Act.5『アインの名を持つ少女Ⅴ』
「さて、話を仕切り直そうか」
食事を済ませ、後片付けに移るアサヒ達へ整理して重ねた食器を手渡しながら、彼はそう話を切り出した。
美味しい料理をすっかり堪能してしまい、やや気が緩んでいたアリエルはすぐに思考を切り替える。
居場所は食事の席と変わらずに、両者の間には緊張した空気が瞬く間に横たわった。
「話は……そうだな。君からの質問に答える形式で行おう。その方が無駄がない」
「質問……ですか」
「自由にどうぞ。俺が答えられるものなら、何でも答えよう」
「……じゃあ、先ず一つ。どうして私を助けたんですか?」
アリエルからの最初の問いに、青年は話す内容を整理するように一瞬黙る。
すると彼は少し間を置いてから口を開き、少女の知らない経緯を静かに語り出した。
「さっき、俺に依頼があったことは話したな。君を救い、この家に連れて来たのもその依頼によるものだよ」
「依頼……」
「依頼主は魔連……総魔導連合の“長”。未来を予見する力を持つ彼女は、君に特別な価値を見出したためにその命を救うよう俺に依頼して来たんだ」
絶体絶命のところを助け出してくれた正体不詳の魔法使い、キョウ。彼が善意だけで助けてくれたわけではないことは、何となく分かっていた。
何せステラルム国の中でも南の外れに位置するあのような辺境の地に、彼のような人物が都合良く現れるのはおかしいからだ。
しかし彼の答えに新たな疑問が湧いた。総魔導連合と言えば、アリエルすら名前に聞き覚えがあるほどの魔界の一大組織だ。そのトップに立つ人物が、どうして自分に特別な価値を見出したのか。
少女が考え得る材料は、一つしかなかった。
「私に……特別な価値。それは……私が“アイン”だから、ですか?」
「……さあ。その点については俺も詳しく聞いていないが、無関係というわけではないだろう。君があの“無限光”の末裔であることは事実のようだからな」
“無限光”──その名は遥か昔、魔界創世の時代に轟いた、今なお伝説として語り継がれる男の異名だ。
神秘が失われ、排される時代が人界に訪れることを予測し、魔法使い達が自由に生きるための世界の創造を実行した五人の創始者達。その中の一人、“無限光”アウル・アイン。
魔界草創期に起こったという人界の魔術師達との大戦において輝かしい活躍を見せ、その後は行方知れずとなった人物だが、彼の生存は未だ有力視されている。
その根拠は二つ。
一つは、千年ほど前に魔界創造に関わった伝説の人物達の内の三人は、現代においても生存が確認されているということ。
もう一つは、彼が消息を絶ってからも次々に残した子孫達、いわゆる“アインの血族”の存在だった。
「特別なんかじゃ……ないですよ。ただ、ご先祖様がすごかっただけで……私は──」
「君が見た目通りの無力な少女だろうと、他の者からすれば“無限光”発現の可能性があるだけで偉大に見えるのさ。何せ君達が受け継ぐ秘術は、当時最強と謳われた魔導師アウル・アインを象徴する奇蹟なんだからな」
アウル・アインの代名詞ともなっている魔導『無限光』──その秘術を継承した六つの家系。
セレスティアル。
レオンハルト。
ハイデンライヒ。
エンフィールド。
アリスフルス。
そして、ウィスタリア。
およそ千年の歴史の中で、今までに“無限光”を発現した継承者は未だ三人しか存在していないが、“無限光”を発現する可能性があるという点だけで子孫達は人々に特別視された。
伝説の栄光を受け継ぐ、輝かしき血族と。
しかしそれは、人々が勝手に抱いている幻想だ。彼らは……自分達は決して輝かしき血族などではないと、アリエル自身がよく知っている。
──あんな家に、栄光など微塵も存在していなかったのだから。
「そして。だからこそ、今回君の家は襲われた。“無限光”の発現など許さない……そんな執念の下にな。過去にレオンハルト、ハイデンライヒ、エンフィールドもそうして滅ぼされ、今や家系として存続しているのは正統な血縁でありながら“無限光”はもう受け継がれていないセレスティアルと、“無限光”の継承を放棄したアリスフルスのみとなった。
新たな“無限光”が生まれる可能性が潰えた以上、今後もう君が襲われる心配はないだろう。特別な存在でなくなった君は、平穏な日常を過ごす権利を得られたわけだ」
淡々と、アリエルの置かれている現状を簡潔に告げるキョウ。
しかしそれでは話に矛盾が生じる。救えば特別な存在でなくなる少女を、わざわざ救う必要はあったのか。自分にはまだ、誰かに必要とされる理由があるのではないか。
そんなアリエルの思考を読んだかのように、青年は苦笑を浮かべる。
「……すまん。君に平穏な日常を過ごして欲しいというのは、単なる俺の願望だ。あんな恐ろしい思いをしたのなら、これからは平穏無事に生きるべきだと……つい、そう思ってしまうんだよ」
独り言のようにそう言って、彼は言葉を続ける。
「依頼主の意向には、今の俺は賛成と反対の意見を半分ずつ持っていてな。彼女の気持ちを理解出来る反面、せっかく救った命を再び危険に晒すことには抵抗を覚えるんだ」
「どういう、事……ですか?」
「依頼主は俺に、君を魔術師として育てて欲しいと言った。つまり、戦えるように鍛えて欲しいということだ。……それは君にとって辛い日々を思い出させるものだろう?」
確信を持った視線を彼に向けられ、アリエルは肝を潰して目を逸らす。
そんな少女の様子に、キョウは小さく溜め息をこぼした。
「どうして……分かったんですか」
「君の反応をいくつか見てれば解る。教育と称して、日常的に虐待を受けていたんだろう? 俺の経験上、余裕のない大家にはよくあった話だよ。特に先祖が優秀だった家系となると、自分の代の不出来を棚上げして次代に酷く当たることが多くてな……」
そういった者が嫌いなのか、彼の声色はひどく冷え切っていた。
そう、彼の言う通りだ。父も母も、屋敷にいた者達全員が自分のことを道具か何かのように見ていた。
始祖の栄光を自分達も浴びることを夢見て、ウィスタリア家は代々後継者を教育し、“無限光”の発現を目指した。
その理由は分からなくもない。発現する可能性がある以上は、栄光を目指して然るべきだろう。だがウィスタリアの歴史は他家に比べれば浅く、後継者達の才能も乏しかった。発現の可能性は無に等しいと分かっている筈なのに、ウィスタリアの者達は次こそは、次こそはと焦りを抱きながら“無限光”を目指した。
何故目覚めない。どうしてお前には才能がない。役立たずめ。それでもアインの血を継ぐ者なのか。
自分が常に言われてきたことをようやく吐き出せたかのように、父は娘を嬉々と罵倒し続けた。才能がない者が何を教えても無駄だと、いつまでも気付かずに。
──その結果が、あの惨めな末路だ。
「そんな君に魔術を教えようとは思わない。君を救うことを望んだ彼女が君にどういう未来を期待しているのかは知らないが、わざわざ嫌な思い出を掘り起こす手伝いなんか俺の方から願い下げだよ。──それでも教えて欲しいと君が言うなら、話は別だが」
アリエルを試すように、青年は真っ直ぐに少女の目を見据えながらそう言った。
その眼はあの時と同じく、紫色へと変じて淡く煌めいていた。