24 鎧袖一触
妙齢の女性は、のっぺりとした顔に恐怖を貼り付けていて、これから起こるであろう、伴侶の凄惨なる現場を想像したのか、それとも、おのれのこれからの運命を呪ってか、その身を震わせていた。
子どものうちの片方は、妙齢の女性とおなじような顔に幼さを足したような顔をしていた。身体つきを見る限りは、まだ十歳にも満たない程。少女の眦は泣いたような痕が見受けられる。おそらく、極度の緊張状態が続いて泣き疲れてしまったのだろう、猿轡を噛まされながらも器用に眠っていた。
そしてもうひとり。その少女は、年の頃はダイトと似たような12,3といったところか。殴られたのか、頬は腫れていて、それでも負けん気がつよいのか、意地を張った表情をしている。茶髪をショートボブでまとめており、そしてその頭の頭頂部に、同じ色の三角の耳が、ぴくぴくと忙しなく動いている。
――"獣人族"。大別すると、狼犬種と虎猫種の二種類がいるうちの虎猫種である少女が、そこに居た。
虎猫族の少女は、すんすんと鼻を動かしながら、まんまるとした金眼で辺りを探るように首を巡らせる。
ダイトはまずい、と思った。
さきにも言ったとおり、ダイトの"不可視なる存在"は、あくまで姿を消すだけのものだ。音や、匂いといったものは消せるわけではない。獣人族は、獣の特徴を色濃く継いでおり、音や匂いに敏感だ。ダイトの姿が見えなくても、その存在を感知することは容易い。
少女の金眼が、透明なはずのダイトの所に止まる。鼻は尚も動き、ダイトの匂いを捉えたように見えた。
そして――
「むぐ!?んぐぐ!!」
なにを感じ取ったのか、大きく身動ぎながら、猿轡を噛んでいる中、騒ぎ始める。
これには、妙齢の女性も大層驚き、虎猫族の少女を見やった。
「なんだ?どうした?」
盗賊のひとりが、声を上げる。
「どうせ、またあの子猫が気が付いて、喚き始めたんだろ」
もうひとりの男は、はっと笑いを上げた。
「おう。確かに、奴隷が入ってる幌馬車の方がガタガタ言ってやがる。うるせえな。ちょっと、誰か黙らせてきやがれ」
「仕方ねえな」
「あまり、頬ばかり打つなよ。商品価値が下がる。身体にしておけよ」
取ってつけたように、商人が小言を言うと、盗賊のひとりが、こちらの幌馬車へ向かってくる。
――仕方ない。でも、人質を抑えられただけで上出来か。
ダイトは即座に思考を切り替え、人質たちから視線を切ると、剣を鞘ごと外して、振りかぶる。
「なんだなんだあ、今度はなんだ子猫ちゃ……ガッ!」
盗賊のひとりは、怯え、震えて逃げ惑う虎猫族の少女に鼻白んだが、軽口は最後まで続かない。
ダイトの不可視からのいちげきが入り、即座に幌馬車の床を舐める。このいちげきで、ダイトの不可視なる存在は解除されて、まるで景色から急に浮き出たようにダイトの身体が現れる。
それに、虎猫族の少女と、妙齢の女性は驚愕して呻き、男の倒れた衝撃で、泣き疲れていた少女も目を覚ました。
「大丈夫。助けに来たよ」
ダイトは頬紅で染まっている蒼い表情を緩ませて、できるだけ柔和に笑う。動きやすさを重視する為に、ローブをメアリリに預けてきている為、彼は今、素顔を晒していた。
人質達はそれぞれ目を白黒させるが、助けに来たという一言で多少の落ち着きを取り戻した――虎猫族の少女以外は。
尚も、虎猫族の少女は怯え、ダイトから離れようと、縛られた身体を芋虫のように這いずって逃げる。
ダイトはそれに首を傾げるが、それを理解してやる為の時間はない。
「なんだ!」
「何が起きた!?」
異常を感じた盗賊らは、それぞれ武器を握って、幌馬車へと駆けつけてくる。
ところが――
ヒュゴッ!
極光とも呼べる白い光が、盗賊達の足元で爆ぜる。それはちいさな爆発を伴い、盗賊らは怯えてその場に留まる。馬も、突然の衝撃に嘶くが、幌馬車に馬具がしっかりと固定されている為、今すぐに動き出すという気配はない。
そのちいさな爆発をダイトは聞き取ると、即座に幌馬車から飛び出た。
それは旋風だった。
ダイトはひとつの旋風となって、盗賊共に襲い掛かる。盗賊らの間を縫って、白い旋風が吹き荒れる。
爆発によって浮足立った盗賊の頭を、腹を、顎を、鞘付きの剣で打って、昏倒させていく。その剣戟にはかつて、騎士と相対した時のような情け容赦はなく、男らを強かに打ち付け、跳ね飛ばす。
またたく間のうちに、すべての男達を打ちのめすと、ダイトは剣を降ろして、拳を上げた。
「ありがとう、メアリリ」
「ダイトくん、さすが!」
メアリリは林の影から、浮き出るように現れると、ダイトに応じてブリューナクを掲げた。
――"不可視なる存在"。
ダイトのそれは、他者にも掛けることが出来る。
それでも、メアリリは戦士としても狩人としても訓練を積んでいなかったので、気取られる心配があった。それに、ダイトが自分自身に掛けるのとは訳がちがって、効果時間がまちまちで、おまけに行動の制約も厳しい。ゆえに、林の影に潜みながら静かにすすみ、男達の様子が伺えるところまで来てから、ブリューナクの権能――光術で、敵を陽動する役を担ったのだった。
本来なら、ダイトひとりでも片付く話ではあったが、メアリリは積極的に役を買って出たのと、やはり複数であたったほうが、何らかの障害が起きた時にも対処出来る事から、彼女の参加をダイトは認めた。それにストロロは口を尖らせたのは些末事か。
実際に、人質が複数居た事からのアクシデントが遭った為、今回の作戦は功を奏した形となった。
あのままなら、もしかしたら、ひとりだけ冷静な人間が居て、人質に累が及んだ可能性もあった。
ダイトは、おのれのちからを過信しない。常に最悪を想像して、行動する。それが、空白の歴史を生き延びる事ができた、ひとつの訓戒であるから。
さて、ダイトは蹴散らした男らの手を簡単に縛り上げて、安全を確実なものにして、メアリリを幌馬車の方へ寄せると、周囲の警戒を頼んだ。いくら街に近いとはいえ、魔物や、野盗に襲われる危険性もある。それに、盗賊がこれで全部とは思えなかったので、臨戦態勢だけは解かないようダイトは言い含め、そうして、人質が居る幌馬車へ乗り込む。
未だに虎猫族の少女は怯えていて、幌馬車の隅でガクガクと震えている。店主の家族と思われるふたりはきょとんとした目つきで、入ってきたダイトを見つめる。
「大丈夫。外の野盗は倒したよ」
そう言って、ダイトはその場にいる人達を安心させるように、にこりと微笑んだ。