Act.101『妖精猫の王国ⅩⅩⅣ』
「俺を初見で“眷属”だと見抜いた以上、君が何らかの『魔神』であることは明白だ。まあ何の神性であるのかは、君の力を見ていれば分かるが。ならばさっさとその力を見せろ。何を出し惜しむ必要がある?」
「……どうしてあんたの口車に乗らなくちゃならないんだ」
何を躊躇しているのか、扱える筈の魔導を使おうとしないアルトライト。
そんな彼の目を見据えるレオナは、ゆっくりと剣先を青年に向けながらアルトライトの心へと刃を突き立てる。
「まあ、そのまま出し惜しみ続けたいと言うのなら、俺は別に構わんさ。君のその強情を破ってみるのもまた一興だ。だが君がそうしている間にも、君の仲間達の元に向かった俺の友が何かを仕出かすだろう。アレはとても屈折した男だからな、一度動いたのなら何もしないなんて事はあり得んよ。
なのに、周りなんぞ気にしている場合か?」
「ッ……!」
レオナの言葉に、アルトライトは声を失う。
アルトライトが懸念していることを、どうしてこの男は言い当てたのか。
だがそれ以上に冷淡にそう告げたレオナの言葉が、アルトライトの耳にこびりつくように届いた。
この男の友とは、おそらく“眷属”である彼にとっての主神に当たる人物だろう。つまりこの男以上の存在が、仲間達の元に近付いているということになる。
……となれば、ここでの戦いを長引かせるわけにはいかない。
速やかに目の前の男を打ち倒し、仲間達の元へ駆け付けなければ。彼らを守ることが出来るのは、自分しかいないのだから。
「……ようやくやる気になったか」
アルトライトは魔術の使用をやめ、意識を己の内側へと向けた。レオナの声はもう彼に届かず、自己の奥底にある本質に自我を沈めていく。
治癒魔術も痛覚の遮断も中断したことで、未だ癒え切っていない身体が悲鳴を上げるように痛んだが、もはや青年の集中はそのような瑣事で揺るぎはしなかった。
「──Amat victoria curam.
Bis vincit, qui se vincit in victoria.」
詠唱が紡がれる。
この世の法則に抗うだけの魔術とは違う、真なる奇蹟を呼び起こすための祈りの言葉。そしてセン・アルトライト・ウォーノルンにとっては、もう一つの本性を覚醒させるための喚起の声。
レオナはその奇蹟の発現を、剣を下ろして悠然と見守る。
「──Calamitas virtutis occasio est.
Fortes fortuna adjuvat.」
青年の身体から滔々と魔力が溢れ出し、山吹色の光となって色付くと共に風が起こり始める。
魔力の昂揚に応じて風は次第に勢いを得て、旋風となってアルトライトの全身を包み込んだ。
魔導の詠唱は大きな隙を生じさせる。それは魔導師だけでなくすべての魔法使いにとっての共通認識だが、彼のような存在にはそんな常識は当てはまらない。
山吹色に輝く旋風は青年の姿を覆い隠し、止まることなく膨れ上がっていく。
「──Ducunt volentem fata, nolentem trahunt.
Dum fata sinunt vivite laeti.」
強まっていく風圧は巨大な木々を騒めかせ、その強風を一身に浴びるレオナは剣の刃を自身の正面に据え、吹き飛ばされないように風を斬り裂き続ける。
だが風の勢いは、詠唱が進むにつれてどんどん威力を帯びていった。
「──Vivere disce, cogita mori.
Vivere est cogitare.」
吹き荒れる風を受けて枝葉を揺らしていた巨木は、次第に全体を震わせて、押し退けられるように傾き始めていく。
ただの樹木であったならば、既に根こそぎ吹き飛ばされてしまっていただろう。
詠唱によって高まる魔力だけでこれほどの被害をもたらすのは、魔法使いの中でも一握りの人間だけだ。
『魔神』──彼のような一握りの存在を、この世の真実に近しい者達はそう呼ばう。
魔を行使する者でありながら、“神”の性質を兼ね備えた異端者達。神代に生きた神族達よりも遥かに古い、原初の権能を身に宿す者。
世界の真実に触れながらも真理に未だ遠い者達は、『魔神』についてはその程度の知識しか持ち合わせていない。
しかし彼ら『魔神』の力は単純にして明確だ。
かつて神秘が満ち溢れていた時代から、人類がこの世の現象に神性を見出していたもの。それが神々の怒りではないことを解明した現代においても、未だ人類の手には御し得ない絶大なる力。
人々が天災と恐れる現象を、彼らは権能として手足のごとく振るうのだ。
「──Vive hodie.
Alea iacta est!」
青年が魂に宿す神性は、もはや疑うまでもない。
古来から地上に現れ、時には生命の繁栄を助け、時には大地に爪痕を刻んでいる目に見えない神秘。
風の神性──今代における“風神”と呼ぶべき存在が、このセン・アルトライト・ウォーノルンだった。
「Ars Magna.──“Aeolus Victoria”」
奇蹟が形を成した瞬間、神威を帯びた風が爆発的な力を周囲に叩き付け、巨人のごとく立ち並ぶ木々を一斉に薙ぎ倒した。
木々だけではない。緑に覆われた地表はめくれ上がって黒土を晒し、草花は風の激流に押し流されて遥か遠くまで吹き飛ばされていく。
そんな風の猛威によって、周囲百メートル圏内は見る見るうちに荒地へと様変わりしていた。
さながらそこは爆心地になったかのようだ。熱による被害こそないものの、神風の威圧に大地が耐えられる筈もなく、大樹海には巨大な風穴が穿たれた。
これでも極限まで出力を抑えている方だ。体内から溢れ出る神気を抑え込んでも、周辺の被害はどんどん広がるばかり。この場から一歩でも動けば、十数メートルは余計な被害を広げてしまうだろう。
それほどまでに熾烈な暴風の中心で、魔剣を手にした青年は窪んだ大地から足を離し、空へと昇りつつ敵の姿を探した。
地上から離れてしまえば樹海への影響は幾分か抑えられる。それでも天災クラスの嵐が間近にあることには変わりないが、地上にいるよりは周囲を気にせずに済む。
それに加え、空は“風”が支配する領域として、アルトライトに優位な場所だった。
「……どこだ?」
金色の瞳を樹海に向け、光の剣士の行方を追う。
空から地上に流れ落ちる神風は障害物を意に介さず隅々まで地表を駆け巡り、すぐさま敵の気配を捉えてみせた。
直後、樹海の中から砲弾のごとく飛び出して、吹き荒ぶ“風”に迫る勇姿があった。
光の剣を手に虚空を踏んで駆け上がって来るその敵影に、アルトライトは手を払って突風を放つ。
山吹色の光に染められた突風には岩塊を打ち砕くほどの威力が込められていたが、対するレオナ・E・アルシオーネも奇蹟を体現する者。
レオナが剣を一閃させると、迫り来た神威の風すらも無に返してしまう。
「良い風だ。惜しむらくはまだ洗練されていない事か」
再び距離を斬ったレオナは、山吹色の風の真っ只中へ一気に飛び込もうとしたが、どういう事なのか彼が空間を跳躍した先は意図せぬ方向、アルトライトが位置取る高度のさらに上空だった。
「む?」
驚愕こそあったが、すぐに自分の状況を理解したレオナは身体の向きを転じ、眼下にいる青年を目掛けて駆ける。
しかし同時にアルトライトは魔剣を構え、周囲に吹き荒れる烈風を瞬く間に束ねた。
一度目の魔剣の発動では魔力と風を束ねる溜めが生じていたが、魔導の展開によりそのタイムラグはほぼ解消されている。
今のアルトライトならば、大魔術の構築に一秒も必要としなかった。
「──駆けろ、『破城の疾風』!」
再び魔剣から放たれたのは、アルトライトが有する魔術の中でも最速を誇る風だった。
それは古の時代、人類が光の速度について未だ論じることしか出来ず、地上における速さの象徴が風であったことを物語る神秘。
その風速はもはや光に迫り、神威を得た剣風は一瞬にしてレオナの眼前にまで到達した。
アルトライトが魔剣を振り抜いた瞬間には敵の喉元にまで駆け抜けているような疾風を、常人が初見で見切ることなど不可能だ。
だがレオナ・E・アルシオーネは常人に非ず。
男の眼前で山吹色の風が燦然と閃くと、そこへ置くようにして振るわれていた光剣が鮮やかに風を斬り裂いた。
見てから動いたのではない。アルトライトが魔剣を振り上げた時には既に、レオナは青年の考えを見抜いていたかのように対応し、剣をあらかじめ振るっていたのだ。
(あの男、まさか……)
最初からあの男には違和感があった。
こちらの動きをことごとく見切るどころか、時折心の中を見透かしていたとしか思えない的確な言葉の数々。
初見であろうと経験則から敵の動きを読む達人はいるかもしれないが、敵の考えまで完全に読み取ってしまう者などいる筈がない。
つまり、あの男は──
「そのまさかだとも。俺は最初から君の心を読んでいる。これは俺が友の“眷属”として授かっている恩恵の一つでな、生憎と未熟な俺では自由が利かんのだ。許せ」
そんな男の淡々としたその声が、風に乗ってアルトライトの元まで聴こえてくる。
他人の心を勝手に暴いていることを愧じもせず、むしろその力を誇っているように、レオナは『魔神』に従属する“眷属”である自らに与えられた権能の一端を明かした。




