29 隠しきれない嫌悪
また、磨き抜かれた調度品が均ぶ応接間。ダイトはそっと差し出した岩融が、つよく握り返されるのを確認すると、その手を離した。
「ダイト殿?」
ガルフォードは顎髭を撫でて、なにかしらしでかしたダイトに視線をはしらせる。
時間はそれほど経過していない。目を灼くような、紫紺の光が岩融から放たれて、わずか数秒程。
ほんの、またたく時間程度しか、そとでは経過していない。
「すみません、いちいち停止してたら長いと思いまして」
悪びれもせずに、ダイトはそう返す。
あたまの機能を停止したミャミャルの気付けにと、岩融の声を直接聞かせる為、ダイトは岩融をミャミャルに握らせただけに過ぎない。
「それにしても、もうすこし、こう前触れというか。なにかしら言ってくれてもよかったんじゃないかな」
「まあ、すぐ済む程の事ですし、本来ならこんな派手な現象なんて起きませんから。イワさんが無駄に張り切っただけだとおもうので、あまり気にしないでください」
「そういうがな」
尚もガルフォードは言い募ろうとしたが、それはつづかない。
わずかな時とはいえ、微動だにしなかったミャミャルが身動いだ。軍人として鍛えられた嗅覚を持つガルフォードは、それを見逃すことなく、はっと息を呑んだ。
「お初に御目に掛かるねえ。あんたが、この辺を仕切ってるお貴族様かい?」
声は、ミャミャルのものだが、声の調子は老婆のような、間延びしたものだ。
――岩融である。
岩融を持ち替えて、鞘付きのまま地面に突き刺すような格好で剣を下ろすと、ねちゃっという擬音が聞こえてきそうな、粘着質な笑みを浮かべて、ガルフォードを見た。
「ああ、そうですな。して、あなたは岩融という魔剣かな?」
「御耳汚しになるかとお思いですが、とでも言えばいいのかねえ。宮廷暮らしなんざ数える程しかしてないから、わすれちまったよ。気を悪くしたら御免よ」
慇懃無礼なのは最初だけで、あとは岩融らしい、不遜ともおもえるような態度で、ガルフォードを睨みつけた。
――わみ"ゃ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"っ"!!
一方で、本体はというと、自分の顔をつかって無礼を働く岩融の様子に、悲鳴をあげていた。ちなみに、ダイトにはそのこころの声は聞こえていない。だが、ミャミャルがIN岩融を見て、恐れ多いと悲鳴を上げているのはたやすく想像できた。
「構わないよ。儂も宮廷暮らしなんざ反吐が出る」
「奇遇だね、あたしもだよ」
そう言って心にもない同意に鼻を鳴らすと、岩融は不敵に笑う。
「しかし、あたしの使い手も安く見られたもんだね。たった七千ぽっち。そこのダイトの坊やが、お古の剣にしか見えないあたしを買ったのが五千八百。あたしゃ今の物価を知らないけど、足元見られてるんじゃないのかい?」
「ふむ。そうかな?貴殿のいないそこな少女――ミャミャル殿、と申したか。にとっては、相当な額に驚き戸惑っているようにも見えたが?」
「あまりの安さに、驚いてたんだよ。なんだい、ダイト。あんたはこのじじいに魔剣の実力を見せて居なかったのかい?」
「いや?と言っても、ぼくは岩融さん達のように汎用性のある聖遺物じゃあないし」
「そういえば、そうだね。自己強化しか能がなかったね、ダイトの坊やは」
かつ、かつ、と岩融で地を叩くミャミャル。それはあやしげな老婆が、地面に胡散臭い魔法陣を描く為に地面を杖で突く様にも見える。
「いい石を使っているねえ。大地の精をしっかり含んだ、良い石だ」
「うん……?ああ、そうだな。儂の代で十年掛けて、この城はつくられた。多くの人足や金銭が掛かった、とても大掛かりのものだったよ。材料も選び抜いて、いざという時人民も避難出来るような強固な城にしたつもりだ」
岩融の突然の口上の変化に、ガルフォードは訝しげに応じる。ここ、グレイハウンド城の威容は誇るべきものだが、今この場でそれがなんの意味があるのか。いや、或いは岩融はなにかを仕出かす為に、話題を振っているのか。わずかな空気の変化に、ガルフォードは緊張で身を固くする。
良い反応だ、としめしめと言った様子で、岩融は内心でほくそ笑むと、じろりとガルフォードを睨み、こう言った。
「そうかいそうかい。そうだねえ、魔剣っていうのは、こういうことも出来るんだよ」
かつん、と一際つよく、岩融で地面を叩くと、途端に目の前にあった磨き抜かれたいくらか解らない鼈甲の応接机が吹き飛んだ。見ると、岩融で叩いたところから、岩でできた杭のようなものが複数伸びて、ガルフォードの喉元にぴたりと突き付けられている。
ガルフォードは、動かない。動けない。突如、突き付けられた石杭に、ただ身を固くするだけだ。視線でダイトに疑問を投げかけるが、ダイトもどうして岩融がこのような真似をするのかわからず、ただ首を振るだけであった。
そんな面々に構わず、気難しげな老婆のような岩融は、つづける。
「あたしゃ動くのが嫌でね。地の精に頼んで、こうやって目に見える相手なら串刺しにする事だって出来るのさ。ダイトの坊やみたいに、ひとりで何でもかんでもやるよりかは融通が効くだろう?」
調子を確かめるように、岩融は肩をすくめた。
もう一度、かつんと地を叩くと、杭が融けるように朽ちると、ガルフォードの周囲が盛り上がって、彼を覆うようにして石壁が迫り上がる。石を、岩を、粘土細工のように扱う。それが、岩融の権能のひとつだ。
ガルフォードは、あまりにも速い、魔法のような岩融の権能の数々に、身動きする事も出来ずに、ただ言葉を失っていた。
「ま、それでもブリューナクの嬢ちゃんには負けるがね。それでも、魔剣としては一級品だと自負してるつもりさね。それを、木っ端で扱おうなんざ、程度が知れるよ、じじい」
また、かつんと地を叩いて、すべてを元に戻すと、へっへっへ、と岩融は笑った。
それにね、と岩融はガルフォードの目――その深奥を、覗き見るように、じっくりと見ながらつぶやいた。臭う。彼女の嗅覚が、審美眼が、確実にガルフォードのそれを見定めていた。
「あんた、魔剣に忌避感を持ってるじゃろ。一線を譲らないもんを持ってるのが、透けて見える。瞳の奥で魔剣らを恐れていると言っていい。なにがあったかまでは知らんが、そんな見え透いたもの抱えて魔剣を使おうなんざ、いずれ魔剣に喰われちまうよ」
ひっひ、と引き笑いをして、岩融は岩融を胸元に引き寄せると、柄に顎を乗せた。
「……善処しよう」
ガルフォードは強張った顔を揉んでほぐすと、岩融の言葉に頷いた。
睫毛を下げて、ミャミャルの時のあどけなさが嘘だと思えるような、そんな艶やかな笑みを見せながら、岩融は囁くようにして言の葉を載せる。
「まあ、でも、すべてはミャミャルが決める事さ。だがねえ、あまりにも調子くれてるんなら、岩融を出させてもらうよ。この子は大事なあたしの使い手だからねえ」
そう言うと、瞼を完全に下ろして、数秒。
刺すような雰囲気が霧散して、柔らかささえ感じられるような、そんなミャミャルが戻ってきた。
「み"ゃ"っ"!」
もとに戻ったミャミャルが悲鳴のような声をあげて、即座に岩融を放り出す。そして、椅子を蹴飛ばして、その場で蹲るように頭を下げ続ける。その時に、『なんて事するんだい!』と岩融が苦情のひとつを漏らしたが、お前が言うなと内心で切って捨てる。
「ごめんなさいごめんなさい!ガルフォード様になんて失礼を!」
いっそ哀れにも見えるような平謝りっぷりである。ごめんなさい、すいません、失礼しました、申し訳ありません、謝罪の語彙が尽きる頃には、岩融への怒りも湧き上がったのか、岩融への悪罵の言葉を募らせていたが、やっと切り替えが出来たガルフォードがぎこちない笑みを浮かべて立ち上がる。ミャミャルは自分の首が飛ぶ様を幻視したが、恐怖のあまり、頭を下げたまま固まっていた。しかし、そんなことはなく、ガルフォードは優しくミャミャルの肩を叩いてあげると、立ちなさいと囁いた。
「うむ。儂もまた、未熟であったということじゃ。なに、ミャミャル殿の待遇、よく考えてからおって決めよう。雇われてはくれないか?」
微笑みを湛えながら、ミャミャルにそう提案する。ミャミャルはそんなガルフォードに後光を見て、はい、お願いしますですにゃ!と懇願するように頭を下げた。
ダイトは、沈黙を保ったままであった。
ガルフォードが魔剣を蔑視している。岩融が漏らしたそれは、ダイト達を護る為のものでもあった。ダイトも純真無垢ではあるものの、それでも勘はいいほうだ。ガルフォードがダイトに接する際、どこか演技くさいことを、思い至ってはいた。だが、それを言葉に表すつもりはなかった。
だが、今こうして言葉にされてしまった以上、無視は出来ない。
「ガルフォードさん……」
ダイトは言葉を紡ぐ。
「……今は。何も聞かないで戴きたい」
対する、ガルフォードは悲痛を堪えるような、そんな顔で沈黙を願った。
ダイトも、その願いに同意して、ただひとり泣き喚くように叫ぶミャミャルの肩をそっと叩いた。