33 昏い森の中での戦
森小鬼との戦闘は小競り合いが主であった。
騎士と冒険者らで築き上げた戦線で、ゴブリンはこちらに寄るのをやめ、じっと何かを待つようにこちらの様子を伺っている。
どちらも深追いはせず、一進一退の攻防に終止していた為に、どちらも被害という被害はない。
間もなく、日が陰りを見せ始めてきた。
季節は真夏である為に周囲が完全に夜に沈むまでに時間はあるが、それでも森の視認性は随分と下がった。
ゴブリンは夜目が効く。このまま膠着状態で夜を迎えては、夜目に効き小回りが効く相手が有利だと作戦指揮を務める騎士団長、ヒューマは渋い顔をした。
ここで前線を張るゴブリンをすこしでも減らしておきたい。そう考えた彼は、鬨の声を上げる。
「前線!すすめ!目につくゴブリンを駆逐せよ!」
自分で言うのも何だが、威勢のいいことを言うなとヒューマはひとり考える。そんな事を発令者が考えていることは露知らずに、騎士を中心とした最前線の白兵戦力が、ゴブリンを殲滅せんと重い足取りで進む。
ゴブリンもこれに感づいて、逆に対抗せんと牙を剥く。
ゴブリンらは木々を盾にしながら、一箇所に固まらないように疎らに散っていたが、ヒューマの一喝を見て各々で行動を開始しはじめた。
しかし、前線を担当したのはあのダイトが担当した騎士たちが多数である。限界を超える訓練により、身体強化に目覚めた精鋭は、ダイトの絶技を嫌というほど見せつけられてきた。そんな彼らにとってゴブリンの攻勢など児戯に等しく、事実容易く斬り伏せていく。
先までの膠着状態が嘘のように、ゴブリンの断末魔がそこかしこで上がっていた。若干、冒険者の足並みが揃っていないが、指揮系統からまるっきり違う中で随分健闘していた。
これにより、前線はだいぶ森に踏み入り、ゴブリンは押し込められる形で後退することになった。
打てば響くように反応する騎士と、街を守るべく立ち上がった冒険者の有志にヒューマはこころから感謝しながらも、警戒を怠らない。目を皿のようにして戦況をうかがう。
俄に活気づく騎士と冒険者らに対して、鎧を着込んだヒューマは「あまりね、張り切りすぎないようにね」と覇気のないことばで宥めながら、ゴブリンの前線を睨む。
程々の戦果を挙げて士気が上がるのは構わないが、冒険者らが暴走して押し込みすぎることをヒューマは嫌っていた。
ゴブリンどもが大分森の奥に行ったことを確認するとほっと一息吐いて、彼は唇を湿らせる。
「前線!もういいぞ、下がれ!攻めすぎるな!」
あまりにも突出が過ぎれば、後退が難しくなる。そうなれば、交代体制にも支障が出る。頭数という意味では有利か不利かも判断がつかない戦況の中、一部隊を疲弊させるのは非常に危険だ。
くわえて、かの魔剣の存在もある。戦意が昂ぶって戻れなくなる前に引き際を心得る必要があった。
好戦ムードだった前線部隊に冷や水を浴びせると、前線部隊の騎士と冒険者らは咎めるように唇を尖らせながら、渋々といった様子でこちらへ後退してきた。
ここまでで、見渡せる限りで既にゴブリンを三桁は殺している。これが全軍の何割だろうか、気になるところだが顔には出さずにヒューマは部隊全員を労った。
「よし、よくやってくれた。一旦下がって交代して休憩をとってくれ。被害の報告を頼む」
柄にもないことを言うもんだ、と自分で自分の台詞に鼻白みながら労うと、被害報告を受けたあとに冒険者と騎士を下がらせた。
本当は自分が休みたい、というかサボりたいんだがなあと思い浮かべながらも、ヒューマは戦場を俯瞰することを忘れない。どんな微細なことでも見逃さないように神経を尖らせて、ゴブリンの様子をうかがう。
ゴブリンどもはすぐに戦線を立ち直そうとはしなかった。というのも、彼らは殺されたゴブリンの肉体を――
「うへぇ。悪食も極まれり、だな」
単眼鏡でゴブリンどもの手元を覗くと、ヒューマは間抜けな声を出して身を震わせた。
そう、喰っているからだ。亞人といえども、精神性は人と大きく異るのか、うち捨てられた死体は"餌"とおもっているようだった。
幸い、こちらの被害は軽微。交戦時に手傷を負ったといった程度のもので済んでいるので、あの餓鬼の軍団に死体を攫われるようなことはなかった。
ようやく、日が沈みこもうとしていた。
交代して新たに加わった人員は冒険者が多い。それぞれが篝火を焚きながら、警戒にあたっていた。
グノーグの森が闇に呑まれるのははやく、濃い闇が既に落ちていた。
それでも、ヒューマは手持ちの単眼鏡を覗き見て、ゴブリンたちの様子をうかがう。
ヒューマは同族を貪り食いながら、徐々に前進してくるゴブリンらに舌打ちした。夜間の被害を警戒して一時前線を押し上げたというのに、これでは元の木阿弥だ。奴らは数に際限がないのだろうか。
そんなことを考えてゴブリンたちを見渡していると、はるか後方でゴブリンを割って出て来る巨体を捉えた。
鬼にしてはすこし小柄だが、人にとっては大きい2mは優に超える体躯。突き出た血色のよさそうな緑腹。禿げ上がった頭部に、醜悪な顔つきでこちらを見下すような涼しげな視線。手には禍々しい黒い意匠が施された短槍が握られている。
冒険者の話の通りならば、間違いない。森小鬼之王だ。
ゴブリンキングは対峙する人間達に視線を向けると、嘲笑を浮かべた。
そして。
「――!まずい、伏せろ!」
ヒューマの警戒の声。
それとほぼ同時にけたたましい音が鳴り響き、森を引き裂く。ゴブリンキングがおもむろに黒槍を横薙ぎに振るったのだ。
木々は焼け落ち、不運にも稲妻に当たった騎士と冒険者が醜く焼け爛れ、その場にうち捨てられるように崩折れた。全身から煙が立ち上がり、人が焼けた匂いがつんと鼻をつく。
この威力に騎士も冒険者もはっと息を呑んで、ちいさく震える。
「野郎!前線、ゴブリンどもに目にもの見せてやれ!俺はゴブリンキングを止める!あと、後衛に狼煙をあげるよう伝えろ!」
そう告げるや否や、ヒューマは重厚な鎧を脱ぎ捨てると、一筋の矢のように疾駆してゴブリンキングに迫る。
ゴブリンキングの魔剣に対して鎧は防具としての用は成さず、ただの重しでしかならない。超接近戦ならば、相手も黒い稲妻を出せば巻き込まれる。ならば、勝機は近接にある。そう、それぞれが見解を一致させて、ゴブリンキングには近接で挑むと今回作戦で指揮官を従事する人間は決めていた。
ゴブリンキングはぐぶ、と醜い笑みを零すと、ヒューマが来るのを待ち構えながら槍を振りかざす。
唐竹割に振られた黒槍を避けると、ゴブリンキングは己の力に身体が泳ぐ。その隙を逃さず、ヒューマは剣をゴブリンキングの首元へ叩き込む。
甲高い、擦過音。
剣はゴブリンキングの皮膚で止まり、弾かれた。手元に感じる感触は金属と打ち合った時のそれ。奇しくも、かつてのダイトとの一幕と同様に、魔力をもって硬質化しているゴブリンキングには生半可の刃は通じはしなかった。
ヒューマはそれを想定していた。すぐさま剣を引き戻すと、わずかに間合いを取るように背後に飛んだ。
「"魔剣"持ちじゃないと勝負にならないってか!」
彼はぼやくように愚痴を零すと、脇から襲い掛かってくるゴブリンを切り伏せる。
視界の隅で、狼煙が無事あげられるのを確認した。
自分がどれだけ粘れるかが、勝負の肝となる。久しくない危機的状況にヒューマはうっすらと笑みを浮かべる。
前線の陣営は先の稲妻で怖じ気づいたのか足並みは遅く、ひとり突き抜けて出たヒューマを襲い掛からんとゴブリンたちが迫っていた。
しかし。
ゴブリンキングは獲物が奪われるのが気に入らないのか、ゴブリンたちを黒槍で薙ぎ払うと、鈍重そうな身体から似つかわしくないスピードでヒューマへ踏み込んだ。
再度唐竹割りに振るわれる黒槍がヒューマに迫るが、身を捩って躱すと、ゴブリンキングの腸に剣を突き入れる。
やはり、弾かれるが、その反動を利用して僅かに間合いを取ると、再び持ち上げてめちゃくちゃに振るわれる黒槍を避けた。
武器と武器を打ち合わせる訳にはいかない。稲妻というものは伝導性があるものを媒介にして電気を通す。つまり、ヒューマの剣が媒介と成り得る可能性があった。
武器的な不利もさることながら、身体的な不利もあった。
相手はニメートルを越す上背に筋力と魔力が著しい肉体を持っているのに対し、こちらは頭一つ分小さい上に筋力も魔力も話にならない。手傷を負わせることすら困難と言えた。
何故、魔剣すら持っていないのか。それはヒューマが魔剣という安易で巨大なちからを信じ切ろうとおもえなかったからだ。だが、その思想は相手が魔剣持ちという現実には、いささか脆いものだった。
せめて魔剣の一本でもあれば、と泣き言のように考えを連ねるが、事態はヒューマを容赦なく追い詰める。
なかなか仕留められないことに業を煮やしたゴブリンキングは、掴みかからんと硬質な身体に任せてなりふり構わず迫る。魔力の貯蓄量から硬質化し、身体強化で補われたその拳や蹴りは、十二分に必殺の威力を秘めている。
フィジカルを全面に押し出して行われる掴みかかりは素早いものだが、ダイトの相手を勤めていたこともあるヒューマからしたら鈍く感じられた。
身体ごと迫ってくるゴブリンキングの掴みかかりを掻い潜りつつ、ヒューマは身を低くしてゴブリンキングの胴を横に薙いだ。しかし、これもまた硬質な感触により阻まれていることを瞬時にして悟る。
ゴブリンキングはたたらを踏みながら体勢を整えると、憤然としてヒューマに狙いを定めてまた襲いかかる。
そうだ、それでいい。
ヒューマはゴブリンキングを視野に収めながら、こころの中でつぶやく。
倒そうとは思わない。ただ時間稼ぎをすればいいと、考える。
周囲はいつの間にか、ゴブリンとの交戦で騒がしくなっていた。
自分では倒せないのなら、あの魔剣の彼に頼めばいい。
既に狼煙は高々と上がっている。時間が来れば、ダイトもいずれ来るだろう。
それまで、持たせてやる。
ヒューマは心の中で気炎を吐くと、踵を返してゴブリンキングと向き直り、ふたたび切り結ぶ。
今はただ、ダイトという禁じ手が到着するのをひたすら待つ。
*--*--*--*
「狼煙です!前線がゴブリンキングの出現を確認しました!!」
その一報は報じられた時、ガルフォードは表情を硬くし、ダイトはひとりでに頷いてすぐさま腰を浮かせた。メアリリは緊張のあまり、体が固くなっており、反応にすこし遅れた。
見回りの兵が危急を知らせたのは、狼煙が上がってすぐのことだった。
作戦本部として拠点が築かれた東区にある関所で、ダイトら一行は待機していた。
「メアリリ、準備は出来てるかい?」
ダイトは鞘から剣を抜き差しして調子を確かめると、メアリリに尋ねた。
「ん……へいき。って言いたいけど、ちょっと、いや、だいぶ緊張してる」
メアリリは顔を青くしながら逡巡して、そう言葉をつむいだ。
肩に力が入り、ガチガチになっている。立ち上がってみると、その背中は丸く折れており、覇気がない。胸に掻き抱いている五光神杖を持つ手はわずかに震えている。
もちろん、新兵同然だからこの反応が正しいとはおもうが、共同で『魔王』を倒しに行くのにはその様子は心許ない。
ダイトはふっと僅かに微笑んでみせて、メアリリの肩を叩く。
「大丈夫。メアリリには後ろから光術を撃ってもらうだけでいい。最前線で、ゴブリンたちと戦う必要はないんだ」
「わかってる。ダイトくんや騎士団の人たちの実力を疑う訳じゃないって。でも、ごめんなさい、ちょっとだけ怖いの」
花も綻ぶメアリリの笑顔は今、随分と陰りを見せていた。
ダイトは一息吐くと、メアリリの胸に掻き抱いているブリューナクを軽く叩く。
「リューナさん、ごめん、すこしだけ"喰える"かな?」
『仕方ありませんね』
リューナは溜め息を吐くのと同時に、僅かに身体を光らせた。
すると、メアリリの震えが収まり、表情も心なしか色が差し始めた。
「え、あれ……?」
突然の心境の変化に戸惑うメアリリ。
先まで恐怖と焦慮で燻っていたこころが、凪のように落ち着いていた。
硬く握られていたブリューナクと、ダイトを交互に見やって、メアリリは困惑を深める。
ダイトは胡散臭い笑みを浮かべて、
「おマジナイ」
と、だけ告げた。
けれども、実際は違う。
ブリューナクに頼んで、恐怖の感情をすこしだけ喰ってもらったのだ。
魔剣は人の感情や恩讐、こころの衝動を糧にして動く。そう言った負の感情を好物とするのは七罪を是とする魔剣の特徴だが、六徳を司る彼女が食えない訳でもない。
『仁』を司るブリューナクにとって「恐怖」なんて口に合わないものだが、彼女たちのちから無しに『魔王』討伐は困難な為、無理を言って恐怖を抑制してもらったのだ。
ただ、このときに、ふと疑問に思った。
『魔王』となる魔剣の恩讐の供給先はなんだろう、と。
亞人達は、総じて意思のちからが弱い。稀にダイトを扱っていた亞人のように巨大な意志力を持つもの――亞人の『英雄』――もいるが、よっぽどではない限り目にかかることはない。
加えて、魔剣の出所だ。人里近くにぽん、と現れたとは到底想像し難い。
ふとした拍子におもいたって、どこか奇縁があるようにおもえてダイトは一瞬表情を歪めるが、メアリリのぽかんとした顔を見てなにをしているのか思い出して、慌てて思考を振り払う。
「とりあえず、怖気はすこし止んだでしょ?」
ダイトはにっこりと微笑んで、メアリリの髪を撫でた。
どこか誤魔化されてるような気持ちで釈然としないメアリリは眉間に縦シワを刻むが、ダイトが積極的に絡んでくれることにすこしだけ気持ちが浮ついて、すぐに忘れてしまった。
「……女たらし、卑劣漢」
一方で、横からその様を見ていたストロロは、ダイトの一連の所作に唇を尖らせていた。
ダイトの手口は軽薄な女好きの男が好みそうなものだった為に、ここ一ヶ月でその手の類を経験してきたストロロには嫌悪を覚えた。
実際にダイトの女性に対する手慣れた部分は、裏でどれだけの女性を泣かせてきたことだろうか。
よし、とダイトは鬨の声を挙げると、メアリリとストロロは先程までの気持ちを払底して、その場に見合った剣呑な表情をつくった。
「では、ガルフォードさん、行ってきます」
「うむ、頼んだ。吉報を待っておるぞ」
ダイトはガルフォードに一礼すると、ふたりを連れたって関所を出た。
『魔王』討伐のはじまりである。