34 魔剣、魔王と邂逅する
傾いた夕陽が沈み込もうとしている中、ヒューマは辛くもゴブリンキングと相対し続けていた。
圧倒的な身体能力と武器の性能差から来る暴力に正面から立ち向かわず、体捌きだけで回避を続けていた為に、体力の消耗は激しい。加えて、闇が満ちてきた中で攻撃の予測が困難を極め、精神的な疲弊は馬鹿にならないものだった。
「っだぁ、しんどい!」
愚痴をこぼしながら、ヒューマは幾度目かの剣戟をゴブリンキングに叩き込む。同時に迫る黒槍をすんでのところで回避して、また間合いを取った。
既に切り結んで、いや、一方的に切り込んでから半刻になる。しかし、ゴブリンキングの身に明確な傷はひとつもなく、また、その槍捌きから消耗した様子もうかがえない。その豪腕から振るわれる槍の範囲に舌打ちしたくもなるが、逆に範囲が広すぎてゴブリンも間合いに入ることができない状況となっているのが救いだ。いつしか、ヒューマとゴブリンキングの周囲は一定の間隔が空いており、その中にわざわざ足を踏み込むものは少ない。
稀に事故や間隙を狙って足を踏み入れるものもいるが、敵味方分け隔てなくその尽くがゴブリンキングの黒槍によって薙ぎ払われた。
あたりはまだ喧騒に満ちており、ゴブリンとの交戦は止む気配がない。森の奥から次々とゴブリンが押し寄せて来て、闇の中で騎士と冒険者が入り乱れて争っている。夜目の差か、味方の損耗が激しく、狼煙によって駆けつけた味方が代わる代わる前衛を受け持つことで、なんとか戦線を維持していた。
さすがは団長を勤め上げるあって、視野の広いヒューマは戦いながらも近辺の情報を拾い上げており、このままでは損害が大きくなる一方であること悟っていたが、ゴブリンキングとゴブリンが出揃っている現状で前線を交代させるわけにはいかなかった。もし前線を下げようものなら、自分という楔を失った時のゴブリンキングの脅威に歯噛みして、今はただ堪える。
「こんなおっさんでも意地ってもんがあらぁ!」
己を叱咤しながら、ヒューマはゴブリンキングの腹に向けてちからの限り剣を突き入れる。
やはり、ガキィン、という甲高い擦過音。
いや、それどころか。
「折れた!」
ヒューマの剣は半ばから割れ砕けていた。
度重なる酷使により、剣が限界を迎えたのだ。
これに、ゴブリンキングはグブ、と嘲笑のような呻きを上げ、また槍を振るう。
刹那の間、茫然自失していたヒューマもすぐにこれに反応するが、遅きに失していた。
瞬時に後方に飛んで勢いを殺すが、ゴブリンキングの豪腕から振るわれた黒槍に逆袈裟に斬り上げられ、おおきく吹き飛ぶ。
吹き飛ばされたヒューマは、そのまま二転三転と森の暗がりに転がった。斬られた箇所は骨まで達しており、どくどくと血が溢れはじめる。
ゴブリンキングはその様子にこれまでの溜飲が下がったのか、満足げな笑みを浮かべると、吹き飛んだヒューマに歩み寄った。そして、だらんとして動けないヒューマを掴み上げると、そのまま口を大きく開いて――――
そのとき、光の礫が飛来する。
ゴブリンキングの口を大きく開けた顔にそれが接触すると、ちいさな爆発が起こった。
これに堪らず、ゴブリンキングはヒューマを取り落として顔を覆って藻掻いた。
その怯んだ隙をついて、銀の旋風がゴブリンキングに吹き荒れ、今度はゴブリンキングが錐揉みしながら吹き飛んだ。
メアリリ≒五光神杖が光術でゴブリンキングを撃ち、ダイトが一瞬の間に肉薄してゴブリンキングを殴り飛ばしたのだ。
「大丈夫ですか、ヒューマさん!」
瞬時にして近付いたダイトは、そのままヒューマを抱き起こすと、硬い表情で傷の具合を探った。
ヒューマは先の一撃で既に気を失っていた。傷は骨まで達しているが、かろうじて臓器までは傷ついていなかった。直前の回避行動が実を結んだ結果であろう。ただ、出血はひどく、その上スタミナが消耗しきっていて、このままでは体力を奪われて死に至ることが容易に見て取れた。
「『光快癒』」
危急の為、詠唱句を省略してダイトはすぐさま奇跡を願い、治癒の光を乞うた。
ダイトの扱う『光快癒』は初級の回復魔法であり、重い傷を塞ぎ切ることは不可能だが、応急処置にはなる。
じんわりとした光が傷口を覆ってしばらくすると、出血の勢いが弱まった。
「団長……!」
「すみません、ヒューマさんを頼みます」
そこへ、ヒューマが倒れたことに気付いた目端の利く騎士が近付いてきたので、そのままだらんとちからのないヒューマを預けて、ダイトは立ち上がった。
ちょうど、ゴブリンキングも立ち上がってこちらに近づこうとしていた。
その顔にはすこし焦げ目がついているが、ダイトの拳による被害は特別認められず、壮健そうだった。だが、その表情は今まで見たこと無いほど醜く歪んでおり、憤慨しているように見えた。
最早、最初に見た涼しげな目元はうかがえず、ただ目の前の敵を殲滅せんと、ギロリとダイトを見据えていた。
一方のダイトは、驚くほど静かだった。
いや、静かに怒っていた。
教官と騎士との関係だったとはいえ、彼はヒューマや騎士たちを仲間だと認識していた。その仲間が傷つき倒れたことに、彼は深い憤りを覚えていた。
すぼまった目が、ゴブリンキングを射抜く。
ゴブリンキングもまた、怒りの形相で睨み返す。
そうして。お互いにどちらともなく地を蹴った。
景色が線のように引き伸ばされる刹那の世界。
ダイトは駆けながら器用に抜刀すると、袈裟斬りに剣を振るった。
ゴブリンキングは先程とはうって変わって、ダイトの切っ先から太刀筋を読んで、黒槍を捌いてダイトの剣を阻む。
鋼が打ち据えられる音。
明確な質量差がダイトとゴブリンキングにあるはずなのに、そんなものは関係なしと言わんばかりに互いにがっしりとした足取りで打ち合っていた。
しかし、ダイトの剣は留まることを知らない。剣は、撫でるように黒槍を滑ると、すぐさま切っ先を変えてゴブリンキングに襲いかかる。
すくい上げるように放たれる、首刈りの一太刀。
ゴブリンキングはまた黒槍でダイトの剣を弾こうとするが、その太刀筋は重く、受けきることが出来ずに身体がよろめくようにたたらを踏んだ。首元がざくりと裂かれ、血が噴出する。
これは堪らんと、ゴブリンキングは背後へ飛ぶが、ダイトはすぐさま追い縋る。
表情を一切動かすことなく、ダイトは機械的にゴブリンキングを追い詰めていく。
唐竹割りに振られた剣は、鋼のような硬さを誇るゴブリンキングの左腕を捉えると、半ばまで切り裂いた。
痛みのあまり、ゴブリンキングの息は跳ね上がる。
苦し紛れに、唐竹割りに振り下ろした刹那を狙って、ゴブリンキングは小さな影に槍を突き入れた。
だが、それだけではダイトに届かない。
ダイトはくるりと身体を一回転させると、その回転の勢いのまま剣を振るって迫ってくる黒槍を打ち据える。黒槍は弾かれて、ゴブリンキングの右腕は跳ね上がる。
そして、独楽のように回るダイトは、ゴブリンキングの肥えた腹を容赦なく薙いだ。
鮮血が、ぱっと赤い花を咲かせる。
ダイトはその血を浴びぬようにバックステップすると、油断なく剣を正眼に構え直した。
ダイトが離れたのを見計らったのか、リューナの光術が煌めく。光の礫がゴブリンキングに殺到して、全身を灼き焦がす。
とめどなく、小爆発がゴブリンキングの全身を襲い続ける。
しばらくして、爆発が終わると、立ったまま白い目を剥いた焼けたゴブリンキングがいた。
ダイトはゴブリンキングを伺うことなく、すぐに駆けると、ゴブリンキングの右腕を刈り落とす為に武器を振るう。
しかし、白目を剥いたままのゴブリンキングは突如右腕を跳ね上げて、ダイトの剣を黒槍で防いだ。
「ようやくか」
ダイトは防がれたことにちっとも驚かず、無感情につぶやく。
ゴブリンキングと切り結んだまま、ダイトは黒槍に向かって目を細めた。
「嗚呼、憎たらしや」
ゴブリンキングの口から、汚らしい喚き声ではなく、流暢な言葉が紡がれていた。