Act.9『アインの名を持つ少女Ⅸ』
「え?」
それはまるでアリエルが回避した運命を、代わりに背負ったかのように。アリエルの運命共同体だという人物にも、絶望が迫っているとレイアは告げる。
「アリエルさん。貴女はいずれ、彼女と出会います。そしてその彼女を救うのが貴女なのです」
「わたし……?」
「私は確かにこの眼で、貴女達二人が出会う未来を視ています。貴女達二人が共に事件を解決する未来も。私の未来視は不確かな未来を視るものですが、実現する可能性の高い未来しか視えません。ですからいずれ、貴女達は高い確率で出会うことになる。
彼女を救うためにも、どうか貴女には魔術師として実力を付けていただきたいのです。そして彼女と共に、我々の未来を救ってください。可能な限りの支援は約束致します……だから何卒、お願いします」
深々と頭を下げる聖女を、アリエルは複雑な表情で見下ろすことしか出来なかった。
一気に雪崩れ込んできた情報量が多過ぎて、頭がオーバーフローしそうだ。答えを出すには、取り敢えず時間が必要だと判断した。
「その……考える時間を、ください。いろいろ整理したい……ので。少しだけでいいですから……」
「じゃあ、この庭園の中を歩き回りながら一人で考えてみると良い。ここなら落ち着いて考え事が出来るだろうよ」
「……はいっ」
少女の肩に手を置いたキョウがそう諭すと、アリエルは素直に頷いて立ち上がった。
──しっかりと考えてみよう。自分は一体、どうするべきかを。
庭園の奥へと歩き去っていく少女を見送って、レイアは大きな溜め息をこぼした。
すると他者を慈しむ微笑みが、途端に自嘲の笑みへと変わる。
「……酷い女ですね、私は。彼女の未来は彼女のものだと言っておきながら、私の望む未来を選ぶよう強迫しているのですから」
「当人は別にそう思っていないだろう。俺の見たところ、あの子は純粋な娘だ」
少女がいなくなって空いた席をヘカテーに譲り、キョウはレイアの元へ歩み寄った。
そして近付いてきた彼の身に、聖女の顔を捨てたレイアは寄り掛かるようにして額を押し当てる。
自分に顔を見せないレイアを見下ろす青年は、銀色の頭を抱え込みながら話を継いだ。
「しかし作り笑いが上手くなったな、レイア。俺としては見るに堪えなかったが」
「……キョウ様の眼は誤魔化せませんね。せめて彼女の前では暗い顔を見せないように、少し無理をしていました」
「どうした?」
「彼女の……アリエルさんの生まれ育った街の犠牲者の方々を、聖霊達に弔っていただいたのです。でもこの手で直接弔うことが出来なかったのが、私には心苦しくて……」
「なら後で俺も現地に行って、レイアの分まで彼らを悼んでくるよ。俺も片棒を担いだんだ、一人で抱え込むな」
「……ありがとうございます」
落ち込む子供を慰めるように、キョウはレイアの頭を優しく撫で始めた。それを彼女は懐かしむように、安らかな顔で受け入れる。
自身を絶対的な聖女として敬う人々には見せられない、レイア・レア・セレスティアルの素顔がそこに現れていた。
「ただいま戻りました、皆様。……おや、お邪魔でしたか?」
虹色の閃光を伴い、四食分のハニートーストを手に戻ってきたイリスが、主を見やって率直に尋ねる。
慌てて彼から離れたレイアは、赤らんだ頬を誤魔化すように咳払いをして、姿勢を真っ直ぐに正した。
「余計な気遣いは結構です。それより全員分のハニートーストを用意したのですね、イリス?」
「ええ、皆様お食べになるかと思いまして。小さなお客様の姿が見当たりませんが?」
「今は席を外しているのです。いずれ戻って来ますから、置いておいて構いませんよ」
「俺は一口だけ貰うよ。もう食事は済ませてあるんでな。残りはそこで野犬のごとく目を光らせている女神様にでもくれてやってくれ」
「おお……イデア。貴方に月と豊穣の加護を授けましょう……」
「安いな、あんたの加護……まあ、気持ちだけ授かっておくよ。なに他所から同じ加護を授かってるんだって、あの二人に嫉妬されても困るからな」
「てるてるとつっきーはヤキモチ焼きなのですね……何だかお餅が食べたくなりました」
「おいレイア。お前に預けてから、どんどん俗物になってないかこの女神」
「あはは……」
否定出来ずに苦笑を返すしかなかったレイアは、紅茶を一口含んで気分を落ち着けながらも、不安の眼差しでゆっくりと天井を仰ぎ見た。
「彼女は……引き受けてくれるでしょうか」
「さあな。俺は三年で素人をどこまで鍛えられるかどうかの方が、不安で仕方ないよ」
「……気が早いですね?」
「それがお前の視た最善の未来なんだろう。だったら俺もそれしか考えないさ。お前が視た未来は、もう俺にとっても他人事じゃなくなったんだからな」
「……」
おもむろに彼の声色が変わる。
心温かな青年のものから、冷徹な魔導師のものへ──いや、それらとも違う顔が覗き始める。
紫色に染まっている彼の双眸も、どこか異質な気配の輝きを帯びていた。
「人界を脅かす可能性もある以上、それは俺の記憶にない“新人類史”だ。だから見過ごすことは出来ないし、場合によっては俺達も動かなければならないだろう。
──お前が見据えている、さらに先の未来も含めてな」
「……やはり貴方に隠し事は出来ませんね」
アリエルに語り聞かせた未来は、確かに目の前に迫り来ている脅威だ。とても看過は出来ないし、今は優先して対応していかなければならない事件となるだろう。
しかしレイアの眼は、さらにその先の未来を見通していた。それを見抜かれてしまった以上は、彼にも話しておかなければならない。
魔女の悲願すら利用する、大いなる欲望の存在を──
考えを整理したいとアリエルが言ったのは、半分嘘が含まれていた。
確かに自分は今後どうするべきかを考えたいとは思ったが、それは行く当てもなく歩いているうちに答えを得て、すぐに解消してしまった。
彼らの元を離れたのは、少しの間だけ一人になる時間が欲しかったからだ。多分それは、あの彼には見抜かれていただろうが。
「ん? 建物の中……だよね?」
歩いていると、前方に清らかな小川を発見した。
ジャンプをすれば飛び越えられる程度の川幅しかないが、水中を覗いてみれば小魚達が悠々自適に泳いでいる姿が見える。
屋内なのに生物もいるのかと感心しつつ、アリエルはその川辺に腰を下ろした。
そして川のせせらぎを見つめながら、思考を自分の中へ没入させていく。
「希望の光、かぁ……」
レイアが自分のことを指した言葉を、つい口に出してしまう。
曰く、いつか来る未来で何か恐ろしい事件が起こる。自分はその渦中に放り込まれ、事件を解決する希望の光になるのだという。
その未来について考えなければならないことはたくさんある気がする。あんなに凄そうな人達が真剣に悩むほどなのだ。きっと自分が認識しているよりも、もっと大きくて複雑な事情が渦巻いているのだろう。
だがアリエルには、それに対する恐怖はまったく存在しなかった。得体の知れない未来への恐怖すら塗り潰す、強い喜悦が彼女の心の中で膨らんでいたからだ。
私には才能がある。
私は誰かに必要とされている。
私は誰かを救うことが出来る。
自分にそんな可能性が秘められていることが何よりも嬉しかった。
しかしそれは、自分が他人から否定され続けてきた反動から来る喜びではない。
誰かに認められたいという承認欲求とも違う。
「──私は、無力なんかじゃない……」
今まで無力だった自分を、自分自身が否定出来ることが何よりも嬉しかった。
目を閉じれば鮮明に思い出す、あの日の光景。
崩れ落ちた山肌の前に立ち尽くす、無力な幼い自分。■を失ったその日から、ずっと心に根差していた渇望がようやく叶えられるのだ。
ああ、苦しかった。後継者として育てられながらも、父母に一切の才能を示せなかった日々は屈辱の連続だった。才能のない自分に絶望する日々が、まるで地獄のようだった。
けれど、
“──彼女を救うためにも、どうか貴女には魔術師として実力を付けていただきたいのです。そして彼女と共に、我々の未来を救ってください──”
希望の未来が見えた。
ならば行こう。私を救ってくれた人達の元へ。
今度は私が、まだ名前も知らない誰かを救うために。
………
……
…




