8 エルフの花とエルフの干物
さて、その巫女だが、現在、彼女は苦境に立たされていた。
というのもちんけな話で、巫女としての徳を高めるだのどうだので、日に沐浴で身を清めること三回に、座禅で心を落ち着けるだのどうのこうのでそれを五回、過去の政の編纂を陽がとっぷり暮れるまで。まだまだ若い花である彼女にとっては、それはとてつもなく苦痛で、逃げ出したい程であった。
いや、逃げ出したばかりだった、というのが正しい。その罰として、夜も暮れ始めた頃だと言うのに、長老監視の下で政の編纂をこれでもかと書き連ねている。
「うう……花も恥じる百と余歳。こんな事で時間を潰されたら、いずれ枯れてしまうわ」
巫女メアリリは、めそめそしながらまたひとつ、過去のエルフの政の編纂を終えると竹簡(エルフの里では羊皮紙が貴重らしく、幾重もの竹を連ねた巻物と動物の毛で作った筆と墨で文字を書いている)を積んだ。その数は既に数十は下らなく、如何にこの集落が歴史深いものかが伺える。
エルフが成人として扱われるのは百歳を数える頃。その頃になって、ようやく人族の14~15くらいの身体つきとなり、ひとりで狩りをすることも許される。
その百を数えて、メアリリは巫女に選ばれ、当初は喜び浮かれたものだが。ここ数年は幽閉とでも言って相違ない程の激務で、心身共に疲弊に疲弊を重ねていた。
無論、巫女として選ばれたのは誇らしいと今では感じている。が、それとは別。百を超えれば恋だって出来る。エルフきっての器量良しと言われた自分も、このままでは長老会の耄碌婆達のように窶れて骨と皮だけになってしまう、そう思って脱走を試みたのだが。
やはり年の功には敵わないのか、あっさりと長老達にバレてしまい、現状に至る。
「大丈夫大丈夫、あたしの若い時とおなじであんたは顔だけは良いんだ。相手なんざ青瓢箪からやんごとなきお方まで、ごまんといるさ」
メアリリ曰く、「骨と皮」の老婆エルフが、煙管をくゆらせながら言った。
「そんなの、わかんないじゃないの!出会いがないのよ!出会いが!なによ!?
日が昇る前から身を清めだのとか言って一刻は冷たい水の中で過ごさせられるし!それが終わったら、今度は集中力を養うとか言って座禅を組まされて風に曝されて寒いし!で、今度は頭を養う為に過去の長老会の議題をまとめるだのなんだの……それで、へとへとになったら、また冷水に突っ込んで、また上げて座禅!狂うわ!おかしいわ!なによこれ!」
「やーかましい!俗に浸かりきった思想を清めて励むのが巫女の習い!選ばれた事に感謝して咽び泣いて、修行に励むのがしきたりよ!あと十年はこのままだとおもいなさい!」
「十年!?聞いた、十年、十年って!そんなの花だって枯れるわ糞ババア!骨董品ならすこしは趣も出てくるでしょう!でも、花は咲いたその時が勝負なのよ!?花を落としてからじゃ遅いの!わたしは女をまだ捨てちゃいないわ!」
「あー!あー!やかましい!やかましい!そんなもので捨てるハメになる女なんぞ捨てちまえ!女はいつだって乙女じゃあんぽんたん!」
「化石みたいなのが何を言ってるのよ、ついにボケたかしら!?」
――などと、口汚い罵り合いに終始する始末である。
少女と老婆、お互いが声を張り上げているので、その会話はダイト達の耳にも入っており――
「なんか……すごい人達………だね?」
「我が里の、恥ずべき事だと認識している……」
「うん……ばっちゃんとメアリリの会話は……ひどいからね」
陰鬱な空気だったダイトらだが、この苛烈なやり取りに、すっかり言葉を喪う。
気を取り直して、ストロロを先導に扉を開いて、ダイトもそれに続いた。
中は外観とは比べ物にならないほど手入れが行き届いており、床材は顔が映るのではないかというほどきれいに磨き抜かれていた。備え付けられた家具も、貴族の屋敷にあっても何ら違和感もない程美麗で、活けた花瓶や花を描いた美しい絵画なんてものまであった。
すっかり暗くなった外から来たダイトらにとって、数多く灯された獣脂のロウソクの明かりで保たれた室内は、夜闇に慣れていた目にすこし痛い程であった。
「俺、ここに来るとなんか、緊張しちゃうんだよな……」
とは、サムタウの弁。
「あなたの場合、しょっちゅう悪さをして、怒られに来てるからでしょう?」
そのサムタウをあっさりと切って捨てるストロロは、更に奥へ奥へ進んでいく。
幾分か過ぎて、ひとつの、何の変哲もない扉の前にストロロは立つと、扉を叩く。
「おやぁ、戻ってきたかい。入りなよ」
声は、先程メアリリ、と呼ばれる少女と言い争った老婆であった。
失礼します、とストロロが入り、サムタウがそれに続き、最後にダイトが入る。
竹簡の山を左右に分けた、その中央。件のメアリリという少女は、新たな竹簡に目と筆を這わせ、その横でちょうど煙管の灰を灰皿に落とす、矍鑠とした老婆が居た。
老婆は、メアリリから視線を外し、ストロロ、サムタウ、そしてダイトに視線を動かすと、途端しわくちゃの顔を顰めさせ、険しい顔をつくる。
「なんだい、今日の収穫は"魔剣に喰われた"坊主かい?」
険のある声で老婆は呟くと、取り置こうとした煙管を再び持ち上げて、ダイトを指した。
「収穫ではありません。なんでも、このものが話があるようで……」
ストロロは、老婆の冷たい視線にうっ、と唸る。それでも、言葉を選ぶようにして、紡ごうとしたが。
「魔剣?喰われた?あら?可愛い!」
魔剣、という単語にぴくりと反応したメアリリが振り向き、気付けばダイトに近づき、抱き寄せていた。
――ええと。これは一体何なんだ?
ダイトは、鼻腔をくすぐる花のような香りをした少女の抱擁に、頬を赤らめ、困惑する。
身長の関係で、ダイトの頭が胸に来ているのだが、メアリリという少女は気にしていない。いや、気にすべきものもさほどないのだが。
「メアリリ!あんた、なにやってるんだい!?」
「巫女様!そいつは危険です!」
「巫女様、離れて!」
唐突のメアリリの行動に、面食らう三人。
ダイトも、あまりの手の速さに目を白黒させていた。
「えー?でも、こんなに可愛いのに?」
メアリリはダイトを抱き上げて、頬ずりをしはじめてすらいる。
ダイトは事態についていけず、ひたすら困惑しながらなすがままとなっている。
「でもちょっと顔色悪い?大丈夫?お菓子食べる?」
「そういう問題じゃなくてじゃなあ……」
メアリリの突然の奇行に、すっかり毒気抜かれた三人は、張り詰めた空気を弛緩させて、肩を落とした。