Act.35『陰は光の下でⅡ』
殴打の一撃を受けたヴィクトルの身体に、明確な異常が起こる。
少女の拳が重かったわけではないのにも関わらず、殴られた部位から全身へと衝撃が貫くように駆け抜けたのである。さながらそれは巨大な物体にぶつかられたかのような、強烈な威力だった。
全身を一気に襲った激痛に上手く呼吸が出来ず、意識を揺さぶられて気絶しそうになったヴィクトルだったが、彼は膝を屈しながらもどうにか意識を繋ぎ止めた。
それは男なりの意地だったのだろう。複数人を相手にしていると言えども、敵はほとんどが女子供だ。そんな相手に簡単に倒されてたまるものかと、ヴィクトルは気力で意識を保つ。
だが身体のダメージは大きく、男にはもはや立ち上がる体力すら残されていなかった。
「……意外ね。アルトの拳を受けても気絶しない根性があるなんて。でももう終わりよ」
冷淡にそう告げたのは、先程ヴィクトルの問いを切り捨てた少女だった。
その声色と同じく、冷ややかな視線で見下ろしてくる少女をヴィクトルは未だ戦意の消えない目で睨み付ける。
「き、さま……らッ……!」
「悪行さえ重ねなければ、私達に標的にされることもなかったでしょうに。愚かな自分を恨むことね」
何故か自分を嘲るように失笑して、少女は懐から一冊の書物を取り出した。
無地で一切飾り気のない表紙をした、手帳のように小さな書物だ。だがそれを見たヴィクトルは、その書物に宿る禍々しい気配を察して目を剥いた。
あれは魔道書だ。それも何か強力な呪詛を帯びている類の魔術道具である。少女がそれを使って何をしようとしているかなど、考えるまでもなかった。
ヴィクトルは力を振り絞って抵抗を試みようとするが、そんな男の右肩へと少女は新たに取り出した短剣を放ち、容赦なく刃を突き刺した。
「ぐ、ギぃ……ぁ……!?」
「お前のような下種の魂をあの娘に捧げたくはないけど。背に腹は替えられないのよ」
少女が男に向けて魔道書を掲げると、書物はひとりでに開き、空白のページを表出させた。
そして魔道書から放たれる呪いがヴィクトルを対象として捉えると、男の魔力──その源である生命力を掠奪し始める。
「が、ぐ、ぁ……ァアアアアアアアアアアアアッ!?」
するとヴィクトルを未知の感覚が襲う。
生命力、すなわち魂を直接削り取られる感覚。痛みはなく、苦しみもない。だが確実に自分から何かが奪われ、欠け落ちていく感覚だけがあった。
この未知の感覚を味わってしまっては、大の男であろうと惨めに泣き叫ぶだろう。それほどの恐怖が、ヴィクトルの精神を暴力的なまでに塗り潰していた。
同時に少女が手にする魔道書では、空白だったページにゆっくりと文字が刻み込まれていく。
その文字はヴィクトルから奪い取った生命力によって綴られ、やがて文字の刻印が止まると共にヴィクトルは地面に崩れ落ちた。
術者が気絶したことによって術式も解れ、すべての骨は粉塵となって形を失っていく。
最後まで成り行きを見守ってから魔道書を閉じた少女は、倒れた男を静かに見下ろした。
「……結構埋まったわね。大物の死霊術師だと聞いてたけど、その噂は伊達じゃなかったってことか」
目的を終えた少女は男に突き刺した短剣と地面に刺さった短剣を回収すると、背を向けて仲間達の元へ歩いていく。
迎える四人の女性達の顔に、目的を達成した喜びの色はなかった。それは少女も同様で、達成感どころか罪悪感だけが一同の表情に貼り付いていた。
「──無事か、みんな」
そんな五人へ声を掛けたのは、翼竜達と共に地上に降りてきた男だった。
着地した翼竜の背中から飛び降り、五人の身が無事であることを確認した男は安堵の息をこぼす。
「ヤツが本気になる前に済ませられてよかった。あの男は巨人の骸すら操る使い手だったそうだからな。その規模になってしまっては、シエナも手に負えなかっただろう」
「まあ確かに。それは私の専門外だねえ……あの大腕すら止めるので精一杯だったくらいさ」
少女達とは少しだけ年齢が離れていると思しき女性、シエナは苦笑交じりに答えた。
「さっきは庇ってもらってすまないね、アヴァンシア。ケガしてないかい?」
「いいえ、大丈夫です。ちゃんと防ぎ切りましたので」
ローブに身を包んだ少女アヴァンシアは、静かに笑う。
鋭利な骨の棘を身体で受け止めながらも、確かにアヴァンシアには負傷をしているような様子は見られなかった。
そんな彼女の不敵な一言に口を綻ばせ、魔道書を手にした少女は他の二人へ労いの言葉を掛ける。
「アルト、クレフもお疲れ様。連携、上手く行ったわね」
「ううん、二人のサポートが上手かったんだよ。おかげですんなりと拳を打ち込めたんだから」
「私はあまり役に立ってなかったような……相手にはすぐに対応されていたし。アルティスさんのフォローが助かりました」
「なに、私は何もしていない。礼なら竜達に言ってやってくれ」
そうして仲間達が互いの健闘を褒め称える中で、少女は魔道書を握り締めながら次第に顔を曇らせた。仲間達と勝ち取った成果を、素直に喜べないからだ。
達成感よりも罪悪感が強く、何よりも虚しさが少女の心の中を渦巻いていた。
そんな彼女の表情に気付いたのか、他の五人も黙り込んで少女の方を見やる。声を掛けるのも躊躇う彼女達に代わって、アルティスは少女へと訊ねた。
「どうした、フォルテ?」
「まだまだ足りない……こんな事を始めてもう半年も経つのに、全然終わりが見えない。……もっと、魂を集めないと。次に行きましょう」
焦燥の滲んだ声が少女──フォルテの口からこぼれ落ちる。彼女の呟きに、他の五人は神妙な面持ちで頷いた。
フォルテが歩き出すと共に、五人もその後に続く。すると彼女らを待っていた翼竜達は地に伏して、六人へ自らの背中に乗るように促した。
そんな彼らに感謝を述べて、フォルテ達はそれぞれ翼竜の背に跨り、空へと飛び上がる。
力強く羽ばたいた翼竜達は烈風を撒き散らしながら、一気に速度を上げて北東の方角へ飛び去って行った。
ぴくりと、指が動く。
魂を削り取られ、致死寸前にまで衰弱させられたヴィクトル・フランシュタットは、敵の気配が完全に去ったことを確認すると、ゆっくりと身を起こした。
「……魂を奪い切って殺すこともなく、死亡の確認もしないとは奇妙な連中だ。とは言え、今回は油断させられたわ……」
男は深呼吸して、自身の状態を確認する。
未だに身体に駆け巡った衝撃の爪痕や肩口の刺傷が残っていてまだ立ち上がれないが、命に支障はなかった。
生命力を奪われた筈なのに何故、と問う者は多いだろう。だが男は、霊魂を扱うことにも長けた死霊魔術のスペシャリストだ。
事前に敵の目的を知っていれば、その備えとして対策を打つことなど容易だった。
彼女達が蒐集したのは、ヴィクトルが自身の魂に外殻として覆っておいた霊魂のデコイだ。無論、気付かれないように多量の霊魂を消費したのはヴィクトルにとって痛手ではあったが、命には代えられない。
生き延びるためならばどんなに屈辱的な目に遭おうとも構わず、下手な芝居を打つのも平然とやってみせる。そんなヴィクトル・フランシュタットの生への執着を、彼女達は最後まで見抜くことが出来なかった。
「フン。よもや連合の犬に命を救われるとはな……やれ、長生きしていれば奇縁があるものよ」
ヴィクトルに敵の情報をもたらしたのは、数日前に自分に接触して来た総魔導連合の者達だった。
彼らが追っているという“魂の蒐集家達”。ヴィクトルが情報を売る際に得られたその情報から、ソレが彼女達に他ならないと気付いたのは戦闘中のことである。
ヴィクトルが戦いの最中、咄嗟に対策を講じられたのはそんな事情があったが故だ。
「……生き延びたはいいが。こちらもそれなりに損耗してしまったな……さて、連合の奴らはこの情報をどれ程の値段で買ってくれるかな?」
先ずは資金調達からだ。敵の顔、人数、魔術の系統、そして名前──未だ彼女達の情報に乏しいという総魔導連合は、必ずやこれらの情報を高値で買ってくれるだろう。いや、そうでなくては困る。
肩口の負傷の応急処置を始めながら、ヴィクトルはくつくつと笑い出した。
自分の元へ忍び寄る足音に、気付かぬまま──




