう。
アリエルはまだ知る由もないが、彼が現在の自分のスタンスに反してまで少女を救ったことには、親友への情が少なからず関係しているようだ。
そんな恩人の姿を見ると、アリエルも納得せざるを得ない。
「……あなたがご先祖様の友達だということは信じます。きっと……あなたもすごい人なんですよね」
「自分で言うのは気恥ずかしいが、一応魔界では名が通っている方だよ。今やレイアの影に隠れてはいるけどな」
「レイア……?」
「レイア・レア・セレスティアル。君を救いたいと、俺に依頼して来た魔連の“長”さ。そしてアウルの実の娘でもある」
「……!」
セレスティアル。アインの血族の筆頭であり、最初に彼の血を受け継いだ正統な血縁。そして魔界四大国家の一角、『聖セレスティアル王国』の王家として現代にも君臨する、魔界で最も繁栄している一族だ。
その初代女王──今は王家を離れ、総魔導連合の“長”として魔界を統括する聖女レイア・レア・セレスティアル。
自分を救うことを望んだ人物がアインの血族の者と知って、アリエルの中にはとある欲求が生まれていた。
「あ、あの……失礼……だとは、分かってるんですが。私、その人に……会ってみたいです」
「レイアに?」
「……どうして私を助けたのか。その理由を、知りたくて……」
恐る恐るそう告げる少女から真っ直ぐに視線を受けたキョウは、彼女の目の奥底に宿る強い意思をつぶさに感じ取った。
劣悪な家庭環境で育ち、死を予感するほどの絶望の淵に立たされた筈の少女が持つには、あまりに鮮烈な意思。今は弱々しくとも、風を受ければ燃え上がる炎のような、そんな意思。
彼女がただならぬ少女であることは、ただそれだけで理解出来た。
(……これが四人目の“無限光”。そして──)
続けようとした言葉を呑み込み、キョウは鷹揚に頷いた。
「解った。自分が今後どうするべきかを決めるなら、確かに彼女にも会っておいた方が良い。君なら、レイアも会ってくれるだろう。
──そういう訳だ。今からレイアの所に行っても構わないよな、ヘカテー?」
青年がおもむろに虚空へそう声を掛けると、彼の視線の先に鮮やかな虹色の閃光が瞬いた。
思わず目を閉じたアリエルがゆっくりと視界を確認すると、居間の片隅に忽然と少女の姿が現れていた。
アリエルより一回りほど大きい程度の小柄な体躯。ナイトドレスの上にローブを纏った独特な装いをした特徴的な赤髪の少女だが、何より目を引いたのは、彼女がふんわりと空中に浮いていることだった。
名は、ヘカテーと言うらしいが──
「随分と都合の良い瞬間に現れたわね、へかて。もしかして盗み聞きでもしてた?」
「私はただ、レイアに言われた通りの時間にここへ来ただけですよ……つっきー」
「って、つっきー言うなぁ!? 私の威厳が損なわれるでしょうがっ!」
「……そんなの最初からあったの」
フェイトの素朴な感想を皮切りに、とうとう彼女へと飛び掛かる読。
謙信の忠告通りにどうにか二人を無視することにしたアリエルは、ふわふわと浮いたままこちらに近付いてくる少女を一瞥して、キョウへ疑問の視線を向ける。
「彼女は……まあ紹介は後にするとして。どうやらレイアの方が、君と話したがっているようだな。わざわざこのタイミングに遣いを寄越したのは、そういう意味なんだろうヘカテー?」
「はい。……レイアはこう言っていました。彼女とこれから会ってみたい、と」
「さて。どうする、アリエル?」
訊ねてくる青年に、アリエルは決意の視線を返した。
「行きます。私も会ってみたいです、レイアという人に」
「決まりだな。案内を頼むよ、ヘカテー。俺も付いて行くけどさ」
「分かりました。……ですが、その前に大事なことが」
静かながらも厳かな声でそう呟くヘカテーに、アリエルは何事かと小首を傾げる。
何か事前に準備が必要なのだろうか。
神秘的な風貌の少女の真剣な表情から、よほど重要なことなのかも知れないとアリエルが身構える一方で──キョウは呆れるように、溜め息を吐いていた。
「……私、何か甘いものが欲しいです」
「アサヒ、何か買い置きの和菓子とかあったっけか。女神様がいつものように甘いものをご所望だ」
「えーっと、確かお饅頭なら……」
「いただきましょう」
「……」
思わず脱力してしまいそうな彼らのやり取りに、もはや何度目になるか分からない絶句をしてしまうアリエル。
超越者の思考は常人には到底理解出来ない、という感じの言葉を亡き父がかつて自慢げに言っていた気がする。
当時は聞き流していたが、意外と覚えているものだ。きっと彼らのあれはそういう感じのアレなのだろう、うん。
己の未来を決める一大事の前に、アリエルは一つ賢くなるのだった。
………
……
…