序奏~ある雨の日のキミ
俺たちが出逢ったのは、街道を叩きつける雨音が五月蠅く響く、ある日の夜だった。その日の雨を喩えるなら、母を待ちわびて泣きじゃくる幼子の声だ。煩わしいと想うよりかは、可哀そうに、と同情してしまうような、そんな雨だ。
その頃の俺は、中学でサッカー部のエースをしていた。いつものように夢中で練習に励んでいたのだが、突然大粒の雨が地面どころか俺たちまで叩きつけて来た。あまりにも激しい雨で、すぐに練習を止め片づけをし、いつものように軽いミーティングをして解散した。
俺たちは、校門を出ると、すぐに下校ルートを駈け出した。こんな雨では、ファミレスで会話を楽しんだり、ゲームセンターに行って遊ぶ気も失せた。しばらく走り続け、少し疲れて近くの店の屋根を借りて雨宿りをした。体力には自信があったが、こんな雨のうえ、部活練習もしていたためか、息も切れていた。俺は、ふと空を仰いだ。午後六時ごろだっただろうか。空はすでに真っ暗で、なのに薄暗く雲が見えた。そんな空を見ているのも嫌になり、視線をズラすとそこで不思議なものを見た。俺の真上は変わらず真黒な雲に覆われているのに、ずらした先は雲間から白い光が差していたのだ。向こうは晴れているのかと思い、目を凝らして見てみるも、どう見ても土砂降りだった。別に珍しいことではないのかもしれない。雲間から薄い光が差すのはよくあることだ。それなのに、俺は光が差し込む向こうが気になって仕方がなかった。そこに、何かがある気がした。
「なあ・・・あれさ、なんだと思う?」
「うわっ、あそこだけ晴れてる・・・のか?」
「見に行かないか」
何でもないような、場所のようなのに俺たちはその光の先へ駈け出した。俺たちは街灯をどんどん通り過ぎ、真っ暗な夜道を抜けて行く。そうしているうちに、光の真下まで辿りついた。頭上には、満天の星空。こんな空は見たことがない。街灯もないのに、何故かそこは明るく、どこか温かい気持ちになった。
「なんかすげぇ・・・」
嘆息混じりの友人の声。俺も、心の底からこの空を美しいと思った。
すると、そのとき
悲しい夜闇の雨を
優しい歌で晴らしましょう
寂しそうに泣く空の
涙をそっと拭いましょう
母が恋しと泣く空に
わたしが光を灯しましょう
空に散らばる数多の星が
夜を希望の光で照らすとき
雨は世界を繋ぐ道となる
それは、とても短い歌のようだった。詩を読み上げるかのような。しかし、とても強く優しい声音とハープの音色に聞き惚れた。さっきまでの雨が嘘のように止み、スポットライトのように俺や声が聞こえた場所を光が照らした。ここだけ別世界のように思えた。
「なんだろう、これ」
「さっきの歌が晴らしたってことか?」
そんな力がこの世に存在するのだろうか。そんなことは考えたことはないが、この世界のどこかでは有り得ることなのかもしれない。ごく有り触れた日々を送る俺たちの知らないどこかでは、非現実的だと思えるようなことが起こっているのかもしれない。知らないことで幸せでいられることがあるかも知れない。でも同時に、無知は不幸せなことなんじゃないかと、どこか哲学的なことを考えてしまった。中学生だったわりには、少し達観していたのかもしれない。
「誰かいるのかい?」
俺たちは、その声にギクッとした。まさか、俺たちがいることがバレていたのか。何かに狙われていたり、疾しいことをしたわけではないので、潔く声の主のいるところまで出て行った。
そこにいたのは、肩まで伸ばされた光に照らされ、艶やかに輝く黒髪と、猫を想わせる宝石のような蒼い双眸の――可憐な少女、だと思う。不思議な作りのモノトーンで統一された衣装を身に纏っていた。何となく、一般人ではないだろうな、と思った。そして、その少女か少年かわからない無性別の人に一目惚れに近い衝撃を受けた。
「えっと・・・さっき歌ってたのは、君?」
俺の代わりに、顔を赤らめつつも友人が尋ねてくれた。
「聴かれてしまっていたのだね」
その人の声は、この場所の澄み切った空気とよく似合う、透き通るような女性低音だった。音楽で習ったので、間違ってはいないはずだ。
「こんばんは、わたしは言ノ葉 黎。雨の日は決まってここで歌うのだよ」
広い夜空を抱きしめるように腕を広げ、『黎』と名乗るその人は綺麗な笑みを浮かべて言った。『言ノ葉』ハープが奏でる旋律に言葉を重ね、夜空に届けるその人を象徴するようだと思った。
「夜にわたしの姿を見た人、キミたちくらいじゃないかな」
愉快げな笑みを浮かべ、ハープを大切そうに抱きしめながら言った。そのあと、キョロキョロと辺りを見回し、傍にあった岩に腰かけた。
「さっきの歌は、晴れを願う曲だったのか」
「うーんとね、まぁそうなんだけど、これは想い浮かべたものを『真言』にして、この子の旋律に重ねた曲なのだよ。詩自体は今想い付いたものだったんだ」
「いい曲だったと思う」
音楽に関する知識はあまり持ち合わせていないが、純粋にそう想った。
「気に入ってもらえたのなら嬉しいよ」
「あのさ・・・真言ってなに」
「あぁ、えっとね、そのあたりの詳しい説明はまだできないんだよねぇ。もしキミたちが運命の相手ならね・・・わたしの『言霊』に反応するあたり、片鱗は生まれてはいるようだね」
さっきから何を言っているのかさっぱりわからない。ファンタジーの世界から来た魔術師とかそういう感じなのか。性別も、年齢も、住んでいる場所も不明だが、悪い人ではないだろう。何しろ、歌で晴れにするような人だ。悪い人なわけがない。
「そうだ、キミたち名前は?」
「剣崎焔だ。よろしく」
「俺は、水本犀。よろしくな」
「うんよろしくね、焔くん、犀くん」
黎という人は、無邪気な笑顔を浮かべると、優美な手を差し出した。俺もそれに倣い握手した。性別は、女で間違いないと思う。
「人が発するものの全ては、旋律であり、歌でもある。足音だって一つの旋律。わたしたちの会話だって無伴奏歌唱だ」
この人から言わせれば、この世は音楽で出来ているということらしい。
「じゃあ、運命は?」
「難しい質問だ」
黎さんは、顎に手をあて、しばらく思考する。
「運命は――協奏曲さ。わたしたちはここで必然的に集まり、そして今歌い、音を奏でている。だから、協奏曲」
なるほど、美しい喩えだと想う。空に歌を届ける強さを持つ人の言葉は説得力がある。これも、この人の『言霊』の力なのだろうか
俺たちは、別れのあいさつをし、踵を返して来た道を戻ろうとすると
「あ、忘れてた」
ふと黎さんが呟いた。俺たちは足を止め、振り向いた。
「キミたちがここに来るまで奏でていた音楽は、なんだと想う?」
「俺たちが奏でていた音楽?」
足音のことだろうか。確かに黎さんは、足音一つでも曲だと言った。俺たちは、無意識のうちに音楽を奏でていたというのだ。
「それは?」
「それはね―――だよ」
黎さんの声は、何故かそこだけ風と共に流れて行った。何と言ったのか、ハッキリしていないけれど、これから、俺たちがなんらかの形で『重奏』をすることになるのだろうと、俺は確信した