25 人質解放
一先ず、ダイトは人質となっていた店主の妻子を拘束する縄を切った。すると妻子は、お互いに抱き合い、無事をわかちあって、ダイトへしきりにお礼を告げる。
ダイトはそれに軽く応じたあとに、虎猫族の少女に視線をうつす。
虎猫族は、びくんとひとつおおきく震えて、背を幌馬車の柱に擦りつけた。
「助けに来た、つもりなんだけど」
ダイトは困惑して、頬を掻いた。
それに、今まで黙っていた背中のベルトに挿した岩融が、しゃがれた声でダイトに口を尖らせた。
『ダイトや。おそらくこの娘は、おんしの身体に染み付いた、血の匂いに反応してるんじゃないのかえ?言うたじゃろ、その肉体は血の匂いが強すぎると。まだおんしが魔を調伏した血よりもずっと、人の血がこびり着いておるから、それに怯えたんじゃろ』
そこまで自分は臭うのかと、岩融の発言にダイトは顔を顰めて、自分の身を嗅ぎ始めた。
虎猫族の少女は、何故かしきりに首を縦に振って、怯えきった金眼でダイトを見つめる。
ほう、と岩融はひとつ感嘆を上げて、虎猫族の少女に関心を向ける。
虎猫族の少女は、聞こえてくる声にいまさら首を傾げたあとに、岩融の感嘆にまたびくりと身体を震わせた。
『やれやれ。どうやらこの小娘、資格者のようじゃな。しかも、はっきり聞こえているようにみえる。魔剣の使い手としては申し分のない才能をもっているようじゃが……ちょいと、気がちいさすぎやせんかの』
岩融の、こころに響いてくる声にきょろきょろびくびくと反応する虎猫族の少女。うっすら涙すら浮かべて、震えている。
ダイトは、そんな虎猫族の少女を見て哀れみと得心がいって、岩融を小突いた。
「イワさん、急にどこからともなく声が聞こえてきたら、人は怯えるに決まってるだろう。それに、どうやらぼくも怖いみたいだし……混乱していても、おかしくないよ」
『はて、そうじゃろうかのう』
「そういうものだよ」
言って、ダイトはおびえる虎猫族の少女の猿轡と縄を、有無を言わさぬ剣閃で一瞬のうちに斬り飛ばしてやり、解放する。ダイトとしても、このような性急な手法は取りたくなかったが、ぐずぐずしていると、この少女は緊張で身動ぎして、刃を当てて怪我をしてしまうと判断しての事だ。
「みゃあ……み"ゃ"ァ"ァ"っ!」
少女の一声は、名状しがたいものであった。だが、それ以上に怯える事はなく、幌馬車の柱に齧りつくようにしてへたりこんで、動かなくなった。
ダイトはその様子に肩を落として息をつくと、出来るだけ優しい声で少女に声を掛ける。
「まず、こんな乱暴な縄の解き方をして申し訳ないと謝っておくよ。大丈夫かい?」
ダイトは剣を鞘に収めると、少女に目線を合わせる為に片膝をついた。
少女は、未だ怯えが取れないが、それでもこの少年が危害を加えないと理解してか、すこしだけ震えを収める。
「だ……だいじょうぶ、ですみゃ、じゃなくて、です。怪我とか、そんなもの一切……してません!だいじょうぶです!ミャミャルは元気です!」
最初は勢いがなかったが、徐々に目が座りはじめ、きびきびとした姿勢で少女――ミャミャルは、悲鳴をあげるように叫んだ。
ミャミャルは直立不動に立ち上がり、敬礼の姿勢で、視線をうえへ放り投げる。
ダイトは自分よりわずかに上背になるミャミャルに、苦笑を浮かべて立ち上がると、彼女を見据えて、またやさしく語りかける。
「それなら良かった。頬が腫れているようだね、治そう。"光快癒"」
ダイトは手を翳すと、緑色の淡い光が漏れて、少女の両頬を優しく撫でる。
腫れがひいて、彼女本来のものだろう、血色の良い肌色に戻ると、ミャミャルは目をまるくさせた。
「やっぱり!魔法が使えるってことは貴族様か神官様ですね!?しかも、治癒魔法なんて!すみません!すみません!わたし、よくわからなくて!申し訳なくて!あの!えと!」
「おちついて。ぼくは魔法は使えるけども、貴族でも神官でもないよ。しがない旅の者さ」
『この時代の貴族やらがどういう存在か、よぉくわかるねえ』
「ああ、まあ、この国は貴族の横暴で頭がすげ変わった位だし、その認識で間違いないと思うよ」
ダイトは肩を竦めると、フルンティグ≒アレクサンダーとガルフォードから聞かされた、フロースガルの革命のことを思い浮かべる。
フロースガルは一部――いや、大半の貴族の横暴によって、腐敗してきた。その活動の一環として、市井のものを無理やり囚えて、てごめにしてしまう、というケースもあったらしい。
この虎猫族の少女の行動は、それを懸念してのことだろう。
実際、この少女は美少女と言っても差支えない。
殴られた頬の腫れがひき、その美貌が顕になった。かぼそい顎をしていて、シャープな顔つきはどこか、猫科の雰囲気を漂わせている。まんまると大きな金眼は、まるで黄玉のようなきらめきを宿していて、幌馬車という薄暗い中で爛々と輝いている。鼻はつん、と天を突くように高く伸び、きれいというよりも可愛らしいといった印象を抱かせる。ショートボブの茶髪で、頭頂の耳は緊張の為にぴん、と張り詰めていた。みずぼらしい貫頭衣の下には、おさないながらも、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるメリハリのついた肉感的な身体つきをしており、好色家の類なら垂涎ものであろう。その容姿は、森人族の神秘的なうつくしさとはまたちがった、野性味のある色気に満ちていた。この年頃の娘ならば、男の視線というものを理解していてもおかしくはない。
「それにしても、この声は?」
まんまるとおおきな金瞳をあちこち動かして、ミャミャルは問うた。
こころに響く声――岩融の声に、不思議そうに、そしてどこか怯えた様子で、彼女はまたひとつ震えた。
『なに、この小僧の背からじゃよ』
「背?」
『ほれ、こっちじゃ、こっち』
「うん……?」
茶トラのしっぽを揺らして、ダイトの背後にまわる。ダイトは苦笑しながら、そのようすを眺めた。
恐怖よりも多少、好奇心が勝ったのだろう。きょとんとした様子で、ダイトの背後でミャミャルは右往左往している。それはまるで、匂いのもとを探る犬や猫のようで、ダイトにはおもしろかった。
店主の妻子は、それを不思議なものを見るような目でみていた。
「どこ、なの?」
『ほっほっほ。見えてるよ、ここじゃよ』
カチカチ、と。わずかに刀身を覗かせるように、鍔鳴りをさせる岩融。
それを見て、ミャミャルはぎょっとして、尻もちをついた。
店主の妻子もそのカチカチという音を聞いて、お互い抱き合ってふるえあがる。
「けけけけけ、剣が、う、う、うごいた!」
『剣だってうごくさ。あたしゃ、魔剣だからね』
ぞっとするような、おどろおどろしい声で岩融は囁いて、ミャミャルを脅かした。
さすがにこれはやりすぎだ、と思ったのか、ダイトは苦笑しながら、岩融をまたひとつ小突く。
「イワさん、脅かしすぎだ、冗談が過ぎてる」
『ひっひっひ、悪いね。こういう、ありきたりの反応をするやつらにも餓えてたからね。年寄りのちょっとした悪戯と思って許しておくれや、ダイトの坊や』
「……いちおう、ぼくの方が歳上だとおもうんだけど」
『いつまでたっても尻が青いままだから、こんな木っ端魔剣に馬鹿にされるんじゃよ』
ムッとしたダイトを、岩融は鼻で笑った。
ダイトも、岩融のその対応にやれやれ、と肩を落とすだけで、特別言い咎めることはなかった。