27 過分な評価
一番緊張したのは、いつだったろうか。
すこし前?確かにそうだ。盗賊に捕まってこれから売られるのかと、震えて、怯えて。それでも根っからの負けず嫌いが顔を出して、なんとか脱出しようと試行錯誤重ねたが叶わず。途中、自分よりちいさな子が泣いているのを庇う為に、わざと自分で盗賊らの気を引いて、ぶたれたり、いやらしい目つきでこっちを見られたり、触られたりもしたけども。あれ、今思い出すと一発や二発、殴っても良かったかも。――閑話休題、一番緊張したのは、そう、その後に来た、鉄錆の臭いが人の形になったのではないかと疑うほど、血の臭いを身に纏った少年が現れた時が、一生で一番緊張したと、ミャミャルはおもう。今日一日で、一生分の出来事が襲い掛かって来たのではないかと思う程緊張した。そう、おもってた。
座った応接間の椅子はふかふかで、これで眠ったら心地いいんじゃないかと思う。というか、このまま眠りたい。極度の緊張のあまり、そんな叶わない欲求をミャミャルは頭に思い浮かべて、とある人を待つ。
『へっへっへ、緊張なんてその顔に似合わんじゃろうて』
――岩融さん、うるさい。
ミャミャルは心のなかで、傍らに立て掛けられた魔剣に謗る。
『せっかく緊張をほぐしてやろうと思ったのに、可愛くないねえ』
――うそつき!絶対愉しんでるでしょ!
『ああ、そうだよ、愉しんでるさ。あんたが小便ちびっちまうような顔してるのが笑えて仕方ないよ』
――この駄剣!
顔があるのなら、それは意地悪の老婆の顔で、より皺を濃くさせるような、にんまりとした笑みをしているだろうな、と思う程、岩融は間延びしたしゃがれ声を喜色で響かせる。実際、小便ちびりそうな――いや、突かれたら爆発する、風船のような雰囲気を、ミャミャルは醸し出していた。
というのも、ここはグレイハウンド城。最賓客を出迎える為の、磨き抜かれた超高級な調度品が取り揃えられた応接間の一室。そこで、ミャミャルはとある人――ガルフォード=グレイハウンド辺境伯を待ち受ける事となった。あれひとつで、ミャミャルがいくら買えるんだろう、と益体もない事を考えるが、そんな暇を岩融は与えない。与えさせてくれない。くだらない事でミャミャルを詰り、性悪な老婆のような笑い声を挙げてこっちの気を削いでくる。
「イワさん、あんまりミャミャルを苛めちゃ駄目だよ」
ミャミャルの傍らで座るダイトが、口を尖らせて、岩融を軽く小突いた。
相変わらず、咽るような血の臭いがすごいが、ミャミャルは一連のダイトの行動に善性をみとめて、出来るだけ怖がるような真似はしないように努めている。そう、ダイトは善良であった。さり気ない気遣いや、紳士的な一面が見られる程度に、ダイト当人は善良な精神を有していた。すくなくとも、そこで『こんな事で漏らしそうになる方が悪いのさ』と悪罵を吐いている駄剣よりは、よっぽどか善良だ。
あるいは、それは岩融なりの血の匂いを纏う、ダイトへの忌避感を低減する為の心遣いなのかも知れない。
『それで、大も出るかい?』
「イワさん、ちょっと、デリカシーが無さ過ぎるよ?」
いや、絶対にない。ミャミャルはつよく、つよくそう思った。
しかし、岩融の数々の悪罵のおかげで、ミャミャルの肩の力は抜けていた。緊張はしているが、程よい緊張という位で落ち着いている。これから会う大人物、ガルフォード卿と対面するには、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
さて、何故ガルフォードと会うことになったのか。それは、偏にダイトの主導であった。
幌馬車から出たあと、ダイトとメアリリにストロロ、そして褐色の肌の女性――ライムという――に連れられ、ここ、グレイハウンド城に招かれた。当初は、「ああ、何かしらの事情聴取かな」とミャミャルは感慨に耽っていたが、横で話を聞いていると、ガルフォードと面会する、という理解が追いつかない文言が飛び出てきて、ミャミャルは目を白黒とさせた。そして、そのままダイトがミャミャルの手を引き――その際に、メアリリというエルフの少女が目を光らせていた――多くの扉を通って、騎士らに敬礼なんかもされたりしながら、この応接間に辿り着き、彼のガルフォード卿を待つ事となったのだ。
今更だが、ダイト達は実は偉い人なのではないか、という疑念がミャミャルの頭に浮かぶが、最早聞くに
聞けない空気なので、押し黙る他なかった。
そうしているうちに、ひとつしかない応接間の扉がひらかれて、ピンとした背筋の禿頭の老人――ガルフォードが入ってくる。
「やあ、待ったかの?」
「いえ、お忙しい中、申し訳ありません、ガルフォードさん」
さん、づけ!
ミャミャルは怯えた。それはもう、大変、ひどく、怯えた。トンカチで頭をぶん殴られたような、つよい衝撃を受けた。
彼の禿頭の老人――ガルフォードに対して、ダイトは親しげに話を交わしていた。それは、ミャミャルにとって感覚すら揺さぶるな出来事だ。彼のガルフォード卿といえば、かつて悪政を敷いたフロースガルの中で唯一、聖人君子のような政を執り行い、貧しきものを抱えこみながらそれでも領地を富ませ、四国の交通の要衝でしかなかったテーレスを交易都市へと大きく発展させた、比肩するものがいないほどの傑物だ。そして、悪者には容赦ない裁きを下す、非情な一面も持っている。だが、その傑物に対して、この気安い態度はなんだ。
ダイトは、人族の子どもだと思っていたが、実はハーフリングで、しかも、やっぱり、お貴族様なんじゃないか、という猜疑心がつよくなる。ミャミャルは、まだ歳若い。ハーフリングと人族の子どもの違いは、耳でわかるようなものだが、その知識はなかった。ゆえに、ミャミャルの中では、ダイトはグレイハウンドを担う超超デキる若手のハーフリングの貴族として祭り上げられていた。
「それで、彼女が?」
「ええ、魔剣の『資格者』です」
「ふむ、なるほど。見たところ平民に見えるが」
「そうです。彼女は平民で、農村から出てきたばかりの少女だそうです」
「と言うと、魔剣使いに、魔法のような血統の優劣は無いのだろうか」
「いえ、そこまでは。ただ、ぼくらが記憶している限りは、空白の歴史の人々は、魔剣の声が聞けるものがとても多かったので、なんとも言えません」
「ふぅむ」
ミャミャルそっちのけで、ダイトとガルフォードの話は弾む。未だ衝撃に頭を混迷させているミャミャルは、その衝撃からなのか、頭のなかでダイトの貴族としてのサクセス・ストーリーを思い描きはじめてた。
それは、颯爽と現れる白馬の騎士。短躯からは想像出来ない膂力で、長柄物を振り回して、数ある敵を打ち倒す、ハーフリングの騎士。かつて貴族の大粛清を行った現王、首刈りのアレクサンダー王の忠実なる下僕であり、共に戦場を駆け回った生ける英雄のひとり。アレクサンダーの厚い信頼を寄せる配下であり、そして、実はエルフの美少女を取り合う、さんっかくっ!かんっけい!なんてなんて!
「さて、ミャミャル殿と言ったか」
「へ、は、ははははい!」
空想に溺れていたミャミャルに、唐突にガルフォードから声が掛かる。おのれの妄想をかき消さんと、目を何度か瞬かせて、ガルフォードの人の良さそうな笑みで、彼女はじっと見る。ダイトはその人の良さそうな顔の裏にある、性悪な悪魔を見た気がするが、自分と目的が合致している為、敢えて何も言わない。立て掛けられた岩融が『……あたしゃ、こいつとは仲良く出来そうにないよ』と同族嫌悪に顔を顰めていたが、ミャミャルの耳には届いていないようだ。
「おぬし、儂に雇われんか?」
岩融を性悪ババアなら、この人は聖人のような笑みをするんだなあ、と呆けたような考えを浮かべながら、ガルフォードの言ったことを、ゆっくりと咀嚼。ようやく、理解が追いついたところに、彼女は驚愕の声を上げる。
「ええ!?」
「いや、なに。おぬしは優秀な魔剣使いの卵じゃ。未来有望な若者を雇用し、その活躍を助成するのは、貴族としては当然じゃて。なに、無茶なことを言うつもりはないよ。それに、給金だったはずもう。月に七千は出す。どうじゃ?」
七千とは、金貨七枚。グレイハウンドの物価は高いが、それでも、半年は何も考えず暮らしていけるだけの金銭だ。それを、たった一月の給与として、まだなんの技能も持たないミャミャルに賭けるのは、さすがガルフォード、金で買える縁と思えば容赦なく注ぎ込む事ができる胆力を持っている。
一方のミャミャルはというと、七千、という単語に目がこれでもかというほど大きく見開き、顎はカクンと落ちて、ガクガク震えている。肥大していく自分自身の評価に、頭が周回遅れになっている。
やれやれ、と岩融はひとつ嘆息して、ダイトに自分をミャミャルに渡すように指示。ダイトはそれに応じると、未だにこの世に戻ってきていないミャミャルの手に、そっと岩融を握らせた。
ダイト「品がある分、まだガルフォードさんの方がまし」
ブリューナク「まだ彼は紳士的で思いやりがある」
岩融「腹に一物持っているような輩で儂は好かん」