Act.20『旅立ちの日Ⅱ』
「さあ、今朝はアリエル様の門出を祝して、貴女の大好きなハンバーグをご用意させていただきましたよ」
「朝から少々胃には重い気がするが……まあ、今日は何も言うまい」
照と謙信の二人には、魔術以外の修業でお世話になり続けた。身体作りや身体の動かし方、礼儀や心構えなどの心身の成長は、彼女達からの教えが強く影響を与えてくれた。
……同時に、修業におけるトラウマも彼女達から多く刻み込まれた気がするが。
「ふふ。朝からちょっとしたパーティーだね、キョウ君?」
「だからってハンバーグはともかく、ケーキまで焼いたのはどうかと思うが。どうせケーキの発案者はお前だろう、桜」
「あ、あはは……ほ、ほら。お祝いと言ったらケーキかな、って思って?」
「……流石に短絡的過ぎるだろう」
「い、いいじゃないですか別にーっ!」
そして師匠と、自称姉弟子。
彼ら二人は時に師であり、父母であり、兄姉であり──自分を本当の家族として扱ってくれた。
他の五人にも深く感謝しているが、アリエルにとってこの二人は特別な存在だった。
きっとこれから大変な場面に出会した時、真っ先に思い出すのは二人の事だろう。彼らの存在がいざという時にアリエルへ強い勇気を与えてくれる──そんな予感がした。
「さて、それではいただくとしようか」
青年の呼び掛けで、住人達は一斉に手を合わせる。
この家で最後の食事。アリエルは万感の想いを込めて、ゆっくひと手を合わせた。
………
……
…
旅立ちは、玄関前で行われることになった。
必要最低限の荷物を入れたトランクケースを抱えて外に出たアリエルは、見送りのために並ぶ住人達の方へと向き直った。
もはや女性達の顔を見るだけで、三年間の思い出が蘇って涙が溢れそうになる。ここで過ごした三年間は、アリエルの人生の中で最も幸福な時間だった。
本当ならもっと一緒に彼女達と同じ日々を過ごしていたい。過去の決意を曲げて、そう願ってしまいそうになる。
それ程までに、彼女達の存在はアリエルにとって大きなものになっていた。
「……まったく、なに泣いてるんですか。アリエちゃん」
自分の元へ歩み寄ってきた桜が、今にも泣き出しそうな顔でそんな事を言う。
思わず笑ってしまいたくなるが、涙を堪えるために我慢した。
「な、泣いてないですよ。……ただ、ちょっと寂しいなって」
「うん、そうだね。私も……私達も寂しくなるよ。せっかく出来た新しい妹と、こうして別れなくちゃいけないなんてね」
アリエルの隣に佇むキョウや他の女性達は、何も言わず桜の言葉に耳を傾けていた。
特に仲が良かった二人の別れを邪魔しないように、と。
「アリエちゃんはこれからむこうの世界で大事な仕事をしなくちゃいけなくて、そのためにこの家に来たんだっていうのは知ってるけど。でも、本音を言えばもっと一緒にいたかったです。まだまだアリエちゃんに教えたいものや見せたいものがあったから……」
「……や、やめてくださいよ。今そんなことを言うのは卑怯です。行くの……嫌になっちゃうじゃないですか……」
「うん。だからちゃんと私は送り出すつもりだよ。アリエちゃんのことを必要としている人が、むこうで待っているんだよね? だったら私はワガママなんか言えないよ。
待っている側は、その人と出会えるまでずっと不安に耐えているんだから」
桜がそう言いながらキョウの顔を一瞥すると、彼は困ったように苦笑した。
それが何を意味しているのかはアリエルには分からなかったが、きっと二人にとって重要なことなのだろう。
すると桜はアリエルへさらに一歩詰め寄ると、おもむろに彼女の手を取って、手に隠し持っていたものを譲り渡した。
「だけど、これだけは覚えていてください。アリエちゃんの家はもうここなんだからね。いつでも帰って来ていいんだよ? 部屋はそのままにしておきますから」
そう言って微笑む桜から受け取ったものを確認するアリエル。
手の中には、二本のリボンが小さく折りたたまれていた。それは過去に何度も桜の髪を束ねている様を見たことがある、彼女愛用の品の筈だ。
以前の桜の髪型を真似て、髪を二つに束ねているアリエルにとって、それはとても感慨深い贈り物だった。
「……うん。帰って、来る。私……帰れる機会があったら、絶対にここへ帰って来ます……! 私の、家に!」
アリエルのその宣言に、後ろに居並ぶ女性達も微笑んでいた。
そして感極まったアリエルが勢いよく桜の胸に飛び込むと、心に湧き上がる感情を押し付けるように彼女を強く抱き締めた。
「い、痛い痛いっ。アリエちゃん、ちょっと痛いですって……」
「……はぁ、しばらくこのおっぱいともお別れかー。本当に寂しくなるなぁ……最後にちょっと揉んで行ってもいいですかね?」
「いいわけないでしょう!? も、揉むならアサヒさんの方にしてくださいっ! わ、私よりもちょっと大きいと思いますっ!」
「え、私に飛び火するんですか!? ダ、ダメです、この身体は兄様のものなんですからっ。ほ、他の方じゃダメなんでしょうか?」
「だって私達、おっぱい小さいし。……ねぇ?」
「わ、私は決して小さくない方だと思いますがっ。そうですよねキョウ様!?」
「何で張り合ってんのよ、姉……」
「……私も小さい部類なのか、主?」
「何で俺にまで火の粉を掛けてくるんだよ、お前ら……」
瞬く間に騒々しくなる一同に苦笑しながら、キョウは黙秘権を行使する。
せっかくの感動的な空気が台無しになってしまったが、それはアリエルの精一杯の照れ隠しなのだろう。湿っぽい別れ方をするよりは、こういった和やかな空気の方が断然良い。
しばらく最後の談笑を楽しむ彼女達の様子を見守ったキョウは、切りの良いタイミングを見計らってから口を開く。
「では行くぞ、アリエル。心の準備はもう良いな?」
「──はい、師匠!」
桜から離れたアリエルは、彼の元へ歩み寄って改めて女性陣へ向き直る。
そして手を振る彼女達へ最後に一言、感謝の言葉を告げた。
「三年間、お世話になりました!」
「行ってらっしゃい、アリエちゃん!」
帰って来ることを信じた桜からの送別の言葉に、アリエルはまた涙を流しそうになりながらも笑顔で言葉を返した。
「行って来ます──!」
青年が指を鳴らすと、アリエルは彼と共に紫色の光に全身を包まれた。
視界は一瞬にして光に覆われ、身体は突然の浮遊感に襲われる。
神秘の薄れた人界から、神秘に満ちた魔界へ。
かつて生きていた故郷の世界へと、少女は三年の時を経て帰還を果たす──




