21 甘酸っぱい関係
場所を変えて。
食べ物通りのような所で簡単に摂れる食事を買って、自由市よりすこし外れた、水瓶を抱えた婦人の彫刻の噴水に腰を落ち着け、ダイト達はそれぞれ軽食を頬張っていた。
ダイトはローブを被り直し、脇にイワを抱きかかえている。
ストロロだけは真っ先に食事を摂り終えて、周囲の警戒にあたっている。――警戒というのだろうか、ただの挙動不審のようにも見えるが。
イワ――銘を、『怠惰』の岩融に、これまでの経緯を話して、協力を仰ぐ。
『そうだねえ、そりゃあ、大変だね……。まさか、ここずっと出てない魔王が急に出てくるなんてねえ……』
『そうですね、岩融。事実ならば、我々はもう一度そのちからを結集しなければなりません』
「うん、トゥアハも壊されちゃったし……ぼくら、頑健な魔剣種が壊されるなんて、よっぽど長い時間を掛けるか、とても強いちからを持ったものでないと無理だと思う」
トゥアハとは、ダイトが駆けつけた時に壊された魔剣――魔楽器の一種で、音楽を載せて味方の気分を高揚させて、普段では出せないようなちからを出せるようにしたり、逆に相手に特定の音を聞かせて足止めさせたりとすることが出来る、援護を得意とした魔剣であった。
だが、援護が得意なだけで、自身は他者を排斥するちからに劣る為に、グノーグでその命を散らす事となった。
ダイトから、概ねの話を聞いていたメアリリは、そういえば、と思い出したように言う。
「でも、ダイトくんが駆けつけた時って、まだトゥアハさんは壊されてなかったんでしょ?」
「うん。でも、トゥアハは……もうほとんど、壊れかけてた。ぼくは戦いながら、彼女の最後の言葉を聞いたけども、随分と苦しそうだったよ……」
『前にも言いましたが、あなたはトゥアハの仇を取ってくれました……。それをまず、誇りに思って下さい』
『相変わらず面倒臭い坊主だねえ。男ならシャキッとしなよシャキッと』
慚愧の念で言葉がしりすぼみになるダイトに、魔剣のそれぞれが発破を掛ける。
落ち込むダイトに、これはいけないと、メアリリは慌てて、話題を切り替えようと頭を捻る。
「となると……やっぱり時間をかけて壊したってよりも、何か強烈な一撃を喰らったって見たほうが良いんじゃないかしら。いっぱい人も死んでる訳だし」
負の観念に陥りかけたダイトはそれに頷き、たしかに馬車はえぐり取られたように大きく破損して、戦ったものの一部も喰われたのかは不明だが、大きく欠損していたものが多かったという印象を彼女らに伝えた。
すると、メアリリはほっとひと安心した後に、しきりに唸りだした。
「それに、もうひとつ気になる事があるんだ」
そう言って、ダイトはひとつ、疑問を提起する。
「『魔王』という存在は強大だ。『魔王』という強烈な親を迎えた種族は、亞人・魔物問わず、おおきく活気づいて、あらゆる種族を従えて、その勢力を伸ばす事を確認されてきている。けれども、ぼくはあの亞人達の連合以来、そう言った生態系として不自然な、そんな集団を見ていないんだ」
それはダイトの、今まで培ってきた経験からの疑問であった。
聖遺物が見てきた『魔王』は、様々な違いはあれども、おのれを唯一無二と捉え、自らの種族と周辺の種族や魔物を強制的に従わせる、傲岸不遜な存在だった。自らを高める為の恩讐を供給させる為に、生態系を大きく乱すので、亞人や魔物が多種族で徒党を組んでいる時などが確認されれば、『魔王』発見の為のひとつの目安として扱われる程だ。
だが、ダイトは亞人達の集い、人族を襲っていたあの時以降、そう言った光景を見ていない。この一ヶ月程を振り返ってみると、そこがどこか不自然なように感じられた。
『一応、私の方もエルフの方々に探ってもらいましたが、エルフの里近辺では、そう言った亞人や魔物の集まりを見たという報告は聞いていないですね』
と、ブリューナク。トゥアハの悲鳴以降、ブリューナクはエルフに命じて、周囲の探索を進めていたが、魔王の足掛かりを掴めたわけではなかった。
では、あの亞人族の集いはどこから来たのか。生息も違えば、生態も違う、多種多様な亞人が集ったのは、どういう絡繰りなのか。
「わたしとしては、なーんかその団体さんが、怪しいのよね」
メアリリは、疑問を紡ぐ。
「だってさ、仮にもわたし達の故郷ってガルフォードさんが言うように、『魔境』って言われる程の魔物や猛獣達の住処じゃない。それにも関わらず、そんな所に居ること事態がおかしいなって。あのでっかい大森林、どこに何があるのか、住んでいるわたしでもわかんないのに、わざわざグノーグを横切る必要なんて、あったのかしら?」
「それは……わからない。ああ、そういえば。多分、トゥアハの奏者じゃないかな。爪がだいぶ欠けた女の人が、こんな印章を持っていたんだっけ」
そう言って、石畳にそこらに落ちている石で、とある印章を書き出す。
ダイトが石畳に刻んだものは、チェスの駒の兵士と、それを掻き抱くように交差する両手、そしてその裏を睨みつけるように大きな瞳が、荒い感じで描かれた。
「兵士の駒の前で交差する手、それに目……これって、グレンデルの国章だわ」
グレンデルとは、フロースガル王国より北にある国で、グレイハウンド領ではグノーグの森を跨がなければ行くことは出来ない。フロースガルとはグノーグの森から伸びる小川を国の境界線としていて、平地の多いフロースガルと比して、国有地のほとんどを山岳が占めており、冬は厳しいものになっている。狩猟が生活の一部として定着している狩猟民族で、兵は精強揃いと噂には聞く。雨季になると、激しい雨が多い事と山岳部分が多い為に、土砂災害などといった自然災害に悩まされる、すこし土地に難のある国だ。
「けど、確か、グレイハウンドの隣領に行けば、ちょっとした小山を超えるだけでフロースガルに行けるはずなのに……」
「うーん……禁制品を扱っていたのかな。ぼくが見てる限りだと、人に害あるものどころか旅糧食と多少の金品しか積んでなかったし、それも大体壊れてたし……結構、大雑把に埋葬しちゃったから、わからないな」
あらたに浮かんだ疑問に、ふたりは頭をひねる。
何故『魔王』はそれを襲ったのか。何故グレンデルの者が、グノーグへ潜り込んでいたのか。
疑問が疑問を呼び、ふたりの頭は熱を上げる。
ストロロは、一切参加せず、ただ震えている。
「さすがにわたしも、グレンデルの禁制品については記憶にないわ。里で小規模な取引をする時に禁制品の目録として控えてたと思うけども、全部暗記してる訳じゃないし、そもそも里を出るなんて思ってもみなかったからなあ……」
「うん……それに関しては、申し訳ないと思ってるよ。安寧な日々を送れる筈だったきみを、五光神杖の使い手としてこっちの都合で強引に連れ出したのは」
「へ? ううん、ちがうちがう、ちがうの。わたしは『巫女』として、あの里で命が尽きるまで、居ることになったと思うの。ほら、クノハハのばーちゃんが居たでしょ、あれが先代の『巫女』で、ブリューナク様を降ろして、みんなにブリューナク様の言葉を聞かせる役を担っていたのよ。
わたしみたいにはっきりとブリューナク様の言葉を聞き取れる訳じゃなくて、なんとなく意思が分かる程度で、ブリューナク様を憑依させるのもひと苦労だったって聞いたわ。
で、何百年か経って、わたしが生まれてきて、ブリューナク様との相性がバッチシだったから、わたしは永遠にブリューナク様の巫女として繋がれるだろうって……クノハハのばーちゃんが言ってたんだ。
でもね、今回の事でわたしは外の世界を見れる事になって、正直うれしいんだ。色々なものが見れて……それで、クノハハのばーちゃんに、いっぱい教えてあげるんだ」
メアリリは照れ笑いを浮かべながら、ダイトに向けてそう言った。
里を出る日の晩――クノハハは、ダイト達の前では「巫女が外に出るとはなんたる事か!」と騒いではいたが、後にメアリリとふたりきりになった時、まなじりを下げて、「外の世界をしっかり見てお行き」と声を掛けてくれていた。
クノハハ自身も、巫女としての役を担っていたことから、メアリリの苦悩を理解していた。故に、ガス抜きとして、偽悪的に振る舞い、メアリリの気分を発散しようと務めていた。先代巫女だと言うのに、それしか出来ないことを、悔いながら。
メアリリ達の部族のエルフの里がおおきく発展したのは、ひとえにブリューナクの存在と知恵に依るところが大きかった。故に、巫女は永劫、里に縛られる。外の世界を見ることなく、ブリューナクの写し身として一生を終える。そこに個人なんてものは、存在しない、してはならない。クノハハだけが唯一と言っていいほどの例外で、あの個性が強い骨と皮は、長老会を舌戦で丸め込んで、自身も長老に腰を落ち着けた、女傑であった。
だから、メアリリが里の外に出ると聞いた時は、最長老の責務として叱責をした。
そして、内心ではダイトに感謝をしていた。メアリリを、それこそ花を恥じらう少女を、こんな里の片隅で終わらせるのは偲びないと。
メアリリとふたりきりの時に、こうも語っていた。
「ブリューナク様が居なくても、巫女が居なくても、里をしっかりと維持出来るくらいでないとね」
しわくちゃの顔を更にシワを寄せて笑っていた。
ダイトの持ち込んだ「巫女を攫う」という変化を、一番に感謝していたのは、クノハハだったのである。
エルフの里にあらたな風が入り、巫女を里へ縛り付けるという旧体制を打破することに、クノハハは今、動いている。
だから、メアリリは里の外で学ぶ。将来、クノハハの横で、巫女としてではなく、ひとりのエルフとして、知恵をつける為に。そして、里に永劫、縛られていたクノハハに、外の世界の話を聞かせてあげる。それが、彼女の目標だ。今こうして、テレースの街を見て回るのも、その一環であった。
「そうか……うん、それなら、良かった」
ダイトはすこしだけ、肩を竦めると、安堵の息を漏らした。
そんなダイトを見て、メアリリは微笑む。
「それに、ダイトくんだっているし、ね?」
メアリリは照れた笑いを浮かべながら、頬を掻いた。
ダイトは、しかし、それに否、と唱える。
「気持は嬉しいけども、ぼくの身体は、別のひとの肉体だよ……。ぼく自身は、人を喰った、忌むべき魔剣だよ」
ダイトは自嘲するような笑みを浮かべて、おのれの掌をみた。
その手は剣に塗れていない、やわらかな手であった。
この器がなにをしていようが、変わりない。自分は、この少年を己の私欲の為に喰った。
その事実を認識する度に、こころが重くなる。
ダイトは、過去に人と敵対するものに与する時代があった。それ故に、こうして度々己を呪うことがある。
メアリリは、そんなの関係ない、と頭を振って、ダイトに真摯に向き合う。
「身体はちがうかも知れないけども、今その身体に宿ってるのはダイトくんでしょ?
わたしは『いろいろな表情をしている』ダイトくんが好きなの。ひとの容姿なんて、顔だけ整ってる奴なんてエルフにいくらでも居るからね。
でも、ダイトくんの、その純真なこころが、わたしは好きなの。笑ってるダイトくんが好きなの。喜んでるダイトくんが好きなの。怒ってるダイトくんが好きなの。悲しんでるダイトくんは……見たくないかな」
メアリリは、開いたダイトの掌に、手を重ねる。
ダイトは、あたたかい、そう、思った。
まるで、自分を戒める鎖が、音を立てて崩れるような、そんな光景を幻視した。
じっと、重なった手をお互いは見つめ合う。
ダイトは、かつて最初の人族の持ち主に、騎士道をせがむようにして聞いた。
――おんなのこは護るべきものだよ。
それが、すこしだけわかった気がした。
この心地よいあたたかさを、ダイトは守りたいと、本気でそう思えた。
自分を認めてくれる、自分を信じてくれる。自分を見て、笑ってくれる。悲しんでくれる。
そんなあたたかい存在は、かつて最初にダイトを握った人族の彼以外居なかった。それが、どうだ。彼女は、メアリリは、自分を魔剣としてではなく、ひとりの個人として扱ってくれる。
これが、なんと嬉しいことか。
そして、なんと哀しいことか。
だが、だが。ダイトはこころから思う。
ただの親しき隣人ではなく、心の底から、人を守りたいと、そういう思いが芽生え始めた。その時。
「それだけは!」
悲痛の嘆きが、聞こえた。
イワ「なんちゅうか、甘酸っぱい雰囲気だしとるのぅ……」
リューナ「ええ、微笑ましい限りです、うふふ」