Act.29『孔明の名は』
イリスの案内の下、アリエルは総魔導連合本部の至る所を歩き回った。
本部となっている神殿はアレーテイア共和国の政府機関を兼ねているとあって広大かつ巨大であり、まるで建造物の中に一つの都市が収まっているかのような印象を受けた。
そのため各所には中継地点として誰でも利用出来る転移ポイントが設けられているのだが、それを活用した上でもとにかく歩き疲れるのである。尤も、敢えて各方面へ歩き回っていたので、疲れるのは当たり前の話ではあるのだが。
とは言え額に汗を浮かべて息を切らすアリエルとは対照的に、イリスは未だ平然とした顔で道を歩いていた。
「大丈夫ですか、アリエル様?」
「な、なんとか……」
体力は照と謙信によって鍛えられた筈だが、それでも疲労を覚える。顔色一つ変えないイリスの意外な頑健さが恐ろしいくらいだ。それとも聖霊は、そもそも人間とは身体の作りが違うのだろうか。
疲れのあまりそんな余計な思考が脳内で飛び交うアリエルの様子を見て、イリスはどうしたものかと首を傾ぐ。
彼女が利用するだろう施設の案内は一通り終えたつもりだが、時間にはまだ少し余裕がある上、主人にももう少し息抜きをしてもらいたい。
考えた末、イリスはどこかで休憩を取ることを思い付いた。
「アリエル様。少しの間、休憩を致しましょうか。近くにカフェがありますので、そこに参りましょう」
「は、はいぃ……」
現在二人がいるのは本部の最下層。地上一階の部分に当たり、アレーテイア共和国の公共機関として、国民が利用するための様々な公共施設が数多く設置されたフロアになっていた。
出入口で検査を受けなければならないものの、国民に開放されているだけあって人通りは上層よりも遥かに多い。
そのため公共施設の他にも多様な店舗が軒を連ねており、イリスはその中で密かに贔屓しているカフェへアリエルを案内しようとして──
「──あの、どうかされましたか?」
職務柄、疲労困憊のアリエルの様子を見かねたのか、おもむろに二人に声が掛かる。
アリエルがイリスと共に声のした方を見やると、そこには二人の女性が佇んでいた。
一人は丈の長い黒衣に身を包んだ妙齢の女性。
そしてもう一人は、私服の上に白衣を重ねた黒髪の小柄な少女だった。容姿の年頃はアリエルと同じか、あるいは下と思われるが、見た目などこの世界では大してアテにならない。
それを証明するように、イリスが二人の女性を見て少しばかり驚いた表情を見せた。
「孔明様、メリッサ様。どうしてお二人がここに?」
「どうして、と訊かれますと……」
「孔明先生の息抜きです。この近くに、孔明先生が大好物にされているケーキがある行きつけのカフェがありまして。私はその付き添いです」
「メ、メリッサちゃん。そういう事、あっさり言い触らさないでくれないかなっ」
冷静な顔で淡々と告げる妙齢の女性に対し、孔明先生と呼ばれた白衣の少女は慌てて彼女の口を塞ごうと手を伸ばすが、簡単に払われていた。
アリエルが何ぞやと不思議そうに二人を見ていると、彼女達と顔見知りらしいイリスが紹介をしてくれる。
「アリエル様、ご紹介します。こちらのお二人は魔法医療科の“管理者”とその補佐をされている、諸葛孔明様とメリッサ・A・アリスフルス様です」
「えっ」
突然明かされた正体に、驚愕したアリエルは凍り付く。
魔法医療科。
特務執行科、魔道情報科、魔術研究科に並ぶ総魔導連合の中核を成す四大部署の一つであり、そのトップに立つ二人が目の前にいる人物達だと言う。
しかしそれに対する驚きもあったが、アリエルが先ず驚いたのは“孔明先生”と呼ばれる少女の方だった。
「あ、あの。失礼ですがっ、諸葛孔明って……あれですよね、三国志の。人界の中国で有名な、天才軍師の方ですか……!?」
アリエルが謙信に薦められて読んだ本の中に、有名な歴史小説の一つである『三国志』があった。
活字が苦手なアリエルは途中から漫画に乗り換えたものの、その内容は大雑把ながらも覚えている。そして三国志の登場人物であり、時には主役のように扱われている天才軍師の名は、特によく覚えていた。
作中や歴史上では髭を生やした男性として描かれていた筈だが、目の前にいる少女が天才軍師の名で呼ばれていることに、アリエルは師匠の教えを思い出した。
“──擬人化と女体化は日本古来の文化の極みだ──”
力強くそう断言していた師匠の傍で、照や読、謙信が薄く笑っていた気がするが、それはともかくとして。
まさか日本文化の体現者が目の前に現れるとは思わず、アリエルはついつい興奮気味に訊ねてしまったが、孔明なる少女は苦笑を浮かべながら首を横に振るった。
「す、すみません。それ、私の渾名なんです……」
「なんとぉ!? 諸葛孔明本人ではないんですか! どうしてそんな大それたニックネームがっ……!?」
「え、えっと……その三国志の諸葛孔明は、私のご先祖様なんです。私は彼の遠い子孫の一人でして……本名は諸葛果と言います」
「ご、ご先祖様……?」
「彼女は幼い頃からとても優れた才覚を現し、その才智の冴えを祖の諸葛孔明という偉人に準え、周囲からは『今孔明』と称えられていたのだそうですよ」
イリスの説明に、諸葛果──孔明は小さな肩を落とす。
「その話を私の師が面白がって、私のことを人前でもずっと孔明と呼ぶんです。三国志はこちらの世界でも広まってますし、孔明の名も有名ですから段々とその渾名が広まって……渾名の方が通りが良いと、いつしか誰も私を本名で呼んでくれないようになり……」
少女の声は次第に小さくなり、何やら遠い目をするようになってしまった。
彼女とは初めて会ったばかりだが、何だかとても親近感を覚えてしまうアリエル。
偉大な先祖を持つ身であることや、師にからかわれる辺りが特に親しみを感じられたからだろうか。
ともあれどんどん消沈していく彼女の気を逸らすためにも、アリエルは次の話題に移ろうとした。
「え、えーっと孔明さんがその……魔法医療科? の“管理者”なんですね?」
「ええ、そうですが。……あなたもそちらの名で呼ぶのですね。まあ、初対面の方にそう呼ばれるのも慣れていますけど……」
「あ、あはは……何だか呼びやすくて、つい」
諸葛孔明というネームバリューと彼女の可憐な容姿が相俟って、何やら不思議と愛着が湧くので仕方がなかった。
きっと他の人も同じ心境に到っているに違いない。
「ところでイリス殿、そちらの彼女は?」
メリッサがイリスの連れるアリエルの素性に興味を持ったのか、率直に訊ねてくる。
イリスと言えば“長”に仕える大聖霊である。そんな彼女が連れている人物となれば、興味を持ってしまうのは無理からぬことだった。
するとイリスはそんなメリッサを見て、何かを思い出したように瞠目した。
「……メリッサ様。そう言えば貴女も、あの方の系譜に連なる者でしたね」
「うん? 話が見えませんが」
「では紹介しましょう。この方の名はアリエル・アイン・ウィスタリア様。三年前に家系としては滅亡したアインの血族の一つ、ウィスタリア家の唯一の生存者。アリスフルス家──メリッサ様と同じ祖を持つ最後の一人です」
「……アイ、ン……?」
イリスの言葉を聞いたメリッサは、目の色を変えてアリエルを見る。同様にアリエルも、メリッサに対して驚愕の眼差しを向けた。
アリスフルス。セレスティアル家を除いて、唯一今も代を重ね続けているアインの血族の一つだ。メリッサはその当代の後継者に当たる。
レイア以外に初めて邂逅するアインの同族を前に、互いに複雑な感情を乗せた視線を交わすアリエルとメリッサの様子に不安を覚えたのか、慌てた孔明が笑みを作って提案する。
「つ、積もる話もありそうですし、取り敢えず皆さんでカフェに行きませんか? ケーキだけでなく、美味しいパフェもあるんですよっ」
「「……」」
不穏な空気を必死に和ませようとする孔明の健気な姿に絆され、彼女達は大人しく場所を移すのだった。




