35 魔剣、魔王を退ける
『魔剣』とは。
人知を超えた武器であり、他者を圧倒するちからや、理を読み解く知慧さえ得ることが出来る超兵器である。
そして魔剣とは、人に支配されていなければ、あやつり人形のように肉体の状況に左右されることなく、握ったものの身体を支配する事が出来る。
黒槍の持ち手であるゴブリンキングは先のダイトとメアリリ≒五光神杖の連携により既に死に体であった。そして、その手にある魔剣ごと切り離そうとしたダイトに対して、すんでのところでゴブリンキングから身体の制御を奪うと、ダイトの一撃から身体を守ったのである。
さしもの魔剣でも、腕ひとつきりでは身動きができないからだ。
それをよく知っているダイトは、防がれたことに憤ることもなく、ゴブリンキングを蹴飛ばすと同時に大きく後退して、剣を構え直した。
一方のゴブリンキングは、ダイトの不完全な体勢からの蹴飛ばしであった為に、たたらを踏んで後退した程度でその巨体を御し切った。
「宿主が死に体になって、ようやく出てきたか。君はどこから来た何者なんだい?」
ダイトは剣呑さを声に潜ませて、尋ねた。
対するゴブリンキング≒黒槍は白目を剥きながら、口を半開きにして呪詛めいた言葉を吐く。
「にくい……憎いニクいにクいニくいィくい!」
ただうわ言のように「憎い」という言葉を並べる黒槍。
ダイトはその様子に理性を認められず、首を振る。
一方で、ゴブリンと冒険者たちも白光が瞬く様に見とれて、ダイトとゴブリンキング両名の様子を注視していた。
「駄目、か。完全に餓鬼魔剣に堕ちてる」
ダイトは隙を伺いながらも、僅かな情報を得ようと黒槍に問いを投げかけたが、黒槍の人格は既にここにあらずといった様子であった。おそらく、人格は既に憤怒に汚染され、語る言葉を失っているだろう。
しかし、これはダイトもリューナも予想していたことだ。
ダイトたちが空白の歴史の戦いの折に、こういった理性を喪った魔王と相対することは度々あった。
その頃の記憶を思い浮かべて、ダイトは構えを新たに戦いに臨む。
戦いの始まりは唐突だった。
ゴブリンキングが突如おおきく後退。ダイトもそれに追い縋ろうと一歩踏み出したところで、ゴブリンキングは黒槍を振るうと、黒い稲妻がダイトに降って掛かる。
ダイトは剣で稲妻を絡め取って、そのまま黒雷を断ち切る、が。
「む……」
ジュゥ、という肉が焼ける音と、手に生じた熱。黒雷が熱エネルギーと変じてダイトの手の剣を熱して手のひらを焼いた。
戦士として痛みを飼いならしてきたダイトにとって、熱による痛みは致命打とは成り得ないが、ダイトは黒雷への警戒を数段跳ね上げ、銀の旋風となってゴブリンキングに肉薄する。
ゴブリンキングは迫るダイトに黒雷をばら撒いて阻もうとしたが、ダイトは手を焼きながら剣で黒雷を断ち切りつつ突き進み、すぐさまゴブリンキングを捉えた。
肉体を両断せんと、ダイトのあらん限りの力が込められた唐竹割りがゴブリンキングに迫る。ゴブリンキングは黒槍をもって防ぐが、黒槍からガリガリと、削れる音が響いた。ダイトの剣は黒槍の硬度を上回り、コレを断ち切らんと更に力を込める。
ゴブリンキングは慌ててダイトの剛剣を角度をつけていなすが、即座に切り返したダイトの凶刃が閃く。ゴブリンキングは後手になりながらも、その刃の閃きに合わせて黒槍を振るって合わせて、武器同士の打ち合いが始まる。
薄暗い闇の中、お互いの武器が打ち据えた時に生じる火花が、ダイトとゴブリンキングのいる間でいくつも花を咲かせる。しかし、ゴブリンキングの槍捌きは目に見えて拙く、ダイトの斬撃が迸る度にゴブリンキングの身体に傷が生じた。これに業を煮やしたゴブリンキングは、ダイトの小さな体を蹴飛ばしてふたたび間合いを取ろうと画策する。
蹴り飛ばされたダイトは、空中で身体を制御して華麗に着地するとすぐさま、ゴブリンキングに向かって疾走する。
疾風迅雷。まさにその言葉に相応しい銀の旋風は、その顎門で容易くゴブリンキングに喰らいつき、離さない。
黒雷を放つ暇もなく、またゴブリンキングはダイトと鍔競り合う。しかし、ダイトの力はゴブリンキング≒黒槍以上であり、じりじりと剣戟がゴブリンキングに迫る。
その時だ。
再度、光が瞬くと、光の礫がゴブリンキングの顔面に傾れ込み、その顔を容赦なく焼き尽くす。
着弾とともに光が爆発し、その衝撃に次ぐ衝撃でわずかに身体の力が緩むと、ダイトはすかさず剣を滑らせてそのままゴブリンキングの右腕を切り飛ばした。
黒槍とともに、天高くゴブリンキングの右腕が舞う。ゴブリンキングは黒槍を取り返そうと天に向かって左手を掻くが、ダイトが素早くゴブリンキングを踏み台にして、飛んでいった黒槍に迫る。
そして、空中で剣を閃かせると、黒槍は右腕ごと両断され、ふたつに別れて森の茂みへと消えていった。
ゴブリンキングはそれを呆然と見届けると、まるで操り糸が途切れたかのように頭から地に沈み、そのまま動かなくなった。
ダイトの一戦を見守っていた騎士たちが、わっと湧き上がる。
先の光の奔流とともに、ゴブリンたちにもゴブリンキングが敗れたことが共有され、一斉に翻って森へと逃げ出し始めた。
ダイトは忘れることなく、ゴブリンキングの首筋に一刀を加えて絶命を確認すると、毅然と身を翻して冒険者と騎士たちへと向かって歩く。
冒険者と騎士はそれを追うことはなかった。
「ゴブリンを追うことは止めなさい!繰り返します、ゴブリンを追うことは止めなさい!」
グレイハウンド騎士団副団長・シャーレが声を張り上げて、冒険者らに追撃することを禁じた。その言葉が騎士たちに伝播し、騎士はそれぞれ冒険者に追撃を禁ずるように問いて回る。
既にゴブリンキングという"異常"は取り除かれた。
あとはグノーグの森の掟に従い、弱肉強食の世界によってゴブリンたちは自然と数を減らすことが容易に見て取れた。
しかし、ダイトの表情は暗く硬いものであった。
少なくとも、『魔王』という災厄を打ち払ったものがする顔ではなかった。
ダイトはメアリリ≒ブリューナクに歩み寄ると、浮かない表情のまま労いの言葉を交わした。
「リューナさん、とりあえずお疲れ様」
「ええ、そうね。とりあえずね」
対する、ブリューナクの表情も硬い。
「武器としての格は"意執物"級くらいかしら?」
「ああ、そうだね。確かに人の手では厄介だけども、倒せない相手ではないと思う。事実、ヒューマさんが対象の魔力を削ってくれていたから、楽に剣が通った」
「でも、トゥアハを瞬時に壊すことが出来るほどの権能もなければ、ゴブリンたちを率いる程の知能もないように見えた。それに、ゴブリンたちの装備……どうにも、新しいように見えるわ」
「うん。確かに物は旧いけど、手入れは行き届いていた。野良ゴブリンたちが手に持つような、鉄錆びたものじゃない。これじゃ、まるで……」
「意図して起こされた戦だって言いたいのね?」
ダイトは暗い表情のまま、こくりと首を頷く。
ブリューナクも同調して、首を振る。
「シャーレに場を任せて、ぼくらは戻ろう。何か嫌な予感がする」
未だに負傷者の搬送で忙しない、戦で酔った雰囲気を醸す戦場。ようやく戦闘が終わったのに、息吐く間もなく懸念を伝えるのは酷だとふたりは判断した。
杞憂を副団長にだけ伝えて、まだ余力のある自分たちが駆けつければいいとふたりは話し合うと、副団長の姿を探す。
ひっきりなしに声を張り上げるハーフリングの乙女の下に赴いて事情を説明すると、ふたりはテーレスの街へと疾走した。
*--*--*--*
テーレスの街・南区。
ここはグレイハウンド城に拾い上げられなかった流民や物乞いが未だ残る、スラムとして機能している、筈だった。
そこは、今や血に塗れており、生命があるものが伺えない死の町となっていた。
――――そろそろか。
この惨劇を作り上げた主は、そう心で呟くと視線を中央街……グレイハウンド城に向ける。
民衆の恐怖を植え付けて、それを醸造する為に待っていた主は小腹を満たす為に南区の無気力な人民を漁っていた。糧としては大したことのない量だが、人種が随分と目減りした昨今では、こういった細やかな恩讐でも案外馬鹿にならないことを知っていた主は久々の豪勢な食事に舌なめずりをする。
――――空白の歴史は、良かった。
思い起こすのは過去の人と魔の入り乱れた歴史。食事をするのに苦労することがなかったあの頃は、裏で手を回すような真似をしなくても腹いっぱいの糧を得られていた。
それが、どうだ。
瞬きする間に人は数を減らしてしまい、空きっ腹を抱えて彷徨う時間の方が長くなってしまった。
まったくもって忌まわしい生態だ。
主は過去を反芻してひとりでに憤慨するが、それでも、グレイハウンドの城に集まる餌を思えば、自然とその顔は綻んだ。
――――もうすぐだ。腹いっぱい喰える。
主は人の世を仮忍ぶ姿としてグレンデルに属して、それを利用してこの舞台を作り上げた。それがようやく腹に入る事に喜々とした足取りで、グレイハウンド城へと歩みをすすめる。
人と変わらない姿形を持った異形は、今すぐそこまで迫っていた。