#1 閑話・アレクサンダーの手紙
その日、グレイハウンド卿に向けて一通の手紙が届いた。
送り主はフロースガル国王、アレクサンダー=フロースガル7世。内容は――
「魔剣の事とな」
頭の毛の分を口に蓄えたのではなかろうか、顎髭が胸元まで伸びる初老を幾分過ぎた老人、ガルフォード=グレイハウンドは手紙を開いて一番に、そう口を衝いて出た。
彼は軍属に身をおいてた時期があり、高齢となった今でも背筋は鉄でも入っているのかと言う程、ピンと立っている。多くの訓練と、軍事作戦を生き残る為に鍛え上げた肉体は衰えを知らず、今も自分の毎日を支えてくれる事は、彼のひそかな喜びである。
――であるなら、あの少年と出会えたのか。
ガルフォード卿は、手紙を目で追うにつれて、ほっほっほ、と声を上げながら笑う。
自分の住まう居室へ、突然現れたあの少年――ダイトと言ったか、彼は、襤褸布を着込んで、まるではぐれた子のように寂しそうな目をして、「魔剣を知っているか」と尋ねてきたのは記憶に新しい。
しかし、まさか自領の片隅。エルフ達が隠れ住まう魔境の森に魔剣の、しかも意思を持つという超上位種が存在するとは予想すら出来なんだ。これは、悪いことをした。急いているというのに、往路となってしまうとは、いやはや面目ないと、心のなかで懺悔する。
彼も長年軍事の荒波に揉まれ生きてきたが故に、魔剣という存在はしかと確認している。無論、魔剣に喰われたものも、少数ながら見てきた。しかし、魔剣種に精神を喰われた特有の血の通っていないかのような青白い肌でありながらあそこまではっきりとした受け応えが出来るとは。いやはや、この世というものは摩訶不思議に満ちていると、内心では驚いていた。
その為、ダイトに対して最初は忌避感と警戒を感じたものだが、話してみれば生真面目で、幼子のような少年であった事は頭をトンカチで殴られたかのような衝撃を覚えたものだ。自分の息子達も、昔はああいった時代があったのだなあ、とつい感慨に耽ってしまう。
それが今では、
「じじい!アレク様から手紙が来たって本当か!俺への手紙か!?」
「コリンズのへっぽこぴーなんて呼ぶわけないじゃないさ!あたいあたい!このライム様に来たに決まってるよ!」
「なんだと!?」
「なによ!?」
まったくもって、さきほどまでの感傷が台無しである。
後妻を迎え、ようやく子宝に恵まれた息子と娘……コリンズとライムのドタバタした登場に、感傷から引き戻されると、ガルフォード卿はひとつため息をついた。
「誰もお前らの事を呼んどらんぞ。手紙も関係ないものじゃ」
と言って、ガルフォード卿はしっしっと手を振ってふたりを追いやろうとする。
このふたり、どちらも日に焼けた少年と少女のコリンズとライムは、以前アレクサンダーを旗頭にした反乱の際に、アレクサンダーの護衛兼監視役として送り込んだ事があるのだが。どこをどう間違ったのか、アレクサンダーとフルンティグの人柄に惚れ込んで、以降忠実な配下となっていた経緯を持っている。
将来、自領であるグレイハウンド領を富ませるにあたり、それでは困るということで、バーバラと交換するように呼び戻して、ガルフォード卿自らの手で扱いてやっているのだが、一年を経った今でもその忠誠心は変わらず。実の父と自領をそっちのけで、アレクサンダーの金魚のフンをしているのであった。
本人達曰く、「だって難しいことはわかんないんだもん」。ガルフォード卿はその言葉を聞いた時に、それはもう烈火の如く怒ったそうだ。
その度し難い莫迦ふたりは、アレクサンダーの書簡と聞いて、どこからともなく嗅ぎ付けて、このガルフォード卿の私室へとやってきたのである。
「第一、おぬしら、今は勉学の時間ではなかったか?」
じろりと眼光を光らせるガルフォード卿に、ふたりはあさっての方向を向いてへたくそな口笛を披露する。間違いなく、サボっていたのであろう。
最早、一度や二度ではないので、ガルフォード卿は追って課題を出すことを心に決めて、アレクサンダーの書簡の内容を告げた。
「アレクサンダー王がな、魔剣の持ち主を秘密裏に集めようとしているとのお達しだ。儂の方でも、動いてくれとのことじゃな」
それを聞くと、コリンズとライムは示したように顔を見合わせた。
そして、ばっとガルフォード卿へと向き直ると、興奮した様子で捲し立てる。
「じじい!戦が始まるのか!?」
「じじい!戦が始まるの!?」
「遠征か!?」
「支配かしら!?」
目をきらきらさせて、コリンズとライムはガルフォード卿に詰め寄る。
そうではない、と鬱陶しそうにふたりを払って、ガルフォード卿は続ける。
「戦と言えば戦じゃが……儂も俄には信じられん話じゃな」
そう言うと、ダイトが以前訪れた時に話した、新たな『魔王』の話をふたりに聞かせた。
「フルンティグ様ならイチコロよ!」
「そうだそうだ!フルン様なら『魔王』なんて、ちょちょいのちょいさ!」
「しかし、そのフルンティグをダイトという少年は下しているそうだぞ?」
「うっそだあ!」「うそだあ!」
ひとりでもやかましいというのに、ふたり揃えば鬱陶しいことこのうえないこのふたりは、フルンティグの強さを信望していた。故に、ダイトがフルンティグを下したという話を、にわかに信じることは出来なかった。
「いや、いや、あの者は儂とて一太刀浴びせられるか怪しい。それ程までに研ぎ澄まされた雰囲気をもっておったわ。そんな彼が仲間を求めるというのは、過去の『魔王』達はそれ程強かったのか……」
顎髭を撫でながら、ダイトとの邂逅を振り返るガルフォード卿。
音もなく現れて、息を呑む暇も与えずに剣を突き付けられ、この老骨に対して魔剣の有無に対して問うたのを今でも鮮明に覚えている。あまりの武威の差に、思わず肌が粟立ってしまったものだ。
しかし、そんなガルフォード卿の記憶を知らずに、コリンズとライムは唇を尖らせてそっぽを向く。
「じじいには聞いてなーい」
「きいてなーい」
「……ちょうどよい、そんなに戯けた事をほざくようなら今日の調練、儂自らが教鞭を取るとしよう」
こめかみを引き攣らせるガルフォード卿を見て、ふたりはふざけすぎた事を察した。
「やだやだやだ!絶対やだ!」
「いや、本気で、勘弁……」
「良い良い、遠慮をするな。それに、儂は決めた。この戦に、貴様らふたりを出す事をな!」
コリンズとライムは、年頃の少年少女らしいちゃらんぽらんな性格ではあるが、魔剣使いである。ダイトが言った階級から言えば、"遺失物"級の使い手だ。
アレクサンダーやダイトのような意思持ちの魔剣使いではないが、過去フロースガル王国を賑やかせた反乱をアレクサンダーと共に駆け抜けた猛者であった。
しかし、その魔剣を扱っても、ふたり掛かりでフルンティグはおろか、ガルフォード卿にすら及ばない。
今回、おふざけが過ぎた事で、これからキツイお灸が据えられる事となる。合掌。
――さて、このダイト少年が持ってきた種。一体どう芽吹く事やら。
そして、隣国も、きな臭い事になっている。関連があるのだろうかの……。
コリンズとライムを引き摺りながら、ガルフォード卿は自領にある魔物たちの楽園の地を進むであろうダイトに、思いを馳せた。
7/1 誤字訂正。
7/6 加筆修正